書に耽る猿たち

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『風土』福永武彦|自分が自分自身になる

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『風土』福永武彦

小学館P+D BOOKS  2021.6.9読了

 

年初めて福永武彦さんの小説を読み、特に『忘却の河』に圧倒され、今でも読み終えた時の衝撃と感動は憶えている。その福永さんの処女長編作品がこの『風土』である。24歳の時にこの作品の着想を得て、約10年をかけて書き上げたという。

場人物のなんと少ないこと!一つ前にクリスティー作品を読んでいたからなおのことそう思うのかもしれないが、登場人物紹介がなくても何ら問題はない、誰だったっけ?と思うことさえ一度もなく読み進められるのは結構久しぶりだ。

年早川久邇(くに)、少女三枝道子、道子の母親の芳枝、かつて道子に恋焦がれていた桂昌三(しょうぞう)という4人の男女の愛を描いた作品である。全3章のうち真ん中の2章では、芳枝と昌三の若かりし頃の青春時代に遡る。

い頃の想いは再会してどのように変化するのか。時の経過と人生経験によって、人は必ずしも昔のようにはならない、人生は決して後戻りはできないのだと思った。やり直せないわけではなく、若かった頃の自分には還れないのだ。

去のシーンで、昌三の恩師である黒木先生が生徒の前で話す言葉に非常に考えさせられた。「自分が自分自身になる」とは一体どういうことだろう。

人間の心の奥は分からない。我々の感情の動きにさえも、理性では律し得られないものがある。いくらでも未知の部分が、我々の心に影を落しているのだ。それだから生きるということは、心の中の未知のものを追求して、自分が自分自身になることだ。この、自分が自分自身になるということが、人生に於ける最も大事なことだと先生は考える。(307頁)

の作品では芸術家の苦悩もひとつのテーマにある。ピアノを奏でる音楽家としての久邇、そして絵画を描く画家としての昌三、芳枝のかつての夫。ひとつの小説に音楽と絵画という2大芸術をもってきたことに、少し勿体無く感じてしまう。出来ればどちらかを突き詰めて欲しかった。物語としての完成度は代表作『忘却の河』『草の花』には劣るが、流れるような文章が美しく、登場人物の繊細な心理が生きていた。

ーギャンの絵画と生き方が作品の中でポイントになっている。ゴーギャンこそが「自分が自分自身になる」ことができた人だと福永さんは伝えているようだ。私もゴーギャンは大好きである。手に入れるのが困難なようだけど『ゴーギャンの世界』(福永さん著)という評伝も読んでみたい。

小学館から出ているP+D BOOKSは、後世に受け継がれる名作を新たに発信するためのレーベルで、紙(P:paper)と電子(D:digital)で P+D BOOKSである。私が読んだのは紙の本で、いささか紙質が"う〜ん"なのだが(昔小学校で配られたわら半紙みたいなのだ)、650円と安価で手に入るのは嬉しい。

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