書に耽る猿たち

読んだ本の感想、本の紹介、本にまつわる話

『結婚という物語』タヤリ・ジョーンズ|夫婦のあり方、親子の絆

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『結婚という物語』タヤリ・ジョーンズ 加藤洋子/訳 ★

ハーパーコリンズ・ジャパン 2021.7.15読了

 

の他人同士が「結婚」という契約を結んで、一緒に暮らしていく。人生を共にすること。家族をつくること。多くの人が生まれた時から一緒に住む親子の関係とは違って、自分の意思で相手と一緒になる。

婚後わずか1年半で、相手が冤罪のため刑務所に入ってしまったらどうするだろうか。今までと同じように愛し続けられるのか。残された側は待てるのか。一緒に暮らしていなくても「結婚」と言えるのだろうか。結婚は生活の積み重ねなのではないのだろうか。

のロイ、妻のセレスチャル、セレスチャルの幼馴染のアンドレの3人の視点で物語は語られる。時には手紙のやり取りで。冤罪や結婚の絆が描かれた涙なしには読めないようなストーリーを想像していたのだが、良い意味で裏切られ、サスペンスにも近く頁をめくる手が止まらなかった。とてもおもしろかった。

婚というテーマではあるが、実は親子の愛についても存分に書かれている。私は、それぞれの親が子を想う気持ちのほうに心を持っていかれたような気がする。親は子供が何をしても味方でいてくれる。

題は『結婚という物語』であるが、原題は「marriage story」ではなく『An American Marriage』である。もしかしたらアメリカ的な意味での結婚という要素が強いのかもしれない。おそらく、アメリカにおける州ごとの罪の裁き方、そして刑務所の仕組みが彼らの結婚観、人生観を変えた部分がある。

に「オバマ元大統領絶賛」とあるから、それに惹かれて(オバマさんオススメ本は、結構当たり外れというか自分に合うかは半々なので半信半疑だったが)手にしたが、これは著者のストーリーテリング、構成的にも素晴らしく夢中になれた。邦訳されていれば他の作品も読んでみたい。

『星月夜』伊集院静|推理小説かなぁ?|大谷翔平選手は日本の星!

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『星月夜』伊集院静

文春文庫 2021.7.13読了

 

月夜(ほしづきよ)と聞くと、私はフィンセント・ファン・ゴッホ作の絵画を思い浮かべてしまう。現実にあるような星空ではなく、油絵の具を塗りたくった肉厚の空と大きな星たち。でもこの作品を読んだ後に思う星月夜は、深い藍色の空に浮かぶ小さな星のかけらだろう。亡くなった大切な人がその星になったかのように。

京湾に若い女性と老人の2人の遺体が浮かぶ。捜査をするのは捜査一課や鑑識課の警察の面々。一方で行方不明の家族を探す人たちもいる。どんな風に繋がっていくのか。

集院静さんといえば、純文学の作品群や大人の上質なエッセイでよく知られる。推理小説はこの作品が初めてだということだが、綺麗度が過ぎていて、ミステリー感が薄いように思う。悪いわけではないけれど、いつもの作品の方が私は好きだ。

件を追う警察のキャラクターが少し薄いからだろうか。いや、薄くはない。鑑識の葛西刑事は味わいすらある。警察だけではないが、どのキャラクターも特に目立つことがないから際立つ人がいない。それに推理小説と売り出さない方が反応は良いのではないかな?と思う。文章はいつものように美しく読みやすい。

集院さんは昨年くも膜下出血を発症したが、なんとか生還を遂げた。まだまだお元気でこれからも良い作品を書き続けてほしいと願うばかりだ。

 

★★★

本とは関係ない話になるが、今日(これを書いているのは7/13)10:30頃、「始まるよ」と上司から声がかかる。仕事中ではあるが、エンジェルズの大谷翔平選手のホームランダービーをライブ中継で観戦した。結果は一回戦敗退ということで残念だったけれど、延長戦、延長戦となる展開、大いに盛り上がった。試合でもないのにこんなに興奮出来る、日本中をも笑顔にさせる。普段と違う大谷選手の姿、周りの選手たち、ファンの表情を観ていて、単純に楽しかったし感動すらおぼえた。

夜のニュース番組で編集されたものを見た。もちろん、事実やその場ではわからないエピソードなんかがわかるし「活躍すごいな〜」とは思う。だけど、やはりリアルタイムでノーカットで観るのとでは全然違う。マスコミの編集者の独断で編集されるものが全てじゃない、自分が何を見てどう感じるのかは人によって違うんだもの。そういう意味では菅総理や政治家が話すことも、ピンポイントではなく全てにちゃんと耳を傾けないといけないのかなとも思った。

勤務中にもこうして業務の手を止め、テレビ観戦していた会社が日本にたくさんあるだろう。世界でこれだけ活躍しているなんて、もうそれだけで日本の誇りだし、希望の星が大谷翔平さんだ!

『お菓子とビール』モーム|人生を楽しくするもの

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『お菓子とビール』サマセット・モーム 行方昭夫/訳 ★

岩波文庫 2021.7.11読了

 

ーム氏の小説は『月と六ペンス』『人間の絆』を過去に読んでいる。それらに並ぶ代表作がこの『お菓子とビール』だ。なんでも本人が1番好きな作品として挙げているため、以前から気になっていた。読んで納得、とてもおもしろかった。これは大人が楽しむ味わい深い極上の物語だ。

入部分が斬新で引き込まれる。留守の間に電話がありましたよ、と下宿のおかみに言われる。どうやら相手は大事な要件だと言う。でも、こういう場合は電話をかけた相手が大事だというだけで、こちらにとってはそうでもないことが多いという。なるほど、人間の真理を哲学的に諭すこの感じ、さすが人間観察力に優れたモーム氏である。

り手はアシェンデンという男性作家。作家仲間であるエルロイ・キアからのこの電話をきっかけにして、青春時代の出来事を回想していくストーリーである。亡くなった文豪ドリッフィールドと彼の最初の妻ロウジーについて想いを馳せる。

ジーの破天荒な男性遍歴は信じ難いが、どこか奔放で潔くも感じる。「いらいらしたり嫉妬するなんて愚かしいわ。今あるもので満足すればいいじゃない。そう出来るあいだに楽しみなさいな。百年もすれば皆死んでしまうのよ。そうすれば何も問題じゃあなくなるわ」

イトルの『お菓子とビール』は暗喩であり、本文には直接登場しない。敢えて単語が出たのは、ドリッフィールドが晩年バーで飲む「ビール」であり、ロウジーが老後に食べる「スコーン(お菓子)」であろうか。「お菓子とビール」はシェイクスピアの作品にある句で、「人生を楽しくするもの」「人生の愉悦」という意味があるらしい。ロウジーの生き方がまさにこれなのだ。

行当時は、英国文壇の真実を明るみにし批判したような作品だとも言われたらしい。外国文学が好きな人はより楽しめるだろうし、モーム氏の巧みなストーリーテリングによって単純に先が気になって仕方ない。そして、最初に述べたような人間真理の探究が散りばめられている。不思議と登場人物みなが愛おしく、読み終わったあとには晴れ晴れとした気分になる。

『吉野葛・盲目物語』谷崎潤一郎|中期の名作をどうぞ

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吉野葛・盲目物語』谷崎潤一郎

新潮文庫 2021.7.9読了

 

崎さんの中期の2作品が収められている。古き良き古風な日本語の文体で、一見とっきにくいのに滑らかで麗しい。2作品ともタイトルだけは知っていたが、内容は想像とかなり違っていた。

 

吉野葛

かつての同級生津村に誘われ、大和の吉野地方(今でいう奈良県の中腹)を取材旅行した「私」により語られる一人称の小説である。随筆に近い。「私」は小説の題材として吉野の歴史などを調査するのだが、実は津村のほうがこの地を訪れたい理由があった。主人公と本筋がいつの間にかすり替わってしまうような筆致が見事である。

吉野の大自然の壮大さが行間からはみ出るようだ。また、谷崎氏が歴史を大切にし、魅了されていることがわかる。取材で立ち入った大谷家で、お菓子として出された「ずくし(熟柿)」のたまらない表現ったらない。柿はあまり好まない私だけれど、谷崎さんの文章にやられて食べたくなってしまった。また、「材料負け」という言葉も初めて知った。なるほど。

 

『盲目物語』

タイトルだけ見ると同じく谷崎さんの『春琴抄』や宮尾登美子さんの『蔵』を思い浮かべる。時代物だったとは思わなかった。浅井長政の妻、お市の方の悲劇を中心とした戦国時代に生きる人たちの生き様を、弥市という盲目の按摩師が語る。

作品が格調高く当時の雰囲気がよくわかるのは、弥市の丁寧で古典的な言葉遣いもさることながら、ひらがなを多用していることが大きい。「加担」を「かたん」と平仮名にして書かれてあるのだが、その「かたん」の右側に漢字で「加担」とルビが振ってあるのだ。ルビが漢字とは!!

 

説を読むと、谷崎氏の長い執筆生活は前期、中期、後期の3つに分かれるという。耽美的、官能的な『痴人の愛』は前期だという。私がより好むのは『春琴抄』など中期以降に当たるらしい。なんだか『細雪』を再読したくなってきた。『細雪』は後期作品になり、谷崎さんの集大成との呼び声も高い長編小説である。

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『正弦曲線』堀江敏幸|恋してしまったらしい

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『正弦曲線』堀江敏幸 ★

中公文庫 2021.7.7読了

 

者の堀江敏幸さんは、三角関数のサイン、コサイン、タンジェントの「サイン」を書くときには必ず日本語で「正弦」と括弧付きで入れるそうだ。日本語のその響きと、漢字そのものの美しさを愛する所以だろう。ゆるやかな波型の曲線は、人生と同じように不確定であり、それを楽しもうとする心が大事だと語る。

帳は落とすためにあるという考えがなんだか微笑ましい。そんなわけないくせに!測量野帳というノートが気になって調べてみたら見たことあるではないか。ふとした時に思いついたものや気になる言葉を書き留めるのに、私も小ぶりのノートが欲しいと思っていた。

のタイトルが「人生の悲劇」とあるから、どれだけ重いテーマなんだろうと思っていたら、なんと「切手」の人生だった。切手を貼るには、舐めるか、水を付けるか、ダブル付けだとどうなるか、などとまぁどうでも良さそうなことをつらつらと語っているのだが、これがなんともおもしろい。感性がぴたりと合う。いちばんしっくりきたところをそのまま引用する。

現在の私はこう考える。そもそも記憶とは、話しながら、確認しながら徐々に思い出し、前後左右のぶれを修正しつつこしらえていくものであって、ある事項が「記憶にないのは当然」なのだと。記憶にないからこそ思い出してみようと努めるべきなのであり、そのような努力のかけらも見せない連中の言葉をー(省略)。(60頁 記憶の召喚)

画のようにそれ自体が作品だったり、大事な大会、記念式典など後世に残すべきものはもちろん映像に残さなくてはならない。しかし、何でもかんでも映像に残そうとすることは、記憶力の喪失に繋がってしまうのではないか。私たち個人の24時間を始終録画できるはずもない。記憶を遡ることで、大切な思い出となり得るのだ。現代人は写真や動画に頼りすぎている。

の作品は上質な随筆集である。些細なことだが妙に気になる日常のふとした疑問などについて、堀江さんならではの繊細な感性で文章にしている。随筆(エッセイ)は気軽に読め、その著者の人となり、思考だけでなく嗜好もわかり親近感が湧く。小説が大好きな私にとってはエッセイを読んでそんなに感動したりすることはないのだが、これはかなりのヒットだ。

江さんの文章にはやはり引き込まれるものがある。月並みな表現だが、素晴らしい、美しい。文体の心地よさが心に染み入る。読んでいるだけなのに気持ちが昂ぶる。私はもはや、堀江さんが書くものに恋してしまっているらしい。

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『ホワイト・ティース』ゼイディー・スミス|歯は白い、みな同じ

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『ホワイト・ティース』上下 ゼイディー・スミス 小竹由美子/訳

中公文庫 2021.7.6読了

 

潮クレスト・ブックスで刊行されているのだが、絶版になり手に入りにくかったこの作品。このたび中公文庫から復刊されたのを知り、思わず書店でにんまり。

走感あふれる文章とリズム。イギリス文学というよりもどちらかというと現代アメリカ文学のよう。時代も内容も全然異なるのに、雰囲気は騎士道物語として有名な『ドン・キホーテ』のようだ。そう、もはや喜劇に思える。

にコミカルなのは前半(上巻)である。ロンドン育ちでいわゆる「いい人」のアーチーと、バングラデシュ出身のムスリムで教養と端正な容貌を併せ持つサマードとの友情は、戦地で一緒に戦った者同士ならではの絆がある。中年になった彼らが再会するところから始まるが、物語は過去や結婚相手の視点へと移り変わる。

して後半(下巻)は、アーチーとサマードそれぞれの子供たちの物語となる。著者がこの作品を書いた年齢に近いからか、登場人物の心情がより鮮明に映し出されているような気がする。SNSスマホやらが一切出てこないから、20年ほど前の作品というのは納得できる。

体を通してスピード感がある。息つく暇がないほど目まぐるしく、多様性、宗教、遺伝子工学、園芸など色々なものがごちゃまぜに詰まっている。文字通り、ゆっくり息が出来ない感覚で、読んでいて少し疲れたのが正直なところ。

イトルが「ホワイト・ティース」=「白い歯」というのはどういう意味なんだろう?とずっと考えていた。作品中でも「臼歯」「犬歯」「歯医者」「親知らず」など、歯にまつわるエピソードは何度か出てきて、小見出しのタイトルにもなっている。

れよりも、肌や髪の毛の色が違っても歯の色は同じ、つまり人間はみな同じだということを著者は伝えたかったのではないか。もはや人間だけでなく、歯は動物だって魚だって白いのが当たり前。そう思うと「歯」ってとんでもないものなんだなぁ。

者が女性で、これを書いたのが若干24歳だったこと、これは最初から知識としてあったけど、知らなかったら絶対に壮年男性が書いたものだと思うはずだ。文章や構成、物語としての完成度が優れているのはもちろんだが、前半の、アーチーとサマードの中年男性ならではの下半身事情はそうそう書けるものじゃない。ともかく、これだけの壮大な物語を想像力で描けたというのが驚きだ。

『本心』平野啓一郎|本心がわからなくたっていいじゃない

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『本心』平野啓一郎 ★

文藝春秋 2021.7.4読了

 

月発売されたばかりのこの『本心』は、刊行前から話題にも上り、特設サイトまである(まだ中身は見ていない)くらいだから、やはり平野さんの人気は凄まじい。そんな私も平野さんのファンの1人であり、小説が刊行されたら必ず買っている。平野さんクラスになると期待が大きすぎて、読むと「こんなものか」と思ってしまうこともあるのだが、そんな予感は稀有に終わり、非常に深みのある作品だった。

の小説ではVF(ヴァーチャル・フィギュア)が登場する。AF(AIフレンド)を主人公にしたカズオ・イシグロ著『クララとお日さま』を連想する。日常生活にも浸透してきたAI関連の作品が増えそれに興味を持つのは、私たちに身近な存在になりつつあると実感しているからなのだろう。AIが人間に取って代わられるという多少なりともの脅威もあるのだろうか。

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ララと違って、この小説では石川朔也という人間の視点で語られる。作品の舞台は2040年とそう遠くない未来、「自然死」以外に「自由死」が認められている。朔也の最愛の母親は事故死で亡くなったが、生前「自由死」を希望していた。朔也は母親がいなくなった虚無を埋めるためにVFを作ることにする。そして思いもよらなかった母親の本心を知ることになるー。   

人タクシーを拾ったり、レストランではレーンから料理が運ばれたり。本当に20年後にはありそうな近未来の様々な生活様式。ますますAIによる機械化が進み、人間の感情表現が乏しくなってしまうのかと思いきやそんなことはない。朔也はVFの母親や、現実に生きる人々との関わりを通して成長していく。

は「本心」を隠すことなしには生きられないのではないだろうか。そもそも、自分の「本心」すらわからないことだってあるのではないか。そして、「本心」がわからないほうが人を幸せにできるならそれでもいいじゃないかなんて思った。

の小説には疑問符が多い。朔也が問いかけることは、私たちが日々自問自答していることで、でも外部に向かっては発信できていないことだ。人の「本心」とは何かを探ると同時に、格差社会の問題を社会に投げかけている。貧富の差から生まれる、どう足掻いても自分の力では埋められないもの。また、国籍による格差についても考えさせられる。

親が産まれてきた赤ちゃんをまるで殺めようとしているかのように見える単行本ジャケットの絵は、少し恐ろしくもある。ラストが若干まとまりがないように感じてしまうが、平野さんの美しく人の心を打つ表現が読んでいて心地良かった。AIフレンド、ヴァーチャルの母親ときたから、今度はAIの恋人、はてはAIの結婚相手が出てくるような作品を読んでみたい。

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『椿の海の記』石牟礼道子|この文体は大自然の中から生まれた

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『椿の海の記』石牟礼道子

河出文庫 2021.7.1読了

 

庫本の表紙カバーに描かれた画は別の方の作品であるが、頁をめくったところにある装画は石牟礼道子さん作とある。石牟礼さん、絵も描いていたんだ。ふくよかな葉っぱをつけた椿の、なかなか素敵な趣である。趣味のようなものかもしれないけれど、こういう絵が描けるなんて羨ましい。

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の『椿の海の記』は、著者石牟礼さんの幼児時代の体験を元にして書かれた作品である。小説というよりも、記録をとどめた日記のようだ。はたして、4歳の子供にこれだけの記憶があるのかと思うほど鮮明で具体的で、言葉が生きている。書かれたありのままを想像出来る。

牟礼さんの大作『苦海浄土』の前史にあたる作品になっているため、この中ではまだチッソ水俣病の悲劇には触れられていない。だからというわけではないけれど、この本には圧倒的な悲しみがないから安らかな気持ちで読むことが出来る。全部で11章あり、どれを読んでも1つの随筆のように読める。

の熊本の大自然の中で、石牟礼さんの感受性が芽生えた。「いくら幾重に言葉をつないで表現しても、人間同士の言葉でしかない」という箇所にハッとする。そうだ、人間以外のものをいくら想像してもそれは確かに私たちが見たもの、感じたもの、それを人間の言葉で表現しただけ。でも、というかだからこそ、石牟礼さんは普通の人以上に理解しようと、より想像できるように、寄り添えるように言葉や文体を紡ぎ磨いていったのかもしれない。

から自然界の植物や昆虫、動物、景色などの描写が生き生きとしている。石牟礼さんの作品はゆっくりと読むことが大切だと解説の池澤夏樹さんは言う。文章自体は決して難しいわけではないのに、言葉選びとそのつながりのセンスの良さが際立っている。熊本地方の方言が石牟礼さんの文体の特徴でもあるが、標準語よりもなお一層美しく感じられる。宮尾登美子さんの文体に少し似ているように思う。こういう文章を書ける人、現代ではほとんどいないだろう。

『友情』武者小路実篤|「友達」と「彼氏(彼女)」どっちを取る?

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『友情』武者小路実篤

新潮文庫 2021.6.29読了

 

治・大正・昭和を代表する文豪、武者小路実篤さんの『友情』を読んだ。もっとうんと昔の方かと思っていたら、亡くなったのは1976年だからそこまで古くはない。なんといっても「むしゃのこうじさねあつ」という名前が強烈で、社会の教科書や国語で習った時から忘れもしない。これ、本名なのがまたびっくり。

島というまだ女性を知らない23歳の青年が、杉子という16歳の少女に恋し、夢見て、すがり、最後は大失恋をするという物語だ。タイトルが『失恋』ではなく『友情』とあるのは、恋愛の話と同じくらい、いや友情のほうがより大きな題材になっているのだ。野島だけでなく、皆なんと率直で一途でひたむきなんだろう。

子の兄、仲田は「恋が盲目と云うのは、相手を自分の都合のいいように見すぎることを意味するのだ」という。盲目になってしまうのは、周りが見えていないからだ。若い頃は自分の思い通りにいかないことに我慢ならないもの。どうしてこんなにも想っているのに、相手は自分を好きになってくれないのだろうと。それも、歳を重ねてある程度の恋愛を重ねると自分なりの決着の付け方がわかってくる。

し今までに一度も失恋をしたことがない人がいたら、人間の人生における大切な経験をしたことがないとことになる。これは人間形成に重大な欠陥になるのではないだろうか?それくらい失恋って大切なものだと思う。

同士は、こんな風に恋愛について事細かに語らないものではないか?女性同士ではなんでもかんでも相談するのはよくありがちだけど。仲の良い男性同士でも、相手の彼女や奥さんのことをよく知らなかったりする。とは言え、もしかしたら若いうちはこうやってすべてを話しているのかもしれないなぁ。

体は簡潔で明るく非常に読みやすい。それなのにこんなにも心に深く迫ってくるのは、誰もが人生のある地点において必ず通り抜ける「恋愛」と「友情」の狭間に悩むからだ。「友達」と「彼氏(彼女)」どっちを取る?なんていう会話すら懐かしい!

豪の作品を読んでみるか、なんて軽い気持ちだったのだが、やはり名作だけある。最後は大失恋の野島なのに、読んでいて清々しい気持ちになれる良い作品だ。実篤氏の『愛と死』も読んでみたい。

『舞踏会へ向かう三人の農夫』リチャード・パワーズ|1枚の写真から

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『舞踏会へ向かう三人の農夫』上下 リチャード・パワーズ 柴田元幸/訳

河出文庫 2021.6.28読了

 

2年くらい前だろうか、リチャード・パワーズさんの『オーバーストーリー』という装丁の素晴らしい単行本が書店にずらっと並んでいて、手にとったものの値段もまぁまぁだし、読んだことのない作家だしと諦めていた。その頃からパワーズさんのことは気になっていたのだが、デビュー作である本作を今回ようやく読んでみた。

初は物語の内容にいまいちついて行けずよくわからなかったのだが、どうやら3つの物語が同時進行しているようだ。「私」がデトロイトでとある写真(これが文庫のカバー表紙の写真)を見つけ、興味を惹かれて謎解きをしていく一人称で語られるパート。そして2つめが、「私」が魅せられた写真に写る3人の農夫たちのパート。もちろん時間軸は過去に遡る。最後3つめが、メイズという男性があるパレードで見た謎の女性を追い求める、現代アメリカ風のポップで疾走感のあるパートだ。

の3つのパートがどう交差していくのかと期待をしながらも、途中までは複雑な小説だと思い、いささか苦しみながら読んでいた。まるでトマス・ピンチョンさんやミシェル・ウェルベックさんの作品(2冊づつしか読んでないが)を読んでいる感覚に近い。文章自体は難しくないのに、語られている内容が目まぐるしく飛び回って、ついていくのがやっと。自分の読解力はまだまだだなぁと少し残念になる。

れにしても、パワーズさんは凄まじく頭の良い方だ。文学や歴史はもちろんのこと、化学、物理まで幅広い分野において博識なことはもちろん、空想の奥行きが半端ない。そして柴田元幸さんの解説によると、これを24歳で書き上げたというから驚きだ。

「私」が語るパートがやはり読みやすい。伝記を読んでいるような、いや、3人の伝記を書こうとしている人物についての物語を読んでいるかのよう。写真学についての記述はおもしろかった。

った1枚の写真から想像力を巧みに働かせ、このようなアメリカの歴史に関連する壮大なストーリーを思いつくこと自体離れ業だ。本を読んでいて、書店のカバーをこんなにも何度も外して見返したことは今までにない。3つのパートが少しづつ立体感を持ち読者に迫ってくる様は圧巻である。