書に耽る猿たち

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『いかれころ』三国美千子|人生なんてそんなもの

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『いかれころ』三国美千子

新潮社[新潮文庫] 2022.6.12読了

 

島由紀夫賞と新潮新人賞を同時受賞したということで、単行本刊行時からとても気になっていた作品である。三国美千子さんの文章を読んでみたいと思っていたら今年になりこの作品が文庫化されていた。

歳の女の子がこんな風に語れるものかなぁ。大人になった奈々子が回想しているとはいえ、こんなに詳細に覚えているものだろうか。私が自分の四歳の時のことを誰かに聞かれても、幼稚園の先生が好きだったとか、送迎バスに並んでいる場面や、家でお化け屋敷ごっこをしたことなどぽわ〜んとした記憶しかない。まして、どう感じていたかなんて言葉に表せられない。ただ、嫌な感じだったとか、嬉しかったとかそういう感覚だけはある。

から、四歳の奈々子の語りは最初不信感があったのだけれど、これは、子供にしかわからない感覚をきちんと代弁したものなのだと思い読み進めると、意外なほどすんなりと小説世界に入れた。大人にしかわからない言葉や方言を、子供の視点で私たちに解き明かしてくれている。

内の代々の農家・杉崎家の在り方を、昭和58年当時四歳である奈々子の視点で回想して書くという構成になっている。本家・分家、養子、縁談やらの言葉が飛び交う。杉崎一族に関わる人たちがその血を絶やさぬため、世間から恥にならぬよう、それぞれの思惑を持つ。

ころで『いかれころ』とは大阪・河内弁で「踏んだり蹴ったり」の意味を持つそうだ。奈々子の叔母志保子は自分のことを「いかれころ」だとため息混じりに話すが、その語りは意外とあっけらかんとしていて、人生とは結局いかれころなものなんだという気分にさせてくれる。

和の時代のことを書いているから当たり前なのだが、最近の新人作家の作品でよく出てくるSNSなどのワードがないのが逆に新鮮であった。これがデビュー作とは思えないほど丁寧に紡がれた洗練された文章だった。私は結構好きだけど、これは純文学好きでないと好まれないかもしれない。