書に耽る猿たち

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『金閣寺』三島由紀夫|美の感じ方と燃え盛る炎

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金閣寺三島由紀夫

新潮文庫 2021.6.3読了

 

学生の時、関東に住む私の修学旅行先は「奈良・京都」だった。修学旅行の思い出を手作り絵本にまとめるという課題が出ており、私は「思い出に残った場所ベスト10」として見開き頁ごとに10位から始まりクライマックスに1位がくるように作った。そして金閣寺を映えある1位にしたのだ。

閣寺よりも銀閣寺のほうが好きだったのにも関わらずだ。金閣寺はキンピカド派手すぎて、しっとり落ち着いた銀閣寺のほうが心にすとんとくる。まぁ、そもそも1番気に入ったのは清水寺なのだけれど。

閣を折り紙の金色で作り、絵本としてのインパクトを狙ったのだった。1位に相応しく頁から飛び出す煌びやかな金閣寺は見事に絵本としての体をつとめあげたのだが、自分の気持ちに正直になれなかったことが何やら腑に落ちない思い出となっている。私にとって金閣寺という存在は心に残っている。

の小説は三島作品の中でも数少ない独白体で書かれている。吃音症である「私」は、俗世からの疎外感や孤独を常に感じている。「私」は父親や友人を亡くしたあと、父親のかつての願いから金閣寺で働くようになる。どうして「金閣を焼かなければならぬ」と思うようになったのか、どうして「焼いた後に自決せずに生きる」ことを選んだのか。「私」の心境の変化が三島さんの鋭く美しい文体で迫り来る。

人もの人物が「私」に関与するが、中でも影響力が大きいのは、金閣寺の住職である老師と、大学の友人柏木だろう。決して善人とは言えない2人の行動と発言により、「私」の心はより一層、悪へ向かうかのように加速する。老師や柏木のような存在は、現実にも身の回りにいるはずだし、ほとんどの人の心にある人間の真理だ。

というものは、視覚として感じるだけではない。むしろ本当に美しいと感じるのは、その人がもつ苦しみや悲しみの中にこそ生まれるもので、実は美とは儚く脆いものかもしれない。実物を見る前の「心象の金閣」のイメージが広がりすぎて、初めて目にした時の現実の金閣とのギャップに驚く姿が印象的だった。

間は燃え盛る火を見て気持ちが昂ぶるということがあるのだろうか。寺院や歴史的建造物は燃やされることが多いし、放火犯が火災現場を見て喜ぶかのようなシーンは映像でも想像しやすい。単純に炎を見ているだけで何か高揚するものがあるのだろう。ライターの火、花火、ある意味キッチンのガスやストーブの炎にも然り、炎にはある種羨望と美を見出すのだ。

がこの小説を読むのは3回めだ。まだ未読の作品があるのにも関わらず、折に触れて読み返したくなる三島作品がいくつかあり『金閣寺』もそのひとつ。そもそも、NHKの番組『100分de名著』で5月の課題本となり、4週にわたって平野啓一郎さんの解説を聞いたことが読み返すきっかけとなった。

んな読み方があるんだ、こういう視点で読んでいたんだ、と平野さんが語る内容に終始納得しっぱなしだった。番組で取り上げられた文章が、頁の中で太字になっているかのように目立ち、鮮明に頭の中に残る。

めて、今回読んだ『金閣寺』は、理解度が高かった。それも平野さんのおかげだ。しかし、再読ならとてもタメになるが、まだ未読の人はあのような立派な解説を先に聞くのはおすすめしない。やはり、自分が何を感じるかは、他人の解説や感想を見ないまっさらな状態の方が良い。そうそう、平野さんの新刊『本心』も早く読まねば。

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