書に耽る猿たち

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『食べて、祈って、恋をして』エリザベス・ギルバート|自分を見つめ直し精神のバランスを取る

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食べて、祈って、恋をして』エリザベス・ギルバート 那波かおり/訳

早川書房[ハヤカワノンフィクション文庫] 2022.5.15読了

 

ュリア・ロバーツ主演の同名映画がとても良かったと最近私の耳に入った。映画自体は2010年に放映された。その原作がこの本である。

庫本の冒頭には、刊行10年めとして著者のまえがきが収められている。エリザベスさんは「活力と意気込み、可能性が際限なく広がっていくという感覚こそ、"若さ"を定義するうえで重要な要素なのかもしれない」と語る。外見や体力が老いの象徴と捉えられることが多く私もそう思っていたけれど、実は心の問題なんだ。エリザベスさんの言う感覚が実は若さの原動力だったのかと目から鱗になった。

えがきの段階ですでに私の心は鷲掴みにされた。本編ではイタリア、インド、インドネシアを4ヶ月ごとに1年間旅をした記録がエネルギーに満ちた筆致で書かれている。彼女のあけすけで大胆な行動は読んでいて楽しく女性なら共感を呼ぶはずだ。

 

界で一番美しいと(著者が思う)イタリア語を学ぶため語学学校に入学する。イタリア語の成り立ちにこんな歴史があったとは知らなかった。男性に声をかけられたことが嬉しいのではなく、会話の練習になりイタリア語に陶酔しているエリザベスはなんと尊いことか。私は日本語も美しいと思うが、それは表現方法が多彩であり文章を読む時に感じることが多い。イタリア語のそれは発音であることが多く耳に響く音が美しいのかもしれない。

タリアのサッカーファンは試合終了後に飲みに行かず、シュークリームを路上で頬張るのというのがなんかいいなと思った。イタリア一(つまり世界一)と言われる「ダ・ミケーレ」のピッツアを頬張る場面は、読んでいて涎が出そうになる。美味しいものを食べる、食べる、食べる。エリザベスさんは、人間として生まれてきたからには、何か微々たるものでも自分なりの喜びをみつけることが義務であり権利であるという。それが食べることであっても。

 

ンドでは一変して瞑想の世界に入る。ヨガの師匠グルはもちろん支えとなるのだけれど、インドでエリザベスさんが出会った一番の師はテキサスのリチャード(この人だけは正真正銘の本名らしい)だろう。彼のキャラクターは本当に抜きん出ている。

シュラム(僧院、ヨガを学ぶ施設)にいる信頼のおける師は「観光客や記者として来ているのではなく、あなたは求道者として来ているのです。探究しなさい」と言う。エリザベスが苦痛に思っていたグルギータと呼ばれる詠唱についても、翌日から意識を変えるだけで感じ方が変わる。

チャードの勧めでエリザベスは「精神の旅」をすることになり、インドでは観光はせずに小さな村の一つのアシュラムで4ヶ月を過ごすことになった。信仰というものは、決して何かにすがることではなく、自分自身を見つめ直すことなのだ。

 

後の4ヶ月はインドネシアである。私はマレーシアを旅行したことがあるが隣国インドネシアは未踏の地だ。行ったことがある人はインドネシア・バリ島は素晴らしいと声を揃えて言う。

リザベスがインドネシアに来た目的は、バランスを見出すこと。2年前に予言を受けたクトゥという治療士の元で安定した生活をする。親友となる治療士ワヤンとも出逢い、彼女に家をプレゼントまでする。

はしないと決意していたこの旅なのに、フィリップという男性が現れたことでエリザベスの運命はまた新たな展開を見せる。やはり全身全霊で愛することは素晴らしい。彼女は相当な恋多き人。

 

ずみずしくエネルギーに満ち溢れた言葉の海。旅立つ前は絶望の淵にいた彼女が1年間に多くのものを得て自分を見つめ直した。イタリアで食べて、インドで祈って、インドネシアで恋をして。こんな旅が出来たら人生の特別なギフトになるだろう。

んな風に人を惹きつける文章は誰にでも書けるわけではないが、彼女が体験したことや感じたことはその一部は誰にでも起こり得ることなのだ。ちょっとスピリチュアル気味なところが多く、分量も多く時間がかかってしまったけれど、一緒になって貴重な体験ができたかのよう。

者のあとがきでエリザベスさんの近況に触れられていたけれど、ちょっと驚いた(Wikipediaでは現状更新されていない)。ま、それも彼女らしいのかもな〜と思ったりもした。