書に耽る猿たち

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『絹と明察』三島由紀夫/ワンマン経営者と社員らの関係

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『絹と明察』三島由紀夫

新潮文庫 2020.5.27読了

 

江絹糸(おうみけんし)争議とは、昭和29年に実際に起こった大阪の絹糸紡績の労働人権争議である。近隣の高校卒業生を強制的に入社させて工場で働かせたり、結婚したら女性は退社、男性も転勤か退社、寮生活がほとんどで家族と暮らす人はほぼいない。また、宗教上の信仰も制限されるなど多くの不満から勃発した。この事件から着想を得たのが本作『絹と明察』である。

沢紡績社長の駒沢善次郎、その妻房江、争議のきっかけを作った張本人岡野、元芸妓の菊乃、工場勤務の若者代表である大槻、弘子らの群像劇として展開する。三島さんの小説は、10代20代の若者が主人公で、溢れんばかりの若く有り余るエネルギーを感じることが多いのだが、この小説では駒沢はじめ壮年男性がメインとなるため、どこか落ち着いた風情で深々と展開する。

沢は、一見社員を家族のように思い大事にしているように見える。一方、社員からは全く異なる社長像だった。しかし、崩壊のきっかけは第三者であり、それがある意味社長が気の毒に思えてしまう。ともあれ、このような社風、働き方は現代社会では到底あり得ないため、今後このような争議は滅多に起こらないだろう。

の小説を読むまでは、近江絹糸争議のことは知らなかった。さすがの三島さんで、物語としては一級品だ。何よりもその美しく気高い日本語にまたしてもやられた。家族と思っていた社員に裏切られ、駒沢が怒り狂った場面の文章をひとつ紹介する。

いやらしい黴菌(ばいきん)が若い者の心に巣喰い、美しい情誼(じょうぎ)を足蹴にかけさせ、腐敗と怠惰が世界中にはびこり、謙虚が色褪せ、女の股倉が真黒になり、懐疑と反抗が男の叡智を曇らせ、喰ったものはみんな洟汁(はなじる)と精液になり、勤勉は嘲られ、誠意はそしられ、嘘の屁と欺瞞のげっぷをところかまわずひり出し、ために健全な母親の乳房も爛れて(ただれて)しまう。そういうペストが、ついに駒沢紡績をも犯したのだ。(266頁)

の豊潤なまでの言葉選びと巧みな比喩により、企業崩壊の様が文章をもってして読む者を惹きつける。このように日本語を操ることができる人はなかなかいない。鳥肌が立つほどだ。三島さんの文章をいつものように、堪能出来た。

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