『わたしたちが孤児だったころ』 カズオ・イシグロ 入江真佐子/訳
ハヤカワepi文庫 2019.5.30読了
カズオ・イシグロさんの小説はじっくりと時間をかけて読む。イシグロさんが本当に伝えたいことがどこに潜んでいるかわからないから。訳文であっても損なわれない美しい文章を堪能したいから。作品の多くは土屋政雄さんが訳しているが今回は入江真佐子さんという方だった。原文もやはり美しい文章なのだろう。誰が訳しても綺麗である。
クリストファー・バンクスという探偵が過去を回想する物語である。孤児だったころの過去に想いを馳せながら。そして両親が突然姿を消し、自分が孤児になった秘密を探すために。自分の記憶と対峙するために。
わたしたちが「孤児」だったたころ、とタイトルにあるが、わたしたちが「子供」だったころ、と誰にでも置き換えて考えることができると思う。誰にでも子供のころがある。大人になった時にはほんの些細なことに過ぎないものでも、幼少期であれば本人にとって大きな爪痕を残す出来事になる場合がある。そしてそれは子供心に記憶となり膨らんだものになる。もしかすると、クリストファーにとっての記憶は、真実ではないのかもしれない。大人になって始めて、記憶と思い出を反芻しながら“自分にとっての真実”を見つけるのだ。
孤児であっても、クリストファーの中で、過去は決して悪いものではなかった。それは、親友アキラの存在が大きい。そして、一人で生きているために長けた適応力も原動力になった。大人になったクリストファーが、孤児であるジェニファーを引き取ったこと。自分と同じ何かを感じたのであろう。
昨今の凶悪犯をみてみると、幼少期の複雑な家庭環境がそのきっかけとなったものが大きいように思う。しかし、クリストファーのように、素晴らしい大人に成長する人間もいると思うと、救われた気持ちになる。数年後に再読したいと思える作品だ。