書に耽る猿たち

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『ザリガニの鳴くところ』ディーリア・オーエンズ/大自然の中で孤独に生きる

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『ザリガニの鳴くところ』ディーリア・オーエンズ   友廣純/訳   ★★

早川書房  2020.3.25読了

 

、この本はたいていの書店で平積みされている。なんせ全米で500万部突破、2019年にアメリカで一番売れた本なのだ(と帯にある)。ということは、去年、ミシェル・オバマさんの『マイ・ストーリー』以上に売れたのか、それはすごい。

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 直こういう絶賛文句がある本には、期待半分、がっかり予想も半分、という体で読むのだが、この小説はとても良かった。じわじわと押し寄せる感動と余韻に今も浸っている。読み終わってしばらく放心状態、これは久しぶりな感覚だ。作者は、丁寧に大事に文章と物語を紡いできたんだなという印象。ハヤカワミステリではなく、どちらかというとハヤカワepiに入りそう。是非、多くの人に読んで欲しい一冊だ。

地に、チェイスの死体が横たわる。殺人容疑が主人公カイアにかかるところから物語が始まる。一方で、カイアの幼少時代からのことが同時進行で語られる。この二重構造の重なり合いが絶妙で、読者をどんどん物語世界に誘う。

大な湿地に住む少女カイアは、家族がどんどん自分の元から去り、たった1人で生きていく。大切な母親、兄ジュディ、そして一時分かり合えた父親も、そして密かな想いを寄せていたテイトまで。心を閉ざし孤独なカイアにとっては、自然そのものが家族になる。この小説は、自然の記録、ミステリ、恋愛、カイアの成長の全てがある。

湿地に佇む植物や生物への観察力と表現力が素晴らしい。カイアが住む湿地に、まるで自分も紛れ込んだような気になる。オオアオサギの羽根を見付ける場面、テングダケを発見するときのキノコの表現、生体や特徴をよく捉えている。苔むした、湿り気のある場所。それでいながら木漏れ日が時おり輝くように光る場所。そんな湿地に自分自身もいるかのような気になってくる。じめっとして暗い湿地のイメージが、読み終えた時には神聖な場所となる。

私に孤独を語らないで。それがどんな風に人を変えてしまうものか、私ほど知っている人間はいないと思う。ずっとひとりで生きてきたんだもの。(330頁)

このカイアの言葉には、誰も何も言い返せない。本当の意味での孤独を自分が体験していないからだ。しかし、カイアは孤独であることを自然界の営みだと感じ、次のようにも述べている。

自然界では、無慈悲に思える行動のおかげで、実際、母親から産まれる子どもの総数は増える。その結果、緊急時には子どもを捨てるという遺伝子が次の世代にも引き継がれる。(中略)人間にも同じことが言えるわ。今では残酷に感じられる行動も、初期の人類が生き延びるうえでは重要だった。(同330頁)

独になることは耐え難い恐怖であり、どんな精神状態になるかは想像を超える。しかし、自然界では実は孤独が当たり前のことで、孤独に打ち勝つことで強くなれる。生きるための術を身に付けることが出来る。本質では、人間も孤独なのだから。

人的に、コーンブレッドが何度も出てきて気になった。つい最近家族から、「コーンブレッドが食べたい!」と言われたのだが、その名称が久しぶりすぎて、どんなパンだったか忘れかけており検索したところだったのだ。パン屋さんにコーンパンは売っているけど、コーンブレッドはなかなか見ない。カイアが何度もコーンブレッドを作るから、私も食べたくなってきた。

ィーリア・オーエンズさんは、動物学、動物行動学で博士号を取った人物で、野生動物学者だ。イギリスの学術誌ネイチャーにもよく論文が掲載されるらしい。なるほど、だからこんなにも自然界のことに詳しいのか。それだけではなく、こんなに壮大で美しい物語が書けるなんて。70歳にして初めての小説執筆だ。若い才能がどんどん台頭するが、こういった高齢の方のデビューもよく目にする。小説は、何歳からでも書ける。これは素晴らしいことだ。