書に耽る猿たち

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『教誨師』堀川惠子|人間はみな弱い生き物である

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教誨師(きょうかいし)』堀川惠子 ★

講談社講談社文庫] 2022.10.24読了

 

前から書店で目にして気になっていた本である。教誨師とは「処刑される運命を背負った死刑囚と対話を重ね、最後はその死刑執行の現場に立ち会うという役回りであり、報酬もないボランティア(12頁)」である。このような任務を担う人がいるのはなんとなく知っていたが、彼らを「教誨師」と呼ぶことはこの本を読み初めて知った。

邉普相(ふそう)が教誨師になるきっかけをもたらした僧侶篠田龍雄(りゅうゆう)の説法を読んで心にすとんと落ちた。浄土真宗の「悪人正機説」がもつ通常の思考と正反対の言い回しである。こんな説法なら私も聞いてみたい。

の作品では、教誨師という立場の意味やあり方、渡邉普相にどのような過去がありどうやって教誨師になったのか、そして実際の死刑囚とのやり取り、死刑執行を見届ける場面などが克明に記されている。教誨師という過大な負担を抱えた彼は、なんと晩年にはアルコール依存症になってしまう。

刑の執行現場の描写は、読んでいて胸が震える想いだった。極秘中の極秘である執行の一部始終はこのように執り行われるのか。ここに教誨師も同席する、なんという役割だろう。これまで宗教の教えを説き、生きるための希望を一緒に作った相手の死を見なくてはならないとは。それも、人間の手によって意図的に人殺しをする場面を。

務官という職に就き、たまたま死刑執行人を命ぜられたら、自らの手で人を殺めたという感情を持って生き続けなくてはならない。確か今は3人が一斉にボタンを押して誰のボタンが命綱に繋がっているかわからないようになっているはずだが、昔はレバーで一押しだったのだ。私たちが簡単に「死刑」という言葉を口にする時、それを遂行する人やその現場を考えていない。

に、母親に捨てられたことが殺人のきっかけとなり、死ぬ間際まで母親への恨みつらみから絶叫した横田和男の最期には全身が震えた。「母を恨んだまま死なせてはならぬ」として教誨したのに、それが叶わなかった、その無念が渡邉の心を苛む。

説家・精神科医である加賀乙彦さんの著書『宣告』を思い出した。思い出すも何も『宣告』は私にとって今のところベスト3に入る小説だから、頭の片隅には絶えず存在している。死刑囚と対話をした加賀さんは死刑廃止論者である。この『教誨師』を読むと、死刑制度が反対とか賛成という表面的な意見はどうでもよくなり(御幣があるかもしれないが)、長く死刑囚と向き合ったことがある人や死刑執行人にしかわからない問題ではないかと感じた。

 

者の堀川さんが終わりの方に語る文章がとても心に沁みたのでいくつか引用する。

善でも悪でもない、正でも邪でもない、人間はみな、弱い生き物であるということを彼は伝えたかったのだと思う。(329頁)

永遠に続く幸せがないように、永遠に癒えぬ哀しみもない。だからこそ、人は生きていける。(341頁)

私たちは、死に向かって生きるのではない。迷いを重ねながらも、最後の瞬間まで間違いなく自分という命を生き抜くために、生かされている。(341頁)

 

が真っ白の善人はいないと思う。人間は誰もがずるくて悪くて、自分のことばかり考えている。それが人間なのだから。しかしこの本を読むと、自分が生きている意味や、他人と社会のことを考えて「空」の精神になれ、前を向かないといけないという気にさせられる。