書に耽る猿たち

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『老乱』久坂部羊/介護させてくれてありがとう

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『老乱』久坂部羊

朝日文庫  2020.4.13読了

 

知症をテーマにした、作家であり医師でもある久坂部羊さんの小説である。妻の頼子を数年前に亡くし1人で暮らす78歳の幸造と、息子の知之とその妻雅美による2つの視点が交互になり物語が進む。

知症による介護問題は既に日本で大きな問題となっている。老々介護、介護疲れ、高齢者の交通事故という言葉を聞かない日がない位だ。今や、日本の総人口にしめる65歳以上の人口は25%を超えている。4人に1人が65歳以上なのだ。誰しもが直面するこの問題に目を背けてはいけない。

初は雅美の立場に共感して読んでいたが、徐々に進む老い・物忘れ・幻覚に怯えながら過ごす幸造の気持ちに傾いでいく。幸造は、決して自らなりたくてこうなっているわけではない、誰も自分の気持ちをわかってくれないと感じる。それなのに、周りの冷たい反応、仕草、怒り。痛ましいほどだ。

の小説では、介護する側だけでなく、介護される側の気持ちも詳細に描かれている。どんな風に認知症が進行していくのか、毎日どう思って過ごしていくのかが克明に表現される。介護問題に対し、どうしても客観的に論じるのは介護する側であることが多いが、介護される側を中心に据えたことで、読者へ多くの問題提起をする。久坂部さんがこうした本を書けたのは、実際に父親を同じように看取っているからなのだ。だからこそ、ありのままのようで真実味を帯びている。

知症専門クリニックの和木医師は「認知症介護のいちばんの問題は、ご家族が認知症を治したいと思うことなんです」と言う。残念ながら、認知症は治ることがない。認知症を治そうとせず、受け入れることで、介護する側もされる側も変わっていくのだと。なるほど、と知之夫妻も読んでいる私も思う。一方で、なかなか難しいことだとも思う。しかし、この考えを誰もが頭の片隅にでも入れておけば少しづつ変わっていくかもしれない。

後はもう何もわからず、生まれたての赤ちゃんのようになった場面で、幸造は雅美に心からのお礼を伝える。「雅美さん、本当にありがとう」と。自然と涙が流れた。思えば、有吉佐和子さんの『恍惚の人』で涙した場面も、介護される側のおじいちゃんがお礼を言う場面だったと思う。こちらこそ、介護させてくれてありがとうと、そういう気持ちになる。そうなれば本当にいい関係だ。

田圭介さんの『スクラップ・アンド・ビルド』も介護だか認知症だかの話だったと思うけれど、実はあんまり記憶にない。この『老乱』は、これからの日本社会を考える上で、誰しもが直面する問題をうまく捉えている。自分が認知症になる可能性も十分にある。だから、老若男女問わず、多くの人に読んでもらいたい。