書に耽る猿たち

読んだ本の感想、本の紹介、本にまつわる話

『兄弟』余華|中国の圧倒的な熱量と勢いを感じる傑作

f:id:honzaru:20210803082621j:image

『兄弟』余華(ユイ・ホア) 泉京鹿/訳 ★

アストラハウス 2021.8.8読了

 

衆便所で女の尻を覗き捕まってしまう、という衝撃的な場面から物語が始まる。数ページ読んで「あぁ、これぞ中国だなぁ」と思った。コロナが始まる前だから2年前の初夏に北京を旅行で訪れたとき、観光地のトイレに並んでいると、列に構わずどんどん人が押し寄せて横入りされまくったのを思い出したのだ。

 

番なんて誰も守らない、のし上がってなんぼという世界。中国のトイレ事情は衛生面も含めてさんざんだと聞いていたからそんなにショックは受けなかったけれど「これが中国人たる気質なのか」と観光1日めから妙に納得したのだった。だからトイレの話から始まる辺り、良くも悪くも中国だと感じながらも、頁を捲る手が止まらなかった。

 

う、これがめちゃめちゃおもしろかったのだ!なんで今まで読まなかったのだろう、というか気付かなかったのだろう。「われらが劉鎮(りゅうちん)」という枕詞がいたるところに挟まれ、上海に近い片田舎のこの地(架空の街)に生きる人たちの営みが、悲劇と喜劇をないまぜにしてドラマチックに描かれている。

 

弟といっても、李光頭(リー・グアントウ)と宋鋼(ソン・ガン)は血の繋がった兄弟ではない。小さい頃にそれぞれの母と父が再婚し家族になった義理の兄弟だ。血は繋がっていなくとも、強く繋がった絆で結ばれた2人。この表紙のイラストそのまんまなんだよなぁ。特に李光頭の首の感じ、わかる。

 

品はニ部構成になっている。第一部は「文革篇」と名付けられ、中国の文化革命を背景にして李光頭と宋鋼がどのようにして兄弟になったのかが描かれる。彼らの父と母の強い愛情により少年時代を過ごす彼らが、いかにたくましく、悲しく、そして抗うことの出来ない貧しさに直面しながらその少年時代を過ごしたか。泣いてばかりの家族はその湧き出る涙の量に比例して強くなるかのよう。第一部は全体の三分の一くらいの量だろうか。ここまでで終わったとしても、充分満足出来る作品になっているし、個人的にも第一部のほうが好きだ。

 

二部は「開放経済篇」で、中国の成長とともに李光頭の商才が発揮されていく。2人をめぐる恋模様は痛ましかったけれど、それを乗り越えていく様は清々しい。中古廃棄物販売から輸入中古スーツの販売など李の事業はどんどん成功する。日本から買い付けた「中曽根」や「竹下」の刺繍が入ったスーツが人気があったことがなんともおもしろい。終盤に開催されるあるコンテストには度肝を抜かれた。2人の相反する生き方に、理不尽さに悔しくなり、やり切れない気持ちにもなる。

 

国の熱量と勢いがこれでもかというほど感じられた。正直なところ、下世話でお下劣な話もあり、気分が悪くなる人もいるかもしれない(実際私も途中少しそんな気分になった)。それでも、その下品さがまた人間らしさというか泥臭く生きる強さのようなものに感じられるのだ。

 

店の海外文学コーナーに分厚いこの本が鎮座する姿は堂々たる佇まいだった。文春文庫で上下巻だったものが絶版になっていたのだが、この度1冊になってアストラハウスから刊行された。950頁もある単行本を数日持ち歩くのは結構辛かったがなんのその。本の持ち運びやすさを1番に考えて鞄を選んでいるし。

 

社でお弁当を食べながら読んでいる時に、上司に「なんだその分厚い本は!見ただけで読む気がなくなるな」と言われたけれど、私からすればこの厚さが「なおさら読みたくなる」のだ。こんなに夢中になれて楽しめたのなら問題なし。でも、本を持ち上げて読む時は結構辛かった。出来れば分冊にして欲しいところ。いずれにしても、余華さんの小説は他の作品も読むつもりだ。