書に耽る猿たち

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『長い一日』滝口悠生|断片的な知識やエピソードが息づいている

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『長い一日』滝口悠生 ★

講談社 2021.10.12読了

 

れは私小説になるのだろうか。日記のようなエッセイのような。語り手が個人事業主青山七恵さんや柴崎友香さんが登場、極め付けは滝口さんと呼ばれている箇所を読んだこと。いや、これはもう滝口悠生さん本人が主人公の話なんだ。8年間住んでいた家から新しい住まいに移る話を軸として日常のことが書かれている。滝口さんの周りにいる人(窓目くんなど)も含めて、知り合いになったかのような気分になった。

山七恵さんが紹介したという、画家の不染鉄(ふせんてつ)さんの回顧展が出てくる。さっそくググってみるとなんとも味わいのある画を描く人だ。また、しわ犬と呼んでいたシャーペイという犬種のこと、夫婦が愛すべきスーパーオオゼキのこと、その他諸々、知らなくてもいい色々な細かな知識やエピソードが息づいている。きっと何年かたって「何の本に出てきたんだっけ?」と思い出しそうな、ストーリーよりも断片的な部分が印象に残るような作品である。

イトルにある『長い一日』だが、決して一日の出来事を1冊にまとめたわけではない。約350頁が全て1日の動きだとしたらこれも驚きだがそういう小説もたまにある。確か、ジェイムス・ジョイスの有名な作品はそうだったんじゃなかったろうか。

なにかについて話そうとすると、それ以外のことがたくさんついてきて、話がどんどん長くなってしまう。(201頁)

口さんの思いや考えを書き出したらとてつもない量になる。実は人はみなこんな風に多くの思いを抱えているが、1日のうちに口で発するものはほんのひと握り、思いのなかの100分の1にも満たないんじゃないかなぁと思ったり。

んな長い語りなのに私には飽きることもなく、やはり滝口さんの文体と書かれている内容は私にとって腑に落ちるのだ。やっぱり好きだなぁ。読んでいるだけで心地よく密度の濃い読書時間になる。あぁ、幸せなひととき。

常のあれやこれやがだらだらと続くだけで、人によっては冗長でつまらなく感じる人もいるかもしれない。私はどうしてこれがおもしろく感じるのだろう。滝口さんが日々の生活や関わる人たちに愛おしさを持ち、それを大切な言葉にする術を持っていることが理由だろうが、そもそもの空気感が合っているのだ。

気のせいかもしれないけれど、それは自分の気なのだから無視しようがないじゃないか。(52頁)

んなセンスの良い文章を書ける人はなかなかいない。「気のせい」だからと気にしないようにする、が普通ではないだろうか。

愛着を語ることの本質的な愛おしさは、その愛着を失ってからしか語り合えない本質的な愚かさかもしれない、と夫は言った。(207頁)

えてもよく意味がわからない妻は、夫のことをこんがらがっているのではないか、小説の書きすぎなのではないかと思っている。作中に出てくる妻はもちろん実際の滝口さんの奥さんなのだろうけれど、とてもお似合いだ。作品の中で愛がどうのとか好きだとか語られるわけではないのに、2人が相手をとても大切にしているのがわかる。 

にもブログに書いたかもしれないが、堀江敏幸さんの書くものが好きな人は絶対に好きだと思う。そうそう、これを読んでいて、岸政彦さん編集の『東京の生活史』をやっぱり買おうと思った。他人の日常は自分には全く関係ないけれど、普段の生活の中にこそ人生の豊かさや幸せが隠れているから。

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