書に耽る猿たち

読んだ本の感想、本の紹介、本にまつわる話

『高い窓』レイモンド・チャンドラー|マーロウがいちいちカッコ良すぎる

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『高い窓』レイモンド・チャンドラー 村上春樹/訳

ハヤカワ文庫 2021.3.23読了

 

月読んだ『ロング・グッドバイ』が素晴らしく良かったから、余韻冷めやらぬうちに、探偵フィリップ・マーロウシリーズの3作めである『高い窓』を読んだ。今回も村上春樹さんが訳したものにした。

の作品はいわゆる探偵モノの王道という印象を受けた。何故なら、マーロウが資産家の老女から調査の依頼を受けるという場面から始まるからだ。いつの間にか難事件に紛れ込んでいた、とかそういう類ではない。正当に仕事の依頼から始まる。

頼内容は、貴重な金貨を義理の娘が盗み行方をくらませたのではないか、ということで調査をして欲しいというものだ。仕方なしに仕事を受けるマーロウだが、殺人に巻き込まれるーー。それにしても、チャンドラー作品に殺人が出てきても、全く血生臭い感じがしないの、なんでだろう。

たもやマーロウがいちいちカッコいい。依頼をした老女エリザベスの屋敷の庭にある黒人少年の像に向かって「兄弟(ブラザー)、お互いつらいよな」とか「予想よりすさまじかったぜ、兄弟」と言って頭をとんとんと叩く仕草には、悔しいけれどやられる。

はマーロウ作品が映像化されたものを映画でもテレビドラマでも観たことがないのに、自分の中でのマーロウ像が鮮やかに出来上がっている。文章だけでここまでできるのはなかなかすごい。女性よりもむしろ男性が憧れるような人。優しくて思いやりがあって、ちょっぴりの皮肉とウィットのある語り口。孤高の人。そしてタフガイ。

ャンドラー作品を読んでいると、ハードボイルド・ミステリーなのに、犯人が誰だとか、動機は何なのかということに不思議と意識がいかない。文体を味わったり、マーロウその他登場人物の会話を楽しむことが目的になっている気がする。情景描写や比喩表現も上手い。だからというわけではないが、名作『ロング・グッドバイ』にはとうてい及ばなくても、読んでいるだけで心地よい気分になれるのだ。

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『死の島』小池真理子|人間は最期どうやって死ぬのがいいのか

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『死の島』小池真理子

文春文庫 2021.3.21読了

 

く文芸書の編集職をしていた澤登志夫は、定年後はカルチャースクールで小説講座を務めていた。しかし末期の腎臓がんのため講座を辞することに。元々妻子もあった登志夫だが、過去に不倫関係になった女性が原因で離婚し独身生活を送っていた。身体も不自由になった登志夫は自らの最期をどう終えようか考えるようになる。

初は、老齢に差し掛かった男性の無気力感とわずかな色めきがついたよくある話だろうと思っていたのだが、登志夫の小説講座に通っていた26歳の宮島樹里の過去が語られるあたりから、この作品に夢中になっていた。小池さん、やはり小説を書くのが上手いなぁ。長年こうして長編を描き続けられる彼女に改めて敬意を抱く。

志夫の家が、個人的に馴染みのある小田急新百合ヶ丘であることから親近感が湧いた。エルミロードのスタバが懐かしいやら、小料理屋「みのわ」はきっとあの辺にあるんだろうなとか。小池さん自身が住んでいたか何らかの縁がないと、こんなに詳しく書けないはずだ。

の作品を読むと「人はどうやって死ぬのがいいのか」「どうやって最期を迎えるか」について深く考えさせられる。特に登志夫のように、身寄りもなく1人で生きている者にとっては死に際が大事である。本の帯にある「尊厳死」とは、人間の死期が近づいた時、延命のための措置を一切行わず人の尊厳を尊重することである。登志夫は一体どうするのか。人が自由に生き方を選べるように、もしかしたらこれから先は死に方も自由に選べる時代が来るのかもしれない。

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アルノルト・ベックリン『死の島』

の小説のタイトルはベックリン作の画『死の島』から来ているわけだが、実は同名『死の島』というタイトルで福永武彦さんの小説もあるようだ。絵を観たいと思ってネットでググっているときにたどり着いた。福永さんの作品もすごく気になる。「死」は生きている以上永遠のテーマである。

池真理子さんの夫の藤田宜永さんは去年亡くなられた。夫婦そろって直木賞を受賞されたスーパー作家であるお2人だが、私はどちらの作品も好きである。小池さんは今も軽井沢に住んでいるのだろうか。これからも長く書き続けて欲しい。

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『ロード・ジム』ジョセフ・コンラッド|マーロウの語りからジムを想像する

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『ロード・ジム』ジョセフ・コンラッド 柴田元幸/訳

河出文庫 2021.3.20読了

 

ムという1人の人間のことを、マーロウの視点で描いた壮大なる物語。マーロウといえば、チャンドラー作品に出てくる探偵フィリップ・マーロウが思い浮かぶけれど、ここではチャールズ・マーロウ。柴田元幸さんの解説を読むと、多くの偉大な小説家がコンラッド氏の影響を受けているそうだ。

ムには呼び名がある。ロード・ジム、訳すと「ジム閣下」である。スマトラ島のパトゥザンという街で指導者となり皆に慕われている。しかしジムには絶望の過去があった。転落、絶望の困難を乗り越えて復活したジム。

んだろう、この感じは。決して読みやすくはない(むしろ読みにくい)のに、何故だかマーロウの語りに自分が取り込まれてしまう。何が読みにくいかというと、この構造だろう。最初の数頁を除いてほぼマーロウが誰か(むろん読者にも)に語りかけるというスタイルで、章はすべて会話で始まり会話で終わる(「で始まり、」で終わる、という意味)。そして会話の中でジムやマーロウが話した言葉には二重括弧(『』)で示されている。まぁ、これが慣れるまで本当にやっかいだった。

ムとパトナ船に乗っていた船長らは、乗組員800人を犠牲にして自分たちだけボートに乗り逃げ生き延びた。乗っていた人たちを助けずに。数年前に韓国で同様の事故があったが、自分が当事者で今にも船が沈みそうになったら、自分の命を一番に考えてしまうのではなかろうか。生きている者の本能として当然ではないだろうか。

かし裁判でジムらは船乗りの名誉を剥奪されてしまう。そんなジムにマーロウは助けを差し伸べる。ジムの若さと、真の強さと、どこか放っておけない魅力に取り憑かれたマーロウは、ジムの生きる道を師と仰ぐスタインに相談する。そしてパトゥザンへの道が開かれる。

ーロウが何故こうまでしてジムを気にかけたのか?そしてマーロウの語りによってのみ知ることができるジムとは、本当はどんな人物だったのか?真のジムを知る術はない私たちはマーロウを信じるしかない。物事は、実は誰かのフィルターを通してからしかわからないということをコンラッド氏は伝えたかったのかもしれない。

もが他人を犠牲にして自分を優先したという過去を持っていると思う。それを自身が気付くか、考えるかどうかが、その後の人生をどう生きられるかに繋がるのではないだろうか。長い長い物語であり、理解できたとは到底言えないが、何か心に引っかかる重しを残す作品である。

こか既視感を覚えたと思ったら、河出書房の池澤夏樹編集世界文学全集の中の1冊であり、刊行当時興味を持っていた作品だった。数年経てば文庫になる(マリオ・バルガス=リョサ著『楽園への道』もそうだった)ものもあるから、全集を集めているのでなければ「待ち」もありだ。それにしてもこの文庫本のジャケット、センス良い。

『ガダラの豚』中島らも|超常現象てんこもり

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ガダラの豚』Ⅰ  Ⅱ  Ⅲ  中島らも

集英社文庫 2021.3.16読了

 

島らもさんといえば、アル中で躁鬱家、なかなかはっちゃけた人というイメージがある。小説家、エッセイスト、放送作家である彼は『今夜、すべてのバーで』で吉川英治文学新人賞を受賞した。私は過去にこれしらもさんの本を読んでいない。確か、らもさんが亡くなった時に読んだはずだ。

の小説の主人公、テレビで人気の民俗学教授大生部(おおうべ)は、まるでらもさんを彷彿とさせる。らもさんの小説は私小説に近いといわれているから、どの本を読んでもらもさん本人を思い浮かべてしまうのかもなぁ。信仰宗教、超能力や呪術などのオカルトめいたものがテーマだ。私は結構UFOなど神秘に満ちたものがわりあい好きなほうだけど、苦手な人は結構ついていくのが辛いかも。

語としては3章立てになっている。第1部は大生部の妻が新教宗教にはまっていく話。第2部は大生部家族とテレビ番組チームらがアフリカ・ケニアに行く話。ケニアのガイドさんが変な大阪弁を喋るもんだから、アフリカの話なのに違和感を覚えっぱなしだった。第3部はアフリカから日本に戻ってからの話、からのエピローグ。

酒を愛してやまない天才であり狂人であるとも言われていたらもさんは、どんな方だったのだろう?テレビ越しでしかわからないから本当の姿を知る由もないが、知る人は「弱くて純粋な人」と言う。今回らもさんをWikipediaで読んでみたら、破天荒な人生を歩んでいると改めて思った。

りたいことしかやらない、その精神を貫いたらもさん。大金持ちではない限りは普通そんな人は生きていけないし、そもそもお金を稼ぐことが難しい。それなのに、らもさんはやりたいように生きて人々を魅了した。やはり存在そのものに魅力があり才能もある方だったのだ。 

の『ガダラの豚』は有名な作品であるが、読む前は、もっとしっちゃかめっちゃかなんだろうなと予想していたのに、意外にも(失礼だが)ちゃんとした小説であった。いや、内容や登場人物の言葉違いなんかはらもさんらしい。文章自体が綺麗に思えたのだ。もしかするとららもさんの純粋な心が表れているのかもしれない。

でこそこういったストーリー展開はありそうだが、当時は斬新だったろうと思う。実は第1部が1番おもしろくて、だんだん尻すぼみというか若干飽き気味になってしまったのが正直なところ。たぶん、今と違って当時は「テレビ」が全盛期だったからかもしれない。この作品は「テレビ」があって成り立っている話なのである。まぁ、それでも極上のエンタメ作品には変わりはない。

の『ガダラの豚』は先日「柳美里選書」で選んでいただいた本である。文庫本で3冊あるが、あっという間に読める。そうそう「ガダラ」とは、はキリストが訪れた地域・地方の名前で、そこに豚の群れが出てくる1つのエピソード(マタイによる福音書第八章二十八~三十二)がこの小説のタイトルになっている。

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『フォックス家の殺人』エラリイ・クイーン|探偵エアリイ、12年前の真実を暴けるか?

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『フォックス家の殺人』エラリイ・クイーン 越前敏弥/訳

ハヤカワ文庫 2021.3.14読了

 

ォックス、つまりキツネである。目次に書かれた見出しを見ると、すべて「きつね」になっている。例えば「1 子ぎつねたち」「2 空飛ぶきつね」のように。この作品に登場する家族の姓がフォックスである。目次だけ見たら子供向けの絵本のようだが、れっきとした本格ミステリだ。

地中国から帰還したディヴィー・フォックスは激戦による心傷が癒えない。ある夜妻のリンダを殺そうとしてしまう。原因は戦争ではなく、過去に起きたディヴィーの父親の事件が絡んでいると思ったリンダは、エラリイに調査を依頼する。12年前に起きたフォックス家の殺人事件にエラリイが挑戦するストーリーである。

の「ライツヴィルシリーズ」は、ライツヴィルという人口1万人の小さな街を舞台にしたシリーズであり、作家であるエラリイ・クイーン(著者と同姓同名)が事件を解決していく。『フォックス家の殺人』は2作目であるから、1作目の『災厄の街』を読んでからのほうが良かったかもしれない。それでも、1話完結型なので充分楽しめる。

だ、探偵エアリイの特徴やら何やらがほとんど語られていない。さも読者は知っていて当然のようなスタンスなのだ。特定の熱狂的読者しかついていけないのではと思うほど。この作品だけ読んでもエアリイのキャラがあまり発揮されていないように感じた。(そういう意味ではクリスティーさんのポアロやマープルはどの小説から読んでも生き生きしている!)

盤からの展開には、さすがミステリの巨匠による作品なだけあって、手に汗握り先が気になって仕方がない。だんだん頁を捲るのが早くなるタイプ。エラリイの推理と巧みな謎解きに興奮し、フォックス家の人々の人間性に感情移入する。

も私は事件を解決していく過程よりもむしろ、第1章にあたる導入部分がとても好きだ。文学的な香りがするし、これからこの家で何が起こるんだろうと訳もわからずゾクゾクする不穏な感じがとても良い。探偵クイーンがわからない!など書いてしまったけれど、クイーン研究者なる方による解説を読むと、熱狂的ファンならではの楽しみ方がありそうである。

近クリスティーさんの作品ばかり読んでいたけれど、ミステリ黄金時代を築いた同時代のクイーンさん、クロフツさん、カーさんの作品も読もうと思い始めた。エラリイ・クイーンというペンネームの正体は、実は従兄弟同士のダネイとリーの2人である。そして、作中の探偵も同じくエラリイ・クイーンだ。国名シリーズにも登場する。「エラリー」という表記に馴染みがあるが、早川書房だけ「エラリイ」にしているようで、早川書房ならでわのこだわりっぷりがいい。

はクイーン作品は、はるか昔『Yの悲劇』と『Xの悲劇』しか読んでいない(しかもほとんど覚えていない)。ライツヴィルシリーズも今回初めてだが、有名な国名シリーズも一冊も読んでいない。まだまだ読みたいものがたくさんあるなぁ。

『悲の器』高橋和巳|転落と自滅|第1回文藝賞受賞作

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『悲の器』高橋和巳

河出文庫 2021.3.13読了

 

39歳で早逝された天才作家高橋和巳さんを皆さんご存知だろうか。私は今まで彼の作品を読んだことがなかった。そのことを悔やみつつも、今回読んで本当に良かった。この『悲の器』を読むと著者高橋さんのすごさがわかる。

当は『邪宗門』を読むつもりが、いきつけの書店に在庫がなく、この『悲の器』があった。どうやらデビュー作であり、いま注目の文藝賞を第1回で受賞されている。これもいいきっかけだと思いまずは本書を読んでみた。

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学教授である主人公正木典膳(まさきてんぜん)は、妻静江が病床に伏せている時に、家政婦米山みきを雇う。みきとの関係は、雇う側と使用人の関係に留まらなくなる。静江の死後もそんな関係が続いていたが、正木は年若い令嬢栗谷清子との再婚を発表する。みきは損害賠償請求で正木を告訴、正木は名誉毀損で告訴する。

頭でこの小説の筋書きは記されている。正木が過ちを犯した経緯や過去の出来事を徐々に振り返りながら、一方で訴訟の行方が同時進行で語られていく。老齢に差し掛かるエリート正木の転落の告白である。終始正木の苦悩とその中にある正当性のようなものが語られる。

なる不倫の物語ではない。むしろ戦中の思想統制や戦後の法統制について論じている部分がかなりの文量を占めている。著者高橋本人が体験した学園紛争からも影響を受けているようだ。転落・自滅の物語であるのに、正木はそれをどこかしら俯瞰しており、ある種悲劇のヒーローのように自らを感じているようだ。

島作品ほどの淫靡さはないが、高橋さんの文章を読んでいるとどこか三島さんの筆致を感じるときがあった。時代背景もさることながら、政治的側面があるからだろうか。同時代を生きた高橋さんと三島さんは、実際に交流もあったようだ。

代の作家の腕が衰えたとは全く思わないし、それぞれの時代に合った作家が生まれてくるのだと思う。しかし、昔の(とりわけ昭和初期)作家は知識量と文章の厚みが半端ないなと感じる。高橋さんにいたっては、読みながらお腹いっぱいになりそうで、文章から圧がかかるような熱が籠っている。理屈っぽいものが好きな人にとってはたまらないだろう。

の作品が高橋さんの初めての小説で、公募の文藝賞を受賞し文壇デビューした。書いた頃は20代後半だったと言うから驚きだ。正直時間のかかる長い小説である。もっと削ったほうが作品としてまとまりがあるようにも思えてしまう。それでも私は好きだ。名作と名高い『邪宗門』や『憂鬱なる党派』も読むつもりである。

の令和の時代に高橋和巳さんの作品を読んでいる人は日本中でわずかではなかろうか。宇佐見りんさんの推しで中上健次さんの本が読まれているように、誰か著名人に推して欲しい。廃れさせてはいけない日本文学作家の1人である。奥様で作家であった高橋たか子さんの作品もこうなると読んでみたくなる。

『生きるとか死ぬとか父親とか』ジェーン・スー|母が繋ぐ父と娘の絆

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『生きるとか死ぬとか父親とか』ジェーン・スー

新潮文庫 2021.3.10読了

 

ジェーン・スーさんという方、私が知ったのは最近なのだが、なかなかおもしろい方のようだ。自らを「未婚のプロ」と称し、生粋の日本人なのに外国人であるかのような名前をつけている。その理由も笑ってしまうから気になる方はググってみて欲しい。

ーさんは音楽プロデューサー、作詞家でありながらコラムニスト、エッセイストとしても広く活動されている。ラジオも有名なようだ。同世代の、つまり中年女性からの圧倒的な共感を得られて人気になっている。

24歳のときに母親を亡くしたスーさんはその後は家族といえるのは父親だけ。肉親なのに実は父親のことを何も知らないことに気づいた彼女は、父親の了承のもと、過去の出来事や母親との思い出、生きる哲学のようなものを父から聞き、エッセイにして書き連ねた。なんと、原稿料や印税はそっくりお父様のものになるらしい。

いていの女性が父親のことを「うざい」と思う中高生の頃、スーさんが類に漏れずそうだったのか、それともそんな時期がなかったのかはわからないけれど、比較的父親との関係性は良好といえる。そこかしこに父親への愛情が感じられるのである。そうでなければ父親を見て「この男にはなにかしてあげたいと思わせる能力がある」なんて言わないし、娘のスーさん自ら「この男を無条件に甘やかしたくなるときがある」なんて言わないだろう。

子はやはりどこかで似通っている。それは顔が似ているとか、体つきが似ている視覚的なものだけではない。思考や言葉遣い、癖も自然と重なる。同じタイミングで2人して左の奥歯がなくなっているというエピソードには、なんというか血縁の因果を感じた。

親のことを話しているのに、この作品には亡き母親の存在がとても大きいように思う。天国からスーさんのお母さまが2人を覗き込み、父と娘の2人が仲良くするのをきっと微笑ましく見守っているはずだ。

の作品は、4月からテレビ東京で吉田羊さん主演でドラマ化されるようだ。羊さんが黒縁メガネをかけるとスーさんの雰囲気に似ているかもしれない。ちょっと気になるなぁ。深夜帯の放送のようだし。

『レストラン「ドイツ亭」』アネッテ・ヘス|ホロスコート裁判に向き合う|国民が知るべきこと

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『レストラン「ドイツ亭」』アネッテ・ヘス 森内薫/訳 ★

河出書房新社 2021.3.8読了

 

し不気味な感じだけどかわいくもある表紙のイラスト(ついでに言うとゴッホ作「夜のカフェテラス」の構図や色合いに似ている)、タイトルの朴訥で大きめの字体に妙に惹かれて手に取ってしまった。現代ドイツ作家の本を読むのは久しぶりである。

れがとてもおもしろかった。多少癖がある私の好み(誰でも嗜好は人それぞれだが)がどうこうというよりも、この小説はおそらく誰が読んでも満足できると思う。物語を読む楽しさ、過去の歴史の学び、人間の生き方を考えること、そんなものがぎっしり詰まっている。難しすぎず易しすぎず、程よい感じも良い。

ストランがこの作品の舞台であり料理をめぐる話なのかと思いきや全く違った。物語は1960年代、2つの場面が進行する。1つはドイツの司法がドイツ人を裁いたアウシュビッツ裁判を巡るストーリー。その裁判において原告側証人(ホロスコート被害者)の通訳を務めるのが主人公24歳のエーファである。もう1つのストーリーがエーファと婚約者、家族を巡るストーリーだ。エーファの両親が営むのがこの小説のタイトル「レストランドイツ亭」である。

もそもアウシュビッツで何が行われていたのかはドイツ人も当時は理解できていなかったようだ。去年『夜と霧』を読んで、私もその事実と無惨さをようやく少し認識した。著者のアネッテ・ヘスさんは、収容所での生還者の声をまとめ、それをフィクションにして様々な人々の人間模様を絡めながら素晴らしい作品に仕上げた。 

ーファは何故、国家の大きな問題に関わる大変な通訳の仕事を引き受けたのか?何が彼女を突き動かしたのか?そんな自問を繰り返すシーンを読んで感じた。誰しもが何かに突き動かされずにはいられないという場面に出くわす。反対されようが、辛い獣道になるとはわかっていても、身体が勝手に動く血が燃え盛る感覚。本を読み終わる頃にはエーファは確実に成長している。

廷ものをかなり久しぶりに読んだ気がする。私の中で法廷ものの王道は、ジョン・グリシャムさんだ。マシュー・マコノヒーさん主演『評決のとき』は映画館でも観たし今でも心に残っている。法廷ものは日本よりも海外のほうが人気があるように思う。

者のアネッテ・ヘスさんは、様々な仕事を経験したあと、舞台やドラマ等の脚本を手掛けている。この作品は小説初挑戦ということだが、その出来栄えにも驚かされる。海外の翻訳小説は国内の作品に比べて当たりの確率が高い。というのも、他国の言語を訳して自国に広める試みをするという時点で、良い作品と認められているからだ。多分、いま日本語で読める海外の作品は、母国ではどれもベストセラーなのだろう。

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『野良犬の値段』百田尚樹|時代を象徴したエンタメ作品

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『野良犬の値段』百田尚樹

幻冬舎 2021.3.5読了

 

う小説は書かない、って百田尚樹さん言ってたのになぁ。しかもそんなに月日は経っていないのに。お馴染みの幻冬舎から出版されているから、見城さんから勧められたのかしら。いずれにせよ読者からすると、まだ書き続けてくれるのは喜ばしいことだ。

るサイト上に「私たちはある人物を誘拐しました。これから実験をします」という不可思議な書き込みがあった。それをツイートした人がいて、反応する世間がいて、警察やマスコミが真相を探っていくストーリー。「百田さんがついにミステリを書いた」と書かれているが、私にはそうは思えない。

ステリではなく時代を象徴したエンタメ全開作品に仕上がっている。まるでテレビドラマになりそうな。そして、とびきり読みやすい。登場する人物の正体に気づいた時、柳美里さんの『JR上野駅公園口』や超有名人気作家の直木賞受賞作品が思い浮かぶ。

ィクションのため実在の人物・団体とは一切関係ないと謳っているが、だいたい予想がつく。あのテレビ局だ、あの出版社だ、あの事件だと。それを百田さんも狙っているのだろうけど。『カエルの楽園』の時も直球だったなぁ。ここまでくると潔い。

代を象徴した作品と言ったのは、TwitterをはじめとしたSNSが絡んでいるから。もはや現代小説の中にSNSが出てこないものはないのではないか。サイトを作る側も、見る側も、SNS依存・スマホ依存が度を越している。

自身も、つい先日LINEの不具合があり一日中スマホと格闘していた。生きるか死ぬかのような瀬戸際でも何でもないただのスマホのバグなんだからほっとけばいいのに、落ち着かない現代人ゆえの病。私もそんな病を抱えた1人なのだとつくづく嫌になってしまった。

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『河岸忘日抄』堀江敏幸|船での日々の営み

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『河岸忘日抄(かがんぼうじつしょう)』堀江敏幸

新潮文庫 2021.3.4読了

 

月読んだ堀江敏幸さんの『雪沼とその周辺』がぴたりと好みに合っていたから、2冊めを手に取る。読売文学賞を受賞された長編である。これは小説なのか随筆なのか、エッセイなのか。まるで保坂和志さんの本を読んでいるかのように曖昧極まりない作品だった。  

れにしても美しいこの文体は堀江さんならではで、字の並びを見ているだけで静謐な空気になる。主人公の「彼」は河岸に停泊している船に住んでいる。日本ではなくフランスだろうか。たまに訪れる郵便配達夫、船を貸してくれる老齢の大家さん、探偵の枕木さん、そして見ず知らずの少女との会話により、日々の営みがほのかに浮かび上がる。

人的に最近気になっているフランスの小説家ブッツァーティさんの本が作中に登場する。これは読むしかないなと思う。気になる本や作家が読んでいる作品に登場すると、もはや運命のように感じてしまう感覚。クロフツ著『樽』は昔読んだけどそんなに合わなかった気がする。チェーホフ氏はまだ読んだことがない。クリスティー著『象は忘れない』もまだ。「彼」は船に置いてある本を読んだり、置いてあるレコードを聞く。

トーリー性があまりないのにも関わらず、こんなにも心惹かれる作品を作ることが出来る作家を尊敬する。いつの間にかこの船に住む気分になり、日々の暮らし向きがとても大切なものに思えてくるのだ。彼が住む世界には便利なものはほとんどない。それでもどうしてか豊かで幸せに暮らしているように感じる。

ころで、どこの出版社にも言えるのだが、同じ文庫レーベルといえども作品によって印字体が異なるのはどうしてだろうか。どうやら印刷する時期によって違うというわけでもないらしい。新潮文庫の堀江さんの作品はおそらく髙村薫さんの作品と同じ字体である。漢字と平仮名をタイプライターを使って刻印したような印刷で、私にはどうもこれが味わい深く思えてしっくりくるのである。

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