書に耽る猿たち

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『樋口一葉赤貧日記』伊藤氏貴|底辺の人びとを描く貧困のリアリズム

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樋口一葉赤貧日記』伊藤氏貴

中央公論新社 2023.3.16読了

 

川上未映子さんがTwitterでこの本をおすすめしていた。確か新幹線での移動中で2巡目を読んでいたと思う。川上さんは樋口一葉著『たけくらべ』の口語訳も手掛けているから思い入れも強いはずだ。私は小学校の教科書と文学史レベルでしか樋口一葉作品には目を通していないが、川上さんがおすすめなら鉄板だろう!と思い手に取った。川上さんの好評新刊『黄色い家』をまだ読んでいないのに…(すでに購入済みではあるが)。

 

者の伊藤氏貴さんのまえがきによると、五千円札に樋口一葉さんの肖像画が印刷されると知ったとき、非常に驚いたという。「いちばんお金に縁のない者を紙幣の顔に選ぶとは」と。そもそも一葉さんが貧困だったとは私はつゆ知らず、ただ「女性が選ばれるのは珍しいなぁ」と思ったに過ぎなかった。

 

れを読み始めた時、ちょうど財布に入っていた五千円札をまじまじと見ながら、100年後には大谷翔平さんが印刷されるのではないかなんて考えたり。いまの一葉さんの顔もあと2年余りで次の方にバトンタッチになるんだよなぁと少し感慨深くなる。

 

葉が生まれる前年の明治四年(1872年)に、新政府は十進法による「円」という新しい通貨単位を定めた。今もなお続くこの貨幣制度の下に一葉は生まれ、お金に翻弄された短い人生だった。この評伝は、各章の始めに一葉の数年の年表(しかも日付レベルの細かさ!)を示し、本文では一葉の日記や和歌を添えた構成になっている。あまりないタイプの評伝で斬新でありとてもおもしろく読めた。

 

親が新聞を読む場面。昔は黙読の習慣がなく、書物を読むのには音読が基本、声を出すことが当たり前だったというのは何度か読んだ事がある。新聞を誰か(父親であることが多い)が声に出して読むことで、周りにいる家族は耳からその情報を得ていたという。一葉の日本語能力もそこから培われた。

 

芸雑誌の締切の催促が来たとき、一葉は締切に合わせて書くことに疑問を感じていた。しかし、今でも文芸雑誌の存在意義は「締切」にあると言われ、良作は締切がないと生まれないかもしれないそうだ。なるほど、ほとんどの作家は締切を嫌がるし、「いつまででも待つよ」と言われたら書かなくなり、そうなると優れた小説が生まれる機会を逸してしまうのかもしれない。

 

葉さんがこんな人生を歩んでいたとは知らなかった。生まれた時はそれなりに裕福だったものの、父親の事業が失敗し徐々に貧しくなり、さらには父親と兄が亡くなり、若くして一家の主人となっていた。こんなにも人にお金を借りたり質いれを繰り返していたとは。それでも女の武器を使ってお金を稼ぐことは一切せず、嫌われることもなくむしろ周りから気にかけられていた。後世に良い文学を残したいという一心でひたむきに生きた。

 

葉さんの作品が今でも読み継がれているのは、伊藤さんによると「底辺の人びとを描く貧困のリアリズム」が理由だという。転々と繰り返した引越しで人々の営みを見つめた。そして吉原の隣に住んだことであの『たけくらべ』が生まれた。作家の作品だけでなく、その人生や時代背景を知ることでより深い読み方ができるはずだ。

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