書に耽る猿たち

読んだ本の感想、本の紹介、本にまつわる話

『モルグ街の殺人・黄金虫 ポー短編集Ⅱ ミステリ編』エドガー・アラン・ポー|探偵はデュパンから生まれた

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『モルグ街の殺人・黄金虫 ポー短編集Ⅱ ミステリ編』エドガー・アラン・ポー 巽孝之/訳

新潮文庫 2021.3.2読了

 

ー氏の作品はかなり昔に何作かは絶対に読んだはずなのに、覚えていなかった。読んだということ、デュパンが出てきたことは頭にあったのに、こうも忘れてしまっているとは、人間の記憶とは本当にあてにならない。

潮文庫で3冊刊行されているポー短編集のうちの「ミステリ編」である。あの有名な『モルグ街の殺人』が収録されている。新聞記事に、目撃者や証人のコメントが詳細に記載されていること、死体の残虐がそのまま表されていることに若干違和感を感じるが、これもまた200年前の作品故だろう。

の作品が世界で最初の探偵・推理作品とは、なんだか感慨深いものがある。これが元になり、ホームズ、ポアロ、そして金田一耕助御手洗潔中禅寺秋彦などが誕生するのだ。

ュパンが事件の真相を独自の推理で披露したとき、そういえばこんな結末だったなと読んだことをようやく思い出した。意外性を覚えていたのだ。しかしこの作品の白眉は、事件が始まる前の導入として「分析力」云々のくだりが書かれた部分だろう。あれはしびれる。

代私たちが読んでいる探偵物は、身体を張ってよく動き回っているなと感じる。デュパンはほぼ頭の中で推理して解決している。知能的な企みがみてとれる。ポーが考えた探偵とはそういう存在だったのかもしれない。それが時を経て探偵像も様々になり、いつしか刑事さながらフットワークが良くなってきているようだ。

界で一番古い小説が11世紀の源氏物語だとしたら、そこから800年ほどは推理もの探偵もの、いわゆるミステリが小説の分野として確立されていなかった。何事でも最初にそれを始め、浸透させた人はすごいと思う。ミステリを誕生させた功績は、とてもとても大きい。ミステリ好きを除いたら、世の中の読者人口は相当減るだろうし。

『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』李龍徳|在日韓国人について考える

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『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』李龍徳(イ・ヨンドク)

河出書房新社 2021.3.1読了

 

かなか衝撃的なタイトルである。竹槍で突き殺すなんて、いったいどんな戦いが始まるのかと身構えてしまうが、これは「ヘイトクライム」を扱ったディストピア小説だ。

イトクライムとは、人種、宗教、性的指向など特定の属性を持つ個人や集団に対して引き起こされる嫌がらせや暴行等の犯罪行為などのこと。この作品では、特に在日韓国人への差別について書かれている。柏木太一は、誰を集めて何をしようとしているのか。ざわざわした気持ちで頁をめくる。

構読み進めるのが困難だった。文章自体は難しくはないのに、自分の身近にはなくそんなに深く理解出来ていないテーマだからだろう。私は純粋な日本人で日本に生まれ育った。当たり前のように生きているが、世の中はそんな人ばかりではない。

れを読むと、在日韓国人がいかに差別を受けてきたのか、直接何かをされなくてもいかに住みにくい、生きづらい思いをしてきたのが痛いほどわかる。正直、読後感は重たいが、私たちが考えなくてはいけない問題がたくさんある。

中に裁判員裁判が出てくる。被告人、被害者、または裁判員が何らかの差別を受けている人だったらどうなのだろう。被害者の気持ちに寄り添いながらも裁かれる人の気持ちを汲み取れるのだろうか。客観的な判断が出来るのだろうか。相手がどんな人であれ、本当の意味で「他人の気持ちを考える」ことが今後はより一層重要になる。

た、女性蔑視などよく問題視されるが、言葉遣いはどうなのだろうか?女性が「このやろう」「でかい」「これ美味い!」など言うと、今でも「下品だ」とか「女の子なんだから」とたしなめられる。これもよく考えたら蔑視なんだろうかもと考えてしまう。

龍徳さんは、埼玉県生まれの在日韓国人三世である。2014年に『死にたくなったら電話して』で第51回文藝賞を受賞されてデビューされた。当時は文藝賞を意識していなかったのか全く記憶にない。今回読んだ『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』は柳美里さんが「柳美里選書」で選んでくださった本である。こんな機会でないと読まなかっただろう。

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『喜嶋先生の静かな世界』森博嗣|研究者の幸せな時間

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『喜嶋先生の静かな世界』森博嗣

講談社文庫 2021.2.27読了

 

博嗣先生(何故だか先生と呼びたくなるし、そのほうが合っていると思うのだ)の本を読むのは久しぶりだ。小説に夢中になり始めた頃にほとんどの人が通るのが森先生の作品群ではないだろうか。膨大な著作があるので全てを読んではいないが、私も昔「S&Mシリーズ」や「Gシリーズ」を読み漁った。

んな森先生の自伝的小説と言われているのが本作である(森先生というと喜嶋先生と混同するのでここから先は森さんにする)。理系の橋場くん(おそらく森さん本人のこと)が大学院で喜嶋先生という(その後恩師となる)先生に出会い一緒に学びあったことを、大人になった僕(橋場くん)が回想するという形で書かれている。

さい頃から文系ではなく理系だった橋場くんは、子供の頃から非常に頭の良い子だったんだなぁと思った。文系が苦手なため偏った成績だったようだが、文字通りのテストで高い点数が取れるといった頭の良さではなく、世間をうまく渡り歩く処世術のようなものを子供の頃から自然と身に付けていた。

学院で研究生となった橋場くんは喜嶋先生の教えの元研究をすすめる。私はこの喜嶋先生がもっともっと上の人かと思っていたのだが、橋場くんと10歳ほどしか変わらないという。それでも学生や院生からしたら随分と上に感じるのかもしれない。喜嶋先生だけではなく、森本教授や中村さん、清水スピカや櫻居さんといった登場人物も愛すべき存在である。

から見ても喜嶋先生がとても立派な方というわけではない。どちらかというと研究一色で地味、一風変わった方である。しかし先生と一緒にいるうちに彼の研究への熱心さ、一途さがわかるようになる。気楽で自由な研究生活をする喜嶋先生を尊敬し憧れるようになる。そして喜嶋先生の「静かな世界」という意味がわかってくる。

嶋先生から初めに教わったのは「自分の興味対象に関係する論文を自分で探してくる」こと。子供の頃には目の前にあるものをこなせばよかったのだが、それはいかに簡単なことだったのかと気付く。これは会社における仕事でも言えることだ。ただ与えられた仕事を淡々とこなすだけでは自分のスキルは上がらず、むしろ能力が落ちてしまうだろう。「取り組むべき課題を見付ける」そのことがすでに難しいことだが、それをやり続ける人がどんどん成長するのだ。

学院に進まずに就職した清水スピカは、年に何回か橋場くんの元にやってくる。ある夜のスピカとの会話がとても良い。なんだか泣けてきそうなほど。小説自体も静かにゆっくりとマイペースで進む(森さんの文章もとても読みやすい)のだが、最後はあれ!という森博嗣節のような展開に・・・!?

さくっとポップで読みやすい、それでいて学ぶということ、大人になるということを静かに優しく教えてくれる作品である。

『ロング・グッドバイ』レイモンド・チャンドラー|孤高の私立探偵マーロウ|ハードボイルドであり文学的傑作

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ロング・グッドバイレイモンド・チャンドラー 村上春樹/訳 ★

ハヤカワ文庫 2021.2.26読了

 

れは素晴らしい。とんでもない名作だ。最初の数頁を読んだだけで文体に引き込まれる。探偵が登場するハードボイルド小説、という枠組みを超えて、世界で最も秀でた文学作品のひとつと言える。私が言わなくても既に自明のことではあるのだが。未読の方は是非読んで欲しい。

ちろん、フィリップ・マーロウの存在自体のかっこよさは言わずもがなだ。女性も男性も憧れる孤高の私立探偵。彼のタフさ、独特の哲学と優しさ、まとう雰囲気。なんならマーロウの珈琲の入れ方ひとつとっても非常に心を打たれるものがある。出来ることならこんな風に生きてみたいと思う憧れの人間像がマーロウなのだ。

れにしても、好きな登場人物が始まってすぐに物語から姿を消すのは残念なことだ。それがマーロウの友人テリー・レノックス。2人はひょんなことから出会い何度か酒を交わし仲良くなるが、テリーは妻の殺害容疑をかけられて自ら命を絶ってしまう。そんなテリーの謎めいた存在を巡るミステリー。このテリーがまたマーロウと引けを取らないほど魅力的なのだ。

うに、チャンドラーさんの人間の書き方が本当に群を抜いている。どの人物をとってもまるでその人が目の前にいるかのように想像できる。会話もユニークでマーロウと軽口を叩き合う場面はこちらもニヤリとしてしまう。ストーリーがそもそもおもしろいのに、文体自体が味わいがあるためどの場面もじっくり文章と向き合いたくなる。

んでいる間はずっと哀愁が漂っていた。この荒んだ街と警察組織の薄汚れた関係性が浮き彫りになっているからなのか、または人間の性(さが)というものが小説から立ち昇ってくるのか。本を読んで作品に没頭し、身も心もその作品の色や香りに染まることは至福の読書時間となる。

はこの作品を読むのは2回目である。もう随分前、最初に読んだのは『長いお別れ』というタイトルだったから、清水俊二さん訳のものだったはず。その時は、ザ・ハードボイルドといった印象しかなく今回ほど感動しなかった。おそらくまだ自身の読書の経験が不足しており、また本に向き合う姿勢も今とは異なっていたのだろう。

回の作品は村上春樹さんが訳したものだ。清水さん訳は一部省略されているところもあるが、村上さんは原文に忠実に訳したようで、清水さん訳の文庫本の3割増ほどの厚さがある。なんといっても村上さんの解説が長い、長い!解説を読むだけで作品やチャンドラーさんの理解度が深まり、村上さんのチャンドラー愛が相当なものだとうかがえる。同じハヤカワ文庫で2種類の訳が存在しどちらも売れていることから、愛読家が多いことがわかる。

みながらひたすらプリンを欲していた。関東にお住まいの方はご存知かもしれないが、横須賀にプリンで有名な「マーロウ」というお店がある。ビーカーに入った濃厚なプリンが美味しい。なんといってもマーロウのイラスト入り。きっと創業者もまた、フィリップ・マーロウの虜になった1人なのだろう。

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フルハウス「柳美里選書」が届きました

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大好きな作家の一人である柳美里さんは、2015年に鎌倉から福島県南相馬市へ移り住んでいる。本を執筆しながら2018年には「フルハウス」という書店を営まれている。フルハウスでは、注文したその人のために本を選ぶ柳美里選書」というサービスをされている。とても興味を持ったので私も頼んでみた。選書といえばいわた書店の「1万円選書」が有名だ。

 

誰かに本を選んでもらうなんてとても素敵なこと。それも、プロの作家さんに。過去には芥川賞をはじめ多くの賞を、そして去年全米図書賞を受賞されるなど優れた作品を数多く生み出す柳美里さんに選んでもらえるなんて楽しみなことこの上ない。

 

一昨年の11月に『命』4部作を読んでいるときにこの「柳美里選書」を知り、読み終えたあとすぐに注文した。なんと50項目くらいのアンケートに答える(かなり詳細な質問もあり)もので、1時間ほどかかったような気がする。選書の材料として柳さんなりに必要な内容なのだろう。夜中で眠かったけど、ここまできたらやったれと(確か途中まで保存が出来なかったような)。

 

お忙しいだろうし、ネットの何かで1600人待ちというのを目にして、のんびり気長に待とうと思っていたらいつの間にか忘れていた。去年、柳美里さんが全米図書賞を受賞されたときに、そういえばどうなったかな?と思い出した。注文してからの期間に引越しもしていたので気になった。

 

そんな折、今月上旬にフルハウスよりメールが!選書した本を事前にお知らせしてくださったのだ。この仕組みはとても良い。自分が読んだ本と重なってしまうのではと心配していたから。全て読んだことのない本だったので了承の旨お返事をし、代金をお支払いした。ちなみに、選書の金額と冊数は事前に希望を伝えられる。そして、ついについに2/18に小ぶりの段ボールが自宅に届いた。

 

◆選書いただいた本はこちら◆

(写真にUPしてるものです)

『沈黙の作法』柳美里 山折哲雄

『東京バラード、それから』谷川俊太郎

『四人の交差点』トンミ・キンヌネン

『キャッツ』T.S.エリオット

ガダラの豚中島らも

『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』李龍徳

 

谷川俊太郎さんの詩集が入っていた。詩集は買ったことがないが、こういうのが選書してもらう楽しみ。自分では選ばない本に出逢うとびきりの機会。中島らもさんの『ガダラの豚』はいつか読もうと思っていたし、外国人作家の本はそもそも知らなかったけれどなんとなく好みな予感。『キャッツ』は文庫の小説かと思っていたら絵本だった!

 

写真にUPしていないが、ご本人の著作『沈黙の作法』には、宛名とコメント、サインもいただいたので大切な宝物にしたい。他にも直筆のお手紙まで入っておりとても心が温まった。あのアンケートをちゃんと読んでくれたんだなぁと喜びもひとしお。

 

ちょうど東北に大きな地震があった直後だったので遅れるだろうと思っていたのに、ちゃんと送っていただけた。大変な中、本当にありがたい。東北地方の方には心よりお見舞い申し上げます。

 

こういう取り組みは本当に素敵だと思う。普通、作者は自分の本を読んでもらうことが一番だと思うけれど、柳さんはそれだけではなく本そのものを愛しているんだなと感じ入る。作家としてだけでなく、ひとりの人間としての柳さんへの想いが深くなり、これからも応援したい。フルハウスにもいつか行きたい。選書いただいた本は、少しづつ読むことにしよう。

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『小説伊勢物語 業平』髙樹のぶ子|飽かず哀し

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『小説伊勢物語 業平』髙樹のぶ子

日本経済新聞出版 2021.2.23読了

 

原業平は歌人であるが、その美しい容姿から多くの女性を虜にした平安時代のプレイボーイというイメージがある。『伊勢物語』は在原業平が主人公と言われているが、それが本当かどうかも作者すらも不明だ。こういった作者不詳な古典というものは想像力を掻き立てられるし、謎がまた良いものだ。

樹のぶ子さんは、伊勢物語を小説として書き上げた。高校の古文の授業や入試問題でたびたびお目にかかる伊勢物語は、古典のなかでは物語性があるため比較的読みやすかった記憶があるが、この小説版は相当読みやすい。現代文の中に和歌を蘇らせ、なおかつ平安朝の雰囲気も醸し出されている。さすが髙樹さんの腕にかかるとこうなるのか。

歌って美しい…と、しみじみと感じ入る。歌や詩を読むことは滅多にない(作るという意味での詠むことはまずない)けれど、その良さが少しだけ理解できた気がする。日本独自の和歌という文化。この美しさ、凛々しさ、儚さは日本古来の言語ならではだ。

っとするような文章に出会った時や自分が好きな作家の文章は、一度読むだけでは足りず何度も読み直す(その場で二度読みする意)が、普通は一読するだけで終わる。日本語として書かれた文章だからたいていは意味がわかるからだ。しかし歌はそうはいかない。短い言葉の中にどんな意味があるかを読み取るのに少なくとも2回、3回は読む。すぐ横には解説文があり、それを読むとやはり自分はまだまだ和歌を読み取れないと反省するのだが、これもまた楽しいひと時なのだ。

た目の麗しさもさることながら女性の扱いにも慣れている業平だけれど、やはり一番人を魅了したのは彼の作る恋歌だったのだろうと思う。平安時代には、夜、暗い中でだけ会い相手の顔も知らずという場合も多かったはずだ。

の作品では業平15歳の「初冠(ういこうぶり)」から50代後半の「つひにゆく」までの章で構成されている。歌に始まり歌に終わる。業平は常に「飽かず哀し」の気持ちを心に抱く。

「私は、飽かず哀し、の情を尊く存じます。叶わぬことへのひたすらな思いこそ、生在る限り、逃れること叶わぬ人の実情でありましょう…飽くほどに手に入れようといたしましても、それは歌の心には叶いませぬ」(432頁)

代では思いの丈はメールやLINEですぐに相手に送ることができる。でも果たしてそれが良いものなのか。平安時代には、歌を詠みそれを遣いの者に送らせた。相手を想い時間をかけて作る和歌や手紙。それを作り筆でしたためている時間、読んでくれているかと想い巡らせる時間、そして返事を待つ時間、そういった時間そのものがなんとかけがえのないものだろうか。

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『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』ジェフリー・ユージェニデス|少女たちのほのめかし

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ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』ジェフリー・ユージェニデス 佐々田雅子/訳

ハヤカワepi文庫   2021.2.22読了

 

のタイトルにまず目を見張る。なんといっても「ヘビトンボ」だ。トンボの一種で、大顎で噛みつく習性を蛇にとらえてヘビトンボと名付けられたそう。24時間しか生きられないはかない命の昆虫。この作品の舞台である街では、毎年6月になるとヘビトンボが群れる。

スボン家の五人姉妹が自殺をする。最初に自殺したのは末っ子13歳のセシリア。そのセシリアの自殺から次のヘビトンボの季節までの約1年が語られる。不思議な語り口で物語が進み、最初はよくわからなかったのが、どうやらこのリスボン家の五人姉妹を観察するのは近隣に住む「ぼくたち」である。そして、大人になった「ぼくたち」が膨大な資料を元にリスボン家の事実と謎を回想しているのだ。

くたち、ということは、ぼくでも特定の誰かでもなく複数の目。監視しているような、ストーカーまがいのような、ちょっと気持ち悪いなと思っていた。まるで、ナボコフ著『ロリータ』を読んでいるかのような。それでものめり込むように読み耽る。

くたちがいくら助けようとしても傍観者であって何もできない。そもそも、五姉妹はまるでそうするしかなかったから自殺をしたようで、いいも悪いも、死にたいも生きたいもなかったのかもしれない。真相は誰にもわからない。そして、なぜ自殺をしたのかよりも、少女たちのほのめかしに興味が募る。最大の被害者である姉妹の両親の想いは押しのけられているようで、読んでいても何故か悲しみは感じない。

体をまとう雰囲気がどことなくトルーマン・カポーティ著『冷血』を思わせる。中身は違うのに事件を追っているような感覚だからだろうか、それともその文体なのか。サスペンス感漂うぞくぞくするような、それでいて後味の悪さまでつきまとう。アメリカンミュージックがバックに流れるようで、一度読んだら絶対に忘れられない衝撃的な小説であることに間違いはない。

行当時この作品を読んだソフィア・コッポラさんがメガホンを取り『ヴァージン・スーサイズ』という映画を製作した。彼女の初監督作品である。この小説の世界観をどうやって表現したのかとても気になるから観てみたい。

『マーティン・イーデン』ジャック・ロンドン|富と名声で他人を判断する

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『マーティン・イーデン』ジャック・ロンドン 辻井栄滋/訳

白水社 2021.2.20読了

 

ャック・ロンドン氏の作品で最も有名なのは『野性(荒野)の呼び声』だろう。私も去年読み、大自然雄大さと生きるエネルギーを堪能した。この『マーティン・イーデン』は自伝的小説と言われており、ロンドンさんの作家になるまでの道のりが中心に描かれている青春小説だ。

乗りのマーティンは、ある日上流階級の娘ルースと出逢う。彼女の美貌と佇まい、知性に惹かれたマーティンは、ルースに釣り合う男性になるために知性を磨き作家になる決心をする。それにしても、お金持ちの家柄の女性と貧しい男性が恋に落ちるという鉄壁の展開。どうして逆はほとんどないのだろうか…。

は盲目という時には、普通は周りが見えなくなり突っ走ってしまうことが多い。このマーティンについては、盲目といっても自身を高めるための勉学と文学への想いに繋がっている。知識欲と教育への渇望から寝る時間も惜しみひたすら独学で学んでいく。

ーティンの学びへの熱望とルースへの想いが文章から弾けるようで、圧倒的なエネルギーを感じた。自由で、獣のようで、自信満々なマーティン。ジェントルマンになっておとなしくなったら、彼の魅力が半減してつまらなくなるんじゃないかと思いながら読み進めた。

んなものを犠牲にして、書いて書いて書きまくって、雑誌や新聞社に送っても芽を出さない作品群。これを読むと、一つの作品として世に認められるということはいかに難しいのかということを改めて感じる。

ースとも別れ、親友をも亡くし、打ちひしがれたマーティンにようやく日の目が訪れる。原稿料がどんどん入り有名作家となっていくのだ。ついにはお金持ちになる。そんな彼に群がる人たち。マーティンは「自分は昔から変わっていないマーティン・イーデンなのに、どうしてこうも反応が違うのか」と悩み続ける。別れたはずのルースまでやってくる。

間とは、富と名声で他人を判断する。特に上流階級の人にその傾向が見られ、ロンドンさんはそれを痛烈に批判している。結末がどうなったかが気になる方は、この小説を読むか、実際のジャック・ロンドンさんの生涯を調べてみて欲しい。

伝や自伝小説、評伝はどうしてこうもおもしろいのだろう。1人の人間にスポットを当ててその人の人生を一緒に辿ることで、自身も成長したように感じるのだろうか。その人が作家である場合には、本人が書く作品の見方も変わってくる。

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『街場の天皇論』内田樹|天皇制について考えてみよう

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『街場の天皇論』内田樹 

文春文庫 2021.2.19読了

 

2016年8月、当時の天皇陛下が「おことば」を述べられた。著者の内田樹さんは、陛下の「おことば」は、日本人が天皇制について根源的に考えるための絶好の機会を提供してくれたものと感謝の気持ちを以て受け止めたという。

皇は「象徴」であるとともに「象徴的行為」を行う務めがあると話された。「象徴的行為」とは実質的には「鎮魂」と「慰藉」だとした。つまり、先の大戦で亡くなった人々の霊を鎮めるための祈りと、災害の被災者を訪れて傷ついた人々へ慰めの言葉をかけること。高齢によって、全身全霊をもって象徴の務めを果たせなくなることから「生前退位」の意向を示した。「その通り。身体的にも精神的にもダメージがかかる大変なお務めだから無理しなくていいと思う」と、そのニュースを観て私は思ったものだ。

も多くの国民と同じで天皇制については深く考えたことがなかった。日本には象徴としての天皇がいて、政治の代表としては総理大臣がいると当たり前のようにすでにあったからだ。中学生の時に日本国憲法の前文を丸暗記させられたからか、今でも諳んじることができる。どうして若い頃に憶えたものは忘れないのだろう。

の「天皇制」というものについて内田さんが書いたいくつかのエッセイを集めまとめたものが本書である。天皇天皇制、他にも関連性のあるものについて内田さんなりの意見を述べている。「天皇制」と「立憲デモクラシー」という相矛盾するものを、実は共生するものではないかと捉え、それぞれがあることで住み良い社会になっていると内田さんは独自の見解を述べている。  

島由紀夫さんと東大全共闘の論戦にも触れられていた。確かに三島さんはしきりと「天皇」を意識していたし、『英霊の聲』では天皇を美的象徴と捉えた。映画を観たけれど、その時には東大生との白熱する議論にばかり目がいって天皇についての発言をあまり覚えていない。再度全文を読み直したい。

前友人が天皇一般参賀を訪れた時に、天皇・皇后両陛下のお顔を拝見しただけで、知らずと涙が流れ落ちたと言っていた。それを聞いた時は「そんなぁ」と笑っていたのだけれど、もしかするとそういうものなのかもしれない。日本独自の天皇制、しっかりと国民一人一人が考えていかなくてはならない。

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『春琴抄』谷崎潤一郎|春琴と佐助にしか見えないもの

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春琴抄谷崎潤一郎 ★

新潮文庫 2021.2.16読了

 

は見逃してしまったが、NHKの番組『100分de名著』で島田雅彦さんが『春琴抄』を解説したらしい。谷崎さんの作品では5本の指に入るほど有名な作品だが私はいまに至るまで未読だった。

じような出だしの小説をどこかで読んだような…。お墓参りのシーンから始まるのである。今は亡き春琴のお墓を探す語り手。もしかしたら過去に読んだことがあったのか、はたまた何かテレビで取り上げられていたのを観たのかしら。そんなことを思いながら、谷崎さんの文章にしばし浸かる。

目の春琴と弟子である奉公人佐助との師弟愛、ということは知識としてあったのだが、読んでみるとただならぬこの複雑な関係性に人間の凄みをみた。これは悲劇ではなく、むしろ2人の深い愛に満ちた幸福な物語だと思う。2人だけにしかわからないこの関係を他の誰が分かり得ようか。

初の春琴のあまりにもサディスティックな振る舞いに目を見張る。それに耐える佐助の、師匠春琴への愛と畏敬の念に、理解しがたい怖れに近いものを感じる。盲目になったら不幸なわけではない。不便さはあるがそれよりも、見えていた世界が見えなくなって初めて、今まで気付かなかった物事(大事なもの)が見えてくる。私たちはひょっとすると、目に見えるだけで些細な問題に時間を無駄に費やしてしまっているのではないか。

読点が少なく長ったらしい文章なのに、決して読みづらいわけでもない。むしろ美しいし読みやすくすら感じる。そして、どうしてだか文章が色っぽい。私には作品の内容と同じくらい艶めいた文体に魅かれる。句点がないのは、慣れてしまえばそんなに苦ではないけれども、日本語を習得したばかりの外国人がこの小説を読むのは文法的に相当難しそうだ。

説自体は文庫本で90頁ほどで短いのだが、頁にびっしりと埋まった文字を見ていると目眩がする人もいるだろう。一文が長く改行も少ないため文字の渦に巻き込まれる。私は活字中毒を自覚しているから大歓迎なのだけど、見えている文字に幸福感を覚えるのは春琴と佐助からするとちょっと違うのかもしれない…。

れにしても、やはり谷崎文学は圧倒的な存在感をもって私にのしかかる。『細雪』と並んでこの『春琴抄』は大切な作品となった。

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