書に耽る猿たち

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『正弦曲線』堀江敏幸|恋してしまったらしい

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『正弦曲線』堀江敏幸 ★

中公文庫 2021.7.7読了

 

者の堀江敏幸さんは、三角関数のサイン、コサイン、タンジェントの「サイン」を書くときには必ず日本語で「正弦」と括弧付きで入れるそうだ。日本語のその響きと、漢字そのものの美しさを愛する所以だろう。ゆるやかな波型の曲線は、人生と同じように不確定であり、それを楽しもうとする心が大事だと語る。

帳は落とすためにあるという考えがなんだか微笑ましい。そんなわけないくせに!測量野帳というノートが気になって調べてみたら見たことあるではないか。ふとした時に思いついたものや気になる言葉を書き留めるのに、私も小ぶりのノートが欲しいと思っていた。

のタイトルが「人生の悲劇」とあるから、どれだけ重いテーマなんだろうと思っていたら、なんと「切手」の人生だった。切手を貼るには、舐めるか、水を付けるか、ダブル付けだとどうなるか、などとまぁどうでも良さそうなことをつらつらと語っているのだが、これがなんともおもしろい。感性がぴたりと合う。いちばんしっくりきたところをそのまま引用する。

現在の私はこう考える。そもそも記憶とは、話しながら、確認しながら徐々に思い出し、前後左右のぶれを修正しつつこしらえていくものであって、ある事項が「記憶にないのは当然」なのだと。記憶にないからこそ思い出してみようと努めるべきなのであり、そのような努力のかけらも見せない連中の言葉をー(省略)。(60頁 記憶の召喚)

画のようにそれ自体が作品だったり、大事な大会、記念式典など後世に残すべきものはもちろん映像に残さなくてはならない。しかし、何でもかんでも映像に残そうとすることは、記憶力の喪失に繋がってしまうのではないか。私たち個人の24時間を始終録画できるはずもない。記憶を遡ることで、大切な思い出となり得るのだ。現代人は写真や動画に頼りすぎている。

の作品は上質な随筆集である。些細なことだが妙に気になる日常のふとした疑問などについて、堀江さんならではの繊細な感性で文章にしている。随筆(エッセイ)は気軽に読め、その著者の人となり、思考だけでなく嗜好もわかり親近感が湧く。小説が大好きな私にとってはエッセイを読んでそんなに感動したりすることはないのだが、これはかなりのヒットだ。

江さんの文章にはやはり引き込まれるものがある。月並みな表現だが、素晴らしい、美しい。文体の心地よさが心に染み入る。読んでいるだけなのに気持ちが昂ぶる。私はもはや、堀江さんが書くものに恋してしまっているらしい。

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