書に耽る猿たち

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『茄子の輝き』滝口悠生|記憶の回想と日々の移ろい

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『茄子の輝き』滝口悠生

新潮社 2021.4.15読了

 

口悠生さんは、『死んでいない者』で2016年に第154回芥川賞を受賞された。受賞作は文庫になっているがまだ未読である。この『茄子の輝き』というタイトルに何故だか惹かれた。食材の中では主役級ではない茄子だけど、つやつや光るこの佇まいにどうしてだか愛しさを感じるし、これをタイトルにするセンスに持っていかれたのだ。

瀬という33歳の男性を主人公とする連作短編集の形をとったこの作品。最初の章は、会社の「お茶汲み当番」のことで、同僚とあーだこーだ言っているうちに終わる。なんともまぁいたって普通の日々だ。「それがどうした」「だから何?」というような話が多いのに、文体の持つ力なのか、私にとっては読み心地が良い。

去に妻だった伊知子のことを忘れられないのか、人恋しく新たな女性を探しているのか、会社に新しく入った千絵ちゃんという子のことが好きなのか。いや、千絵ちゃんに対しては恋愛感情とは別のものが市瀬を支配している。ただ眺めていたいとか、声を聞くだけでも安心するような。自分の気持ちがわからないという心情をうまく表現している。

5年前に3年前を思い出す自分のことを考えるなど、単に過去を回想するというよりも記憶自体を回想するようなシーンが多い。そこで映し出されるものは、本当の過去とは限らず自分で作り出した幻想である場合もある。

局人の記憶なんて曖昧なものだ。自分の記憶だからといって信頼してはいけないのだ。一瞬一瞬の思い出というものは、実は自分がいいように作り上げたものであるかもしれない。だから、事実やその日感じたことを日記に記したり、こうやってブログにして字に起こすことは、結構大事なことなんだと思う。

らりくらりと進んでいく小説であった。しかし私にはわりあいこの波長があっているし、とにもかくにもやはり純文学が好きなんだなぁと改めて感じた。日常の些細な出来事を切り取り、豊かな文章に紡ぐ技量は、堀江敏幸さんが書くものに少し近いものがある。より文学的なのは堀江さんだが、もうちょっと身近な感じなのが滝口さんだ。他の作品も読んでみよう。