書に耽る猿たち

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『ある子馬裁判の記』ジェイムズ・オールドリッジ|みんなで議論をしよう|古い印刷技術のこと

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『ある子馬裁判の記』ジェイムズ・オールドリッジ 中村妙子/訳

評論社 2021.8.18読了 ★

 

れは評論社の児童図書館シリーズに入っている子供向けの本である。どうしてこの本を読んだかというと、先日訪れた池袋の梟書茶房「ふくろう文庫」で自ら選んだものなのだ。ふくろう文庫についてはこちらから。

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り手はスコティーの友達であるぼく、名前はキット。キットにはトムという名前でいつも一緒の弟がいる。父親は街の弁護士、母や姉も時々登場する。貧しい家のスコティー(スコット)が大事にしていたポニー(子馬)が急にいなくなる。一方で、裕福な家に育つが足が不自由なジョジーはお気に入りのポニーを見つけ馬車にする。そして今度はジョジーのポニーがいなくなる。

たしてこのポニーは同じポニーなのか。スコティーとジョジー、どちらのポニーなのだろうか。街全体を二分するような大きな事件となる。この争いがついには法廷で繰り広げられることになる。スコティーの弁護をするのはキットのお父さん。

父さんがいう「内的論理」とは、真理には特殊な性質があり測ったり捉えたりはできないが、あらゆる攻撃が加えられるとき、必ず自らを明らかにするもの。これが裁判の過程で明らかにされる。

ットやトム、友達たちは裁判について学校で色んなことを話し合う。何が問題か、何が間違っているのか。誰が味方か、相手はどんな気持ちになるか。実はこうやって議論することが、どんな授業よりも大事なのだと思う。

ち方の違いでみえないものがあること、これには考えさせられた。相手の傲岸さしか見えず、法律は富裕層など強者を助けるためにある、お金があれば何でも解決出来るもの、とスコティーは思っている。こうやって子供に無意識に思わせてしまうなんて、貧しいということは意識までも変えてしまう。

 

法廷でぼくが学んだ唯一のものは人々の織りなす人間ドラマ、その苦悩、悲惨、錯雑(さくざつ)の教訓であった。だからぼくは作家になったのだ。(134頁)

なんと、語り手のキットは将来作家になる。一方、トムはお父さんと同じ弁護士の職業に就く。兄弟ながら、それぞれ異なる視点と考え方をしている2人の会話もなかなか興味深い。

童文学、侮れない!いや、児童文学だからこそ大切なことが書かれていて胸に突き刺さる。読んで良かったと心から思う。子供の頃に良い本を読むか読まないかでは、人間形成の過程に大きく影響を及ぼす。この本をたくさんの子供に読ませて、いろんな意見を交わしてほしい。この本を持ち歩いている間、小さい頃子供用図書館に通っていたことを思い出してしまった。

 

くろう文庫の紹介文によると、古い作品でしかも読みづらいとあったけれど、それは本自体の印刷技術にも関係しているのかもしれない。岩波文庫の古い版の印刷といえばわかるだろうか。タイプライターで刻印したような、文字もところどころ薄れていたりで、確かに若干読みづらい。

みづらい字体の間に、印刷し直したとはっきりわかる綺麗な文字を2行発見した。そして読み進めたら他にも数行あった。印刷を繰り返していくうちに掠れてしまい、新しい印刷技術で追加したものだろうか。比べるとかなり違う。

みやすさは断然綺麗なほうだ。でも、私はたまには古めかしい書体を目にするのも好きだ。昔の作品を読むというだけでなく、昔の時代の産物そのものを味わうような。紙に印刷された文字が根っから好きなんだろう。世の中が仮に電子書籍だけになってしまったら、こういう古めかしい印刷を見ることはなくなってしまうのだとしたら少し悲しくなる。