書に耽る猿たち

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『月』辺見庸|「ひと」とは一体何なのか?

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『月』辺見庸

角川文庫 2021.6.14読了

 

奈川県相模原市にある障がい者施設「津久井やまゆり園」で、19人が死亡、26人が重軽傷を負うという凄惨な事件が2016年に起きた。健常者が障がい者を標的にするという信じがたい事件に胸を痛めた人も多く、一方で同時に考えさせられることも多かった。この事件に着想を得て描かれたのが小説『月』である。

次を目にしただけでただならぬ予感を感じていたが、本文に入りその予感は当たった。これは、重度の障がい者である「きーちゃん」の心の声がそのまま文章になっている。木嶋佳苗事件をモチーフにした柚木麻子さん著『Butter』のような構成かと思っていたら全然違っていた。取材に来ていたマスコミか、または園で働く人が語るような構成を勝手にイメージしていたのだ。

ゃんは目も見えない、耳も聞こえない、身体も思うように動かない、身体的にも精神的にも重度の障がい者であることはわかるのだが、性別や年齢、出生は全くわからない。考えていることが文字になり意味もわかるのであれば、元々は普通に暮らしていた人なのか?でも読んでいるうちにそんなことはどうでも良くなる。

らがなが多く使われている短文。難しい言葉こそが漢字で、ごくごく簡単な言葉がひらがなになっていて、それが逆にリアルな感じに響いてくる。途中、さとちゃん(おそらく死刑囚植松聖をイメージ)という園で働く青年職員の立場にもすり替わるのだけど、9割はあーちゃんの視点で語られる。

ーちゃんの想念の渦の中で、何が本当のことなのか、「ひと」とは何か、「ふつう」とは何なのかを考えさせられる。さとちゃんが何故大量殺人を犯したのか、その真実の答えはわからない。でも決して風化させてはいけない問題である。

ちろん実際の事件とは全く異なるフィクションであるが、園で暮らす人たちにはこんな風に暮らしていたのかもしれないし、もしかしたら加害者のことを1番理解していたのは施設に入所している人だったのではないだろうか。

見庸さんの著作は過去に『もの喰う人びと』というノンフィクションを読んだことがある。元々ジャーナリストだったからか、あまり小説のイメージがなかった。この作品は圧倒的な力で迫ってくるようで、読んだことは絶対に忘れないだろう。