書に耽る猿たち

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『考える葦』 平野啓一郎 / 人間は考えるために生きる

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『考える葦』 平野啓一郎

キノブックス  2019.2.7読了

 

小説以外で平野さんの本を読むのは始めてである。平野さんの文章は読む度に圧巻で、これほどまでに文才があり、これほど豊富な語彙や表現力がある人が現代にいるのかと常々思っており、大好きな小説家の1人である。この本の中で平野さんは、大江健三郎さんのことを傑出した小説家であり圧倒的な才能があると言っているが、まさしく私達からすると平野さんがそうである。主に2014年から2018年の間に文芸誌や新聞等に掲載された批評、エッセイが67編収められており、平野さんが常日頃考えていることがわかる。いつもの小説に比べるといささか難しいように感じた。

本の装幀について述べている下記について、思わず納得した。

『決壊』の装幀のもう一つユニークなところは、小口が真っ黒に塗られているところである。この黒は、単に美的な迫力をもたらしているだけではなく、手に持って読んでいるうちに、少しずつ親指に付着していって、ページに指紋のあとを残す。より多く汗をかいた場面では、より濃く、しかしうっすらと微かに手が汚れる。それは、電子本には決してマネの出来ない読書体験の記録である。読書とは、常にそうして少しずつ、その作品世界に染まってゆくことなのであろう。それは、今に生きるどんな人にとっても、この小説は無関係ではないという作者の思い入れとも合致していた。(Ⅰ 俯瞰と没入-菊地信義菊地信義の装幀1997〜2013』より) 

ここを読んだ時、昔、装幀が赤がね色の布製の書物に飲み物をこぼしてしまい、何度拭いても跡が残ってしまったことを思い出した。結局、この汚れもこの本を読んだ時の思い出になるからいいかなと思い直した記憶がある。まさしくこの気持ちに近い。

前書きにあるパスカルの『パンセ』の断章はあまりにも有名すぎて敢えてじっくり読む機会もないが、改めて読むと目から鱗である。「人間は考える葦である。(抜粋)我々のすべての尊厳は、実に、考えることにある。我々はそこから立ち上がらなければならぬ。・・・」まさしく、人間が生きる意味は「考える」ためであり、生きている限り考え続けなくてはならない

私も、太宰治より三島由紀夫派である。だからなのか、平野さんの考え方にはしっくり同感出来ることが多い。そして私はドストエフスキーよりトルストイゴッホよりゴーギャンなのだ。

平野さんの小説といえば、名作『マチネの終わりに』や『ある男』も勿論良いのだが、私は平野さんの考え方がよく表れている『ドーン』をお勧めする。