書に耽る猿たち

読んだ本の感想、本の紹介、本にまつわる話

『そこのみにて光輝く』佐藤泰志|文章から嗅ぎ取れる土の匂い

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そこのみにて光輝く佐藤泰志

河出書房新社河出文庫] 2024.04.12読了

 

ら死を選んだ人が書いた小説に対して、独特の緊張感を持って読み始めるのは私だけだろうか。昔は自死する作家が多かった。かつての文豪たちは、死ぬ方法は違えど、自死をすることが誉れと信じて、そうするのがさも綺麗な終わり方だと思い旅立った。今はそういう風潮はほとんどない。

 

藤泰志さんは41歳という若さで自ら死を選んだ。彼の作品は芥川賞候補に何度も選ばれている。何が彼を死に向かわせたのか。Wikipediaで彼の名前を検索したが自死の理由はわからない。たとえ記載があったとしても、本当のことは本人にしかわからないだろうけれど。この小説は佐藤さん唯一の長編小説で代表作である。

 

文一文がとても短く言葉も易しい。それなのに、文体から立ち昇るものは熱量を帯びている。文章が似ているわけではないのに、中上健次さんの小説から受けるエネルギーに近い。無性に男臭くて獣じみていて、土の匂いや人間臭さがある。そして近親相姦的なもの。もう数頁読んで嗅ぎ取ったのだが、解説にも中上健次作品との関連性に触れられていて「やっぱり」となった。

 

場する男たちがみな魅力的だ。主人公達夫、少年のような拓児はもちろんのこと、拓児とサウナで知り合った松本もまた陰がありながらも色気を感じる。ストーリとしてはそんなに特異なものはないが、不思議と真に迫るものがあって魔力が潜んでいるようだ。読んだことを忘れられない作品になることは間違いない。

 

藤さんの作品は刊行当時よりもむしろここ数年で評価され映画化されるものが多い。この『そこのみにて光輝く』は綾野剛さん、池脇千鶴さん主演で結構話題になったようだ。映画も気になるし他も作品も読んでみたい。

『アウトサイダー』スティーヴン・キング|事件はどう解決するのか|もはや「ホッジズ」シリーズものでは!

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アウトサイダー』上下 スティーヴン・キング 白石朗/訳

文藝春秋[文春文庫] 2024.04.11読了

 

すがのキング!冒頭から疾走感がありおもしろかった。何より上下巻ぎっしりと読み応え満載で、キングを読むときは次の本選びを気にしなくて良い(というか楽)。つまり、すぐに読み終わらないということ。

 

ろしくも無惨に殺害された少年フランク・ピータースン。多くの証言から犯人だと疑う余地のないテリー・メイトランドは、彼がコーチをする少年野球の試合の最中、公衆の面前で逮捕された。しかし彼には完璧なアリバイがあった。これは、不当に罪をなすりつけられたテリーとその家族が冤罪を晴らすストーリーなのか?

 

は上巻までは普通のミステリーさながらで、キングのホラー感がほぼなかった。といっても最近のキングはミステリーへの興味が大きいようで、近年は「ホッジズ3部作」(この作品にも大いに関わる)で大きな評価を得ている。

 

件が解決する前にまたもや大きな展開があり、もしかすると真相は「超自然的なもの」にあるのではないかと刑事であるラルフの妻ジャネットは話す。つまり、自然の法則を超越したものが動いているというのだ。刑事の妻、そして被害者の妻もまた強さと聡明さを秘めている。

 

事アレック・ペリーが上巻の最後に、ファインダーズ・キーパーズ探偵事務所に依頼をする。おお、この探偵社!そしてビル・ホッジズ!シリーズ3部作最後の『任務の終わり』はまだ読んでいない。あのシリーズとこんな絡みがあるとは思っていなかった。てか、もう同じシリーズものでは?と思うほど。3部作を読み終えてなくても充分楽しめるが、読んでおけばよかったな。ビルはもう死んでいるからこの小説で活躍するのは調査員ホリーだ。

 

ついでホリーは悲劇がそなえる性質について考えをめぐらせた。はしかやおたふく風邪や風疹とおなじように、悲劇にも伝染力がある。そういった感染症とちがうのはワクチンが存在しないことだ。(下巻117頁)

悲劇の連鎖という不安は的中する。だいたいにおいて良くない時は全て良くなくて負のスパイラルに陥りがちで、逆に上手くいくときはなんでもかんでも上手くいくもの。

 

の小説の主役は刑事ラルフ・アンダースンと探偵社の調査員ホリー・ギブニーであることは疑いがないが、他にも探偵役が何人も入れ替わり立ち替わりといった形で登場する。綿密に書き込まれた人物描写と構成はいかにもキングで、この細かさ(もはやわずらわしさ)がまた醍醐味なのだ。

 

ングの作品は大好きだけれど、意外にも単行本は買ったことがない。これも文庫になってから手に入れた。それにしても上下巻合わせて3,600円とは。翻訳物は仕方がないとは思うが値上がりも甚だしい…。出版社によっては、作家(特に大御所になると)独自の字体というかフォントがある程度決まっているが、これはいつもの文春のキング作品と比べるとフォントが大きくなっていて読みやすかった。白石さんのアメリカ独特のギャング言葉というかクソ言葉(笑)は相変わらずでそれがまた乙。

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『ミヒャエル・コールハース チリの地震 他一篇』クライスト|翻訳家も読者も熟練でないとなかなか難しい

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『ミヒャエル・コールハース チリの地震 他一篇』ハインリヒ・フォン・クライスト

岩波書店岩波文庫] 2024.04.06読了

 

イツ人作家の小説を読むのはなんと久しぶりだろう。名前は知っていたがクライストの作品は初めてだ。作家たちが好む、つまりプロの文筆家が好むのがクライスト。この文庫本には、表題作2作ともう一つの全3作の中短編が収められている。「他一篇」とするなら、もう一つもタイトルにしてしまえばいいのに、と思うのは私だけだろうか。ちなみにもう一つの題名は『サント・ドミンゴでの婚約』である。

 

ず一作目『ミヒャエル・コールハース』というのは馬商人の名前で、ある不当な扱いを受けた彼が復讐を試みていく物語である。国境を越えて、最終的には神聖ローマ帝国にまでスケールが大きくなり、読んでいて「なんでこんな話に発展したのだろう」と疑問と混乱の嵐になってしまった。マルティン・ルターとか出てくるし、一体全体どういうことよ。

 

の短編『チリの地震』と『サント・ドミンゴでの婚約』のほうがわりあいに理解しやすかった。それにしてもクライストの小説は結構残酷なストーリーが多いのだなぁ。

 

かなかに難解で何度もギブアップしかけたがなんとか読み終えた。一文一文の文章がわかりにくいわけではない。確かに改行もない頁を見ると威圧的ではある。しかしそんな小説は数多にある。訳者の解説によると「言葉への共感、語る声を感じとるという感覚、トランスレーション・スタディーズ(いかによい翻訳を行うかという実践的関心から距離をとる)」を基本の考え方として翻訳に当たっているそうだ。おそらくクライストの作品は原文も難解であって訳者を困らせるのだろう。そういう意味では、訳者も読み手も熟練でないとならないのかもしれない。読解力、まだまだだな…。

『方舟を燃やす』角田光代|誰かの人生、こんな風に物語になる

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『方舟を燃やす』角田光代

新潮社 2024.04.04読了

 

和の時代から、平成、令和へと駆け巡る。グリコ森永事件、御巣鷹山の飛行機墜落事故、テレクラの大流行、オウム真理教、色々な事件があったよな。「ノストラダムスの予言」のことは家でも学校でも話題になったが、「口裂け女」の記憶はない。小学校ではコックリさんみたいなのが流行っていたけれど、コックリさんではなくて名前が違っていた気がするんだよなぁ。とにもかくにも私が生きた時代と重なる部分が多かったから、なにやら懐かしい気持ちになった。

 

1960年代に産まれた柳原飛馬(やなぎはらひうま)と望月不三子(もちづきふみこ・旧姓谷部)の視点が交互に入れ替わるストーリーだ。飛馬はよくいそうなタイプなのに対し、最初から不三子はいけすかないなというか、共感できないと感じていた。健康志向好きの度が過ぎているというか、人に影響されやすいというか…。

 

馬が高校に入った時に「何かが圧倒的に楽になった」と感じた。たのしいことや夢中になることと、楽になることは違うのだと知った。私たちは歳を取ると確実にこの「楽さ」に身を委ねがちで、それがそのまま「苦しさ」や「悲しみ」を避けることになる。本当の「楽しさ」や「喜び」は、きっと「苦しさ」「悲しみ」がないと見つけられないのだと頭ではわかっているのに。

 

かの人生、つまり誰でもをの人生を物語にしたらこんな風になるんじゃないかなと思う。飛馬も不三子も、親を早くに亡くしたという経験はあるものの、圧倒的に普通の人(誰にでも起こり得る範囲の波がある)であって、つまり私自身も含め人間誰もが一つの小説になり得るのだ。「誰でも必ずひとつの小説が書ける」というのは、この意味なんだろうな。

 

はり角田さんの小説はするすると読みやすくて、淀みのないちょうど良い文章だと思う。ただ、この作品は起伏が少なくストーリーが単調かなという印象を受けた。昭和生まれ、または平成の最初のほうに生まれた人でないとおもしろみ(懐かしみ)に欠けると思う。それから、時代を駆け足で走り過ぎていて、2人の人生が広く浅くなっている気がする。もう少しテーマを絞って深掘りしたほうがいいのにと勿体なく感じた。『ツリーハウス』(何といっても角田さんのなかでイチ押し!)があるからどうしても比較してしまうし期待値が大きすぎてしまう。

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『影をなくした男』アーデルベルト・フォン・シャミッソー|誰にでもあるものが欠ける恐ろしさ

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『影をなくした男』アーデルベルト・フォン・シャミッソー 池内紀/訳

岩波書店岩波文庫] 2024.04.01読了

 

上春樹さんの『街とその不確かな壁』では、影を奪われた男が登場する。影を持つ、持たない、なくす、そんなようなストーリーは日本だけでなく世界に多くある。その原作というか、初めに考えだした人がこのシャミッソーであり、この作品が原型である。解説によると、ヨーロッパの18世紀から19世紀にかけて影が大流行したそうで、シャミッソーはまさにこの時代を生きたのだ。影絵もこの時に人気があったようだ。

 

色の男に、自分の影を褒められたシュミレールは、お金に目が眩み自分の影と交換してしまう。シュミレールには苦悩と試練が待ち受けていた。一人で生きる強さを持てば良い、周りを気にしなくても良いのにと思うが、そこは人間、やはりひとりぼっちでは生きていけない。現にシュミレールは、従者を頼りにして生きることになる。

 

から美しく、快く見られたいというルッキズムとは違う。影は生きていれば必ずある。当たり前のようにあるものがない、つまり同じ人間ではない(もはやモノでもない)と、どこか薄気味悪く思われてしまうことの怖さ。

 

はおそらく子供向けの小説なのだろうか、挿絵が至るところに入っている。白黒の影絵はまるでヴァロットンの木版画のよう。切り絵のようなモノクロ画はシュールで作品に合っている。

 

まに岩波文庫などでお目にかかるこの古めかしい印刷体。復刻版や重版などのパターンがそうかも。この印字体を好む人はそうそういないと思う(決して読みやすくはない)が私は結構好きなのだ。タイプライターの印字を好むのと似ているだろうか。

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『我が友、スミス』石田夏穂|肉体をいじめ倒す快感

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『我が友、スミス』石田夏穂

集英社集英社文庫] 2024.03.31読了

 

トレ小説ってなんだろう?と芥川賞候補になっていたときに気になり、「スミス」というのが人の名前ではなく筋トレマシーンの名前だと知った。もう文庫本になるなんて、早い。

 

ーリング選手の藤澤五月さんが、ボディビルコンテストのために身体を鍛え上げた写真を見たときは私も驚いた。どちらかというと女性らしいふっくらとした姿が藤澤さんらしくて好きだったのだが。しかし彼女は元々ボディビルに興味があったそう。数ヶ月であれだけの身体を作ったことに、尊敬の眼差しになった。ものすごく芯があるなと。筋肉ってなかなかつかない。というか、外に見えてこない。特に女性の場合は脂肪がなくならないと筋肉が浮き出てこないから、なおさら難しいのだ。

 

動不足だったから筋トレしてみようかな、という軽い理由でなんとなくジム通いを始めたU野は、BB(ボディービル)協会の理事であり、過去にBB大会7連覇を成し遂げたO島から声を掛けられたこともあり、ひょんなことから大会に出ることになる。

 

た目で判断して競うボディービルは、まさしくルッキズムの代表だと思う。「女性らしく」ないといけないという目に見えないヘンテコな規則もある。男女平等にしようとかいっても、ボディービルの世界で男女を分け隔てなく判断するのは難しいだろう。なんせ身体の作りが違うのだから。だから、やはり完全に差別をなくすのは困難だと感じてしまう。

 

者の石田さん自身も、仕事終わりには筋トレを欠かさないらしい。小説の主人公U野のようにボディビル大会を目指しているわけでもない。ただ、肉体をいじめ倒すと、ゆっくり寝られてリフレッシュできるからだという。私も、自分なりのなんとなくの筋トレではなくて、インストラクターさんにちゃんと習ってみたい。

『ゴッドファーザー』マリオ・プーヅォ|敵にしたら一発アウト、味方にしたら超強力

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ゴッドファーザー』上下 マリオ・プーヅォ 一ノ瀬直ニ/訳 ★

早川書房[ハヤカワ文庫NV] 2024.03.30読了

 

の人が好きな映画として挙げることが多いのが『ゴッドファーザー』だと常々感じている。だいたいにおいてマフィアとかヤクザものが好きだから、そういう意味でも人気があるんだろうなと思う。私は昔テレビで放映されているのをぼんやりと観て、アル・パチーノのべっとりした髪型と暗ーいイメージしかなかった。確かに子供が観てもなんのこっちゃかわからないよな。

 

これ、なにこれ、なんだこれは!!個人的にマフィアとか極道系の話はあまり好まない(むしろ苦手な方)と感じていたのに、冒頭からかなりハマった。この原作を読んだらなんとめちゃくちゃにおもしろかった。家族愛、ファミリーの使命、裏切り。人間の渦巻く感情がてんこ盛り、だけど大人のダークさがあり、そして痺れる非情な世界でもある。彼らを敵にしたら、、一発でアウト。

 

ッドファーザーというのは、マフィアのボスを表す言葉や地位ではなく、元々は「名付け親」の意味があるらしい。イタリアでは「世の中は辛いことだらけだから、二人の父親に面倒をみてもらわなければ生きていけない」という諺のようなものがあり、その意味合いから「名付け親」というものが生まれたそう。コルネオーレファミリーを築き上げたのが、ドン・ヴィトー・コルレオーネである。

 

ン・コルレオーネが銃撃された。あやうく命は取り留めたものの、マフィア闘争の幕開けとなる。父親のビジネスを理解できず稼業を継ぐつもりがなかった三男のマイケルは、この事件をきっかけにして自分の内に秘めた熱源を知る。やはりドンの息子であったのだ。

 

トーリーもさることながら、私がこの作品を気に入ったのは、キャラクターの粒だった個性と彼らのエピソードが丁寧に事細かく書かれていることだ。特に、コンシリエーレ(組織の最高顧問)という役職をもつトム・ハーゲン、ハリウッドのスターである歌手のジョニー・フォーティーンには感情が入る。そして、例え脇役であろうとも、細部にいたるキャラクターをもないがしろにせず、魂を落とし込む著者の思い入れに頭が下がる。

 

シリーに身を隠していたマイケルを救うためにドンが取った行動と策略に震え上がる。ドンは一見穏やかで優しく丁寧な物言いなのに、怒らせたら本当に怖い。それに理にかなったやり方で最後は自分の味方につける。マイケルの父親への思いや家族の在り方について、シシリーから戻ってきた彼がケイ・アダムスに告白する時の言葉に表れる。こんなプロポーズある?これで一緒になる時点でもう人生を捧げる覚悟だ。

 

んでいる途中は夢中で感じなかったのだが、読み終わるとやはりこの世界は恐ろしい。それはマイケルの妻ケイの心情で物語が幕を閉じるからかもしれない。仕事の話は一切家庭に持ち込まない、秘密にすると言われて結婚したケイ。初代ドンは恐ろしいが、その後継者となったマイケルも同等に恐ろしい。ドンの妻とマイケルの妻が毎日祈りを捧げる日々を思うと胸が苦しくなる。この道に入った妻たちの宿命か。

 

学的にどうとかはあまりないかもしれないが、この研ぎ澄まされた冷え冷えとした文体がコルネオーレファミリーに渦巻く冷酷さと物悲しさとうまく表している。最近こういった乾いた文体が好きだ。

 

談だが、大好きなお猿のギャク漫画『モンモンモン』の作者で敬愛するつの丸大先生の飼い犬(または飼っていた)の名前が、ドン・コルネオーレ、ピート・クレメンツァ、ロッコ・ランポーネである。つの丸さんのゴッドファーザー好きはもちろんだが、登場人物が出るたびに、SNSによくあがっている犬たち(フレブル)の顔を連想してしまった(笑)。

 

まハヤカワ文庫ではU-NEXTと組んで「映画原作フェア」なるものをやっており、早川書房から刊行した名作映画の原作数冊に特別なカバーを掛けて販売している。そのうちの一つがこの『ゴッドファーザー』なわけである。このまるっとカバーはなかなかにカッコよくて冒頭の写真に使ったが、元のジャケットも劣らずカッコいいので一応パシャリ。ゴッドファーザーの文字が操られている感じが出ていてくすぐられる。映画3部作、今度ゆっくり観よう。

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『ハツカネズミと人間』ジョン・スタインベック|夢は壮大、現実は残酷

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『ハツカネズミと人間』ジョン・スタインベック 大浦暁生/訳

新潮社[新潮文庫] 2024.03.24読了

 

タインベックの名作の一つであるが、まだ読んでいなかった。勝手に子ども向けのストーリーかと思っていたのだが、ラストは息を呑むほど苦しくなり心がえぐられそうになった。こうなるしかなかったのだ。この短い作品でこれだけの強烈な印象を残す小説は世にそんなに多くはない。

 

体の大きさも頭の良さもまるで正反対のジョージとレニーは、日雇い労働者として各地を放浪している。2人には大きな夢があった。土地を買い、小さな家を持ち、自分たちの楽園としてのびのびと暮らす。レニーはウサギを飼って面倒をみる。

 

体が大きいが精神的には幼いレニーのせいで、ジョージはさんざんな目にあってきた。しかし、2人の友情は育まれ、お互いにとってかけがえのないものになっていく。平穏に、夢見るように過ごす。レニーの怪力のせいで大きな事件が起こるまでは。

 

間は一人だけでは生きていけない。誰もが補い合って助け合う。でも、社会ではそれだけでは生きていけないのだ。相手の心を考えることができる唯一の人間という動物の不条理を問いた作品だ。人生の夢は壮大で美しいのに、現実は残酷でやるせない。

 

ずか160頁ほどの中編一作品だけで文庫本になっているので手軽な本だ。新潮文庫岩波文庫は、結構こういう薄手の本を刊行してくれるのが個人的にはとてもありがたい。なんとなくの寄せ集めの短編集にするよりも、その一作に自信が込められている気がするし、ページ数を増やして高価になるよりは余程良い。結局は、安価であればあるほど売れて読まれると思うから。スタインベックの作品で『エデンの東』をまだ読んでいないので今度読むつもりだ。

『冬の旅』立原正秋|強い精神があれば、周りから何を思われようが、どんな境遇にいようが成長できる

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『冬の旅』立原正秋

新潮社[新潮文庫] 2024.03.23読了

 

を犯し少年院に入った宇野行助(ぎょうすけ)が、青春の日々約2年間を少年犯たちとの閉塞された集団生活に捧げることで、自己の内面を見つめ、罪とは何か、生きるとは何かを問いた作品である。良作であった。

 

んなに優秀な模範囚はいるのかと疑ってしまうほどだ。それもそのはず、行助は本当の意味で罪を犯していない。義兄の修一郎が、母親を凌辱しようとするのを目撃し、なにかの弾みで修一郎を刺してしまうのだ。それでも刺した理由を語らず、内に秘めた復讐心を育む。頭の中に食い込むという手錠の感覚、とても良い。

もしかしたら俺はこの冷たさと重さを生涯忘れないかも知れない、と思った。手錠は、手首に食いこまず、行助の頭の中に食いこんできたのである。(16頁)

 

くらか時代錯誤な描写があるのは否めない。手紙や電報が伝達手段のメインである。学生たちの興味の方向性も現代とは異なる。「教育ママ」という言葉を久しぶりに聞いた。少年院の友人寺西保男の母親は、いわゆる本来の意味の「教育ママ」ではなく、熟れた西瓜のように空っぽの頭の持ち主の「教育ママ」である。教育ママは今でいうところの「教育虐待」に繋がっていくのだろうか。

 

度目に少年院に入った行助は、明確な理由の元に人を刺したという「思想犯」であった。一度目とは明らかに違う犯行。本人の苦しさややるせなさは一度目のほうが重苦しい。大人びた行助は、多くを語らず自己の胸の内に思いを秘め、それを「内面の問題」だと繰り返す。精神が強ければ、周りから何を思われようが、どんな境遇にいようが、自己を成長させる。

 

親の澄江が不意に面会に訪れたとき、行助が話した言葉がとても印象に残った。

青春時代に公平な目をもっていた人でも、としをとるにしたがい、視野がせまくなるものらしいですね。冬でも茄子や胡瓜をたべられるのを当然だと思い込んでしまう。(中略)でも、僕は、冬に冬の野菜をたべ、夏に夏の野菜をたべることが、いちばんいいことではないか、と思っています。(598頁)

私たちは利便性を求めるあまり、大切なものを見落としているのではないか。それを、現代の作品ではなく50年以上も前に書かれた小説から気付かされるとは。

 

の作品は行助を主人公として描いているが、本当の意味での主役というか読者を深い思考に落とし入れるのは、義兄の修一郎であり、義父の理一であり、母親の澄江であり、また友人の安なのではないか。最初から、行助は怖いほどに人間ができている。行助を通して、周りの人物たちが変わっていく様が印象深い。

 

前は知っていたが初めて読む作家である。昭和初期の頃に文壇で活躍し、直木賞も受賞した立原正秋さんはかつては国民的作家として人気があった。現代作家であれば出版社や書評家が宣伝してくれるが、こういった昔の作家の良作をもっと読んで伝えていくのは大事だと改めて思った。立原さんの他の作品も読みたいが、どうやら今手に入る作品は多くはなさそうだ。

『名誉と恍惚』松浦寿輝|芹沢一郎の運命と生き様に魅了される

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『名誉と恍惚』上下 松浦寿輝 ★★

岩波書店岩波現代文庫] 2024.03.21読了

 

年前に上海1泊3日の弾丸ツアーをしたことがあって、上海ディズニーランドだけを目的に楽しむという旅だった。泊まったホテルも出来たばかりのトイ・ストーリーホテル。日本のディズニーランドに比べると待ち時間も全然耐えられるし人の多さもそんなに気にならない。圧巻だったのが「カリブの海賊」で、これは2回も乗り今でも鮮明に憶えている。

 

、、上海といえば私の中でその記憶が新しいのだが、近代史からみると上海事変など日本とは重要な関わりを持っている。この物語の舞台は1937年、日中戦時下の上海で、日本人警官芹沢一郎は陸軍将校嘉山からある依頼を受ける。これがとんでもない運命の幕開けだったのだ。

 

巻の中盤までは、話のスピードが超絶にゆっくりで、「どうかなぁ」と思っていたが、芹沢本人が何かの陰謀に巻き込まれたと気付くころには、読んでいるこちらは前のめりになり夢中になってしまった。あぁ、長編小説の醍醐味とはこれよ。芹沢の怒涛の運命が、読むものを魅了して脳天をずぶずぶに刺す。

 

沢の心理描写がしつこいほどに細かく書かれている。思慮深いというか疑り深いというか、警察官ならではの「各選択肢による未来の方向」のようなものをこれでもかと深掘りしている。一見深読みし過ぎではないか、もっと信用しないとしんどいのではないかと心配になってしまうが、これも芹沢の性であり、もはや日本人は往々にしてこんな気質があるのだと思う。

 

沢が呉淞口(ウーソンカゥ)の大部屋の寝室で日本語で書かれた新聞を目にしたとき、名状しがたい懐かしさが込み上げてくる。字画の込み入った表意文字と柔らかな曲線で出来た音標文字が快く目に映る。つまり、漢字とひらがなである。まさにそうだよなぁ、日本語って言葉に発したものよりも、書かれたものが美しい。もちろん英語はカッコいいし、イタリア語、ロシア語も好きだ。ポルトガル語やハングル語も味がある。そしてフランス語は言葉も音感も美しい。でも、もしかすると日本語が一番崇高で美しく、深いのではないか。これは贔屓目にみなくても、そう思うのだ。

 

浦さんの奏でる文章は眩暈がするほど美しい。やはり綺麗な文章を書く人だ。普段あまり目にしない言葉が頁のそこかしこに出てきて(例えば「春風駘蕩」「瀰漫(びまん)」など)、その都度その意味を考えたり一呼吸おいて調べるのもまた乙なのだ。一時期集中して読んでいた高橋克巳さんの小説を読んでいるような感覚になった。

 

間の心理の機微だけではなく、情景描写も細やかである。退廃的で澱みのある空気が鮮明に映し出された共同租界・上海が脳裏に思い浮かぶ。このストーリーと、この世界観を映画にできたらさぞかし素晴らしいだろうなと思う。

 

行本が箱入りで分厚いので早く文庫化しないかなと首を長くして待っていた。何年経ってもなかなか出ないから、何度も単行本を買いかけた。岩波現代文庫から出るとは思わず、ちょっと高価で「うーん」となったけれど、谷崎潤一郎賞ドゥマゴ文学賞を受賞しているだけあって、重厚で濃密な物語世界を存分に楽しめた。松浦さんの小説の中では断トツにストーリー性とリーダビリティー性が高い。時間はかかるけれど、どっぷり長編小説に浸かりたい人にはおすすめだ。

 

※※※

実はこれを読んでいる途中、自身2回目の新型コロナウイルスに感染してしまい、数日読めずに中断してしまった。こんなにおもしろい小説なのにと歯痒くてベッドで悔しかった。やはり、健康でないと読書はもちろんのこと何も楽しめないなと実感した。

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