『モスクワの伯爵』エイモア・トールズ 宇佐川晶子/訳
早川書房 2020.4.17読了
新聞の書評欄でこの本を見つけて、気になって買っておいた。もう、装丁からして素敵すぎる。こんな鮮やかなエメラルドグリーンの表紙に金色ってなかなかない。そして写真ではわからないと思うけど、伯爵の周りの円は型押しみたいになっている。触っているだけでも嬉しくなる。ふふふ。これは、電子書籍では味わえない。
しばらく積読だったのだけど、そういえばこれはホテルに幽閉された伯爵を書いた話だったなと思い出し、この機会に読むことに。この軟禁状態が現在の❝STAY HOME❞に少し似ているかななんて。
ロシア革命後、ロシアの貴族は亡命、流刑、投獄などされた。主人公ロストフ伯爵は一生軟禁の刑を受け、モスクワのメトロポール・ホテルで幽閉されることになる。32年間のホテルでの生活を描いたこの物語、どんなに窮屈で辛い日々が待っているのかと思ったが、杞憂はなんのその、晴れ晴れとした明るく丁寧な暮らしが繰り広げられるのだ。
これは伯爵自身が常に前向きであること、登場する人物が個性的で魅力たっぷりなこと、さらにモスクワ中心部に建つこのホテルからの雄大な眺めが大きな理由であると思う。ミステリでもないからドキドキする展開はないのだけど、伯爵と一緒に過ごす日常が、心のゆとりと人間らしさを教えてくれ、読んでいてほっこり幸せになれる小説だ。
伯爵の、なんと気品と教養のある紳士然とした佇まいであることか。ホテルで始めて友達となる少女ニーナに、常に行儀良くすることとお礼を伝えることの大事さを説く場面。ニーナの子ソフィアにゲームで負けた時の、年下でも敬意を示し、一歩下がってお辞儀をする場面。
日常のルーティンみたいなものを大事にすること、世の中のほとんどのことは急ぐ必要もない決まり事で、本来はちょっとしたおしゃべりや井戸端会議を優先すべきだという考え。なんだか、私達が日常の仕事ややるべき事に忙殺されていて気付かないことに、伯爵によって気づかされる。今、多くの人が家で過ごしていると思うが、こんな時にしか気付けないこともたくさんある。ただ一日を過ごすだけでなく、本や情報から大事なものを吸収したり、自分の頭で考える時間にすることに有意義に使いたい。
著者はボストン出身のアメリカ人なのだが、ロシアを敬愛しているようだ。文化だけでなくとりわけ文学を。作中の至るところにトルストイやドストエフスキー等のロシア文学が引用されている。小説の舞台であるメトロポール・ホテルは、今も実在するモスクワの高級ホテルだそうだ。いつか、行ってみたい。伯爵のように、ロビーでゆったりと珈琲を飲みながら読書に耽りたいものだ。