『ヒューマン・ファクター』グレアム・グリーン 加賀山卓朗/訳
ハヤカワepi文庫 2021.1.16読了
先日、ジョン・ル・カレさんが亡くなった。彼の『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』というスパイ小説の傑作と名高い作品を読もうかと意気込んでいたが、パラパラとめくってみたところ、ちょっと合わないかなと感じてひとまず諦めた。同じスパイものなら、もう少し心理的、文学的要素がある作品にしたいと思い本作を手に取る。
背表紙に「スパイ小説の金字塔」という宣伝文句があるが、そんな感じがしないほど人間味溢れる、まさに「人間的な要因(ヒューマン・ファクター)」が詰まっている小説だった。スパイと聞くと007のような行き詰まるスリリングな展開で銃撃戦が思い浮かぶのだが、この小説ではそういうものはなく、裏切りや葛藤がひっそりと行われているように見える。
外務省の情報部に所属しているカッスルら諜報員は、情報漏洩を疑われ二重スパイの疑惑をかけられた。カッスルのつつましい生活や妻セイラ、息子サムの日常を辿るうちに、過去が浮かび上がっていく。人が守りたいものとは何なのか。
鋼鉄の仮面を持っていそうなスパイといえども、1人の人間。いくら仕事とはいえ守るべき信念を内に秘めているものだ。この小説を読んでいると、諜報員は日常生活でも常に疑惑と不審の目を持たなくてはならず、神経をすり減らす大変な任務だとつくづく思う。いやはや、とてもじゃないけど出来る気がしない。
グレアム・グリーンさんは全集や傑作選が出るほどの偉大なイギリス人作家である。名前は知っていたが、読むのは初めてだった。人間真理の描写が巧みで、なんとも味わい深い余韻を残してくれる。あとがきを読むと、遠藤周作さんがグリーンさんの小説を敬愛していたそうだ。他の作品も読んでみたい。