書に耽る猿たち

読んだ本の感想、本の紹介、本にまつわる話

『本を読む本』 M.J.アドラー C.V.ドーレン / 本を読んで、すうっとした気持ちになりたい

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『本を読む本』 M.J.アドラー/C.W.ドーレン  外山滋比古/槇未知子  訳

講談社学術文庫  2019.3.11読了

 

当は、ショーペンハウアーの『読書について』を読み、耳に痛い話を心身ともに受け入れようと覚悟していたのだが、立ち寄った書店に在庫がなく、それならば、とこれも読書本として著名だったため選んだ。講談社学術文庫は手にするだけで勝手に勤勉になった気分(本当に勝手だ・・・形から入る私)。

て、この本は読書好きなら読んだことがある人も多いだろう。どちらかというと、娯楽のための本ではなく教養書についての手引が書かれている。読書のレベルとして、①初級読書、②点検読書、③分析読書、④シントピカル読書を挙げており、分析読書レベルまで達すれば良い読者になれるとしている。この4つのレベルの詳細は興味があれば読んでみて欲しい。

いったん習慣を身につけてしまえば、流暢さと迅速さで前とは格段の差がでてくる。練習を積めば、同じことをしても初歩のときよりもずっとよくできるものだ。最初のうちはやることがおぼつかないが、そのうちに本能同然の自然さと完璧さでこなすことができるようになる。習慣は第二の天性であるという諺のとおりだ。(第一部 5意欲的な読者になるには)

結果だけをみて、あの人は才能があるから、と言うのは簡単だし自分の逃げ道になっているように思う。メジャーリーガーのイチローさんは本当に才能だけなのか?そうではない、地道な努力と鍛錬を誰よりも時間をかけて行った結果である。

「わからない」ということも、もちろん、一つの批評的判断である。精いっぱい理解に努めて「わからない」と言うとき、それは、はじめて本に対する正当な非難として通用する。その場合は読者が悪いのではない。読者の務めを完全に果たしても、わからないのなら、それは本が悪いのである。(第二部 10本を正しく批評する)

このあとに、良い本が前提であり、良い本を読んでわからないのは読み方が悪いということが書かれている。そもそも、内容を理解出来ないから「良い本」かどうかもわからないのではないか。

すぐれた読者になるためには、本にせよ、論文にせよ、無差別に読んでいたのではいけない。楽に読める本ばかり読んでいたのでは、読者としては成長しないだろう。自分の力以上の難解な本に取り組まねばならない。こういう本こそ読者の心を広く豊かにしてくれるのである。心が豊かにならなければ学んだとは言えない。(第四部 15読書と精神の成長)

これはシンプルに納得できた。読んで心がすうっとした時は心が豊かになった時なのではないだろうか。すぐれた読者なんて大それたものにならなくても、本を読み終わった後、すうっとした気持ちになれたらいいのだ。

書について書かれた本の感想は難しい。何を言ってもありきたりになるような気がするし、全部は理解できていないというか、ある意味多少なりとも他の人より本を読んでいるからこそ批判的な感情になってしまうのだ。教養本でなく小説であっても、娯楽目的だけではなく大いに学べるものも存在する。確かに、良い本なのかを見極める「点検読書」は重要だろうな。自分の人生、本を読む時間には限りがあるのだから。できればなるべく多くすうっとした気持ちになりたい。この本を読んだ直後だったからだろう、帰り道TSUTAYAを通りかかると齋藤孝さんの『読書する人だけがたどり着ける場所』という新書が目に入り読みたくなった。古典であるショーペンハウアーはちょっとおあずけ。