書に耽る猿たち

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『同調者』アルベルト・モラヴィア|正常さを追い求めたその先には

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『同調者』アルベルト・モラヴィア 関口英子/訳 ★★

光文社[光文社古典新訳文庫] 2023.5.22読了

 

の中には、生き物を虐めたり、人を痛めつけ殺すことに快感を持つ人が少なからず存在する。犯罪者の告白や犯罪学の本などを読むと、そういった性癖が実際にあるようで、「盗み癖」と同じように神経中枢にある種の快楽や高揚感を生む。そして人を痛めつけることに興奮を覚える人は、例外なく人間の前にまずは動植物を殺めることをする。段階を踏んで自己の快楽を増長させるかのように。

 

ロローグで、少年時代のマルチェッロはトカゲや猫を思いあまって殺してしまう。故意にではなかったのに、実はある種の快感と恍惚感を感じているのに気付く。そして、拳銃への憧れと殺人への衝動を自己に見い出す。自身に潜む攻撃性などの異常さを理解していくその過程が、おそろしいほどのリアルさを持つ。本編はこの出来事から17年後になるのだが、正直なところこのプロローグだけでもひとつの作品として成立するほど完成度が高い。

 

ロローグで語られる少年期に殺人を犯してしまったマルチェッロは、救い難い異常な性向を見出してしまう。自分が「異常」だという感覚から自らを解き放つために、「正常さ」を追い求めずにはいられなかった。マルチェッロにとって正常さというのは「普通」であること、みなと同じように周囲に「同調」するように生きようとすることだった。

 

底的なまでの自己分析が続く。自分の思考、行動、相手が誰であるからこうなってしまったという後悔と宿命、信仰心の揺らぎ。しかし、周りの人びとにも少なからず「異常」さがあるのではないかと徐々に気付いていく。ミステリでもないのに心理サスペンス的な要素もある。深く考え込みゆっくりと頁を捲りながらも、ラストまで息もつかせぬ展開に読書の喜びを二重三重に堪能できた。最後はこうなるのかと、絶望と虚無感に打ちのめされる。

 

ラヴィアの作品を読むのは2冊目である。先月参加した「象の旅」トークイベントで、木下眞穂さんが敬愛する訳者の一人として関口英子さんの名前を挙げていたので、この本を手に取ってみた。彼女の訳書を数冊読んではいるが、これがなんと大当たり!

 

口さんによるあとがきで「イタリア人よりもはるかに同調圧力が強く、空気を読むことや大勢に順応することをよしとする傾向のある日本の社会に生きている私たちだからこそ」とあるように、「同調」することの意味、そこから何が起きるのかを良い意味でも悪い意味でも考えさせられる。新型コロナウイルス予防におけるマスク着用の有無も「同調」そのものではないか…。同調がもたらすものとは。

 

厚で濃密な文体に触れられ、どっぷりとこの世界を堪能できる。以前読んだ『倦怠』の何倍もおもしろかった。現代の日本ではそんなに知られていないモラヴィアだが、1960年代〜80年代の日本では競うように邦訳され、イタロ・カルヴィーノをはるかに凌ぐ冊数が邦訳されていたらしい。もっともっと注目されるべきだし、他の作品も読みたくてたまらない!

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