『高熱隧道』吉村昭
新潮社[新潮文庫] 2023.8.27読了
数年前に黒部・立山アルペンルートを含めて富山を旅行した。黒部ダムの勢いよく放出される水に圧倒された。なかでも、立山の景色の素晴らしさが本当に忘れがたく、なんなら日本で観光した景色で一番といってもいいくらい感動した。
この作品は、黒部第三発電所建設工事第三工区、水路・軌道トンネルの掘削を描いた事実に基づく記録文学である。旅路で通ったあのトンネルの掘削はこんなにも過酷で苦しいものだったなんて思わなかった。
工事進捗途中に、これまでの掘削経過を祝い、また今後の無事故を祈って岩盤に清酒ニ升を注いだが、たちまち音を立てて水蒸気に化してしまったなんて、どれだけ高温なのかがうかがい知れる。
約4年間に渡る工程で犠牲者が300人とはいえ、これは総勢であり、一度にこの人数が亡くなったわけではない。数人ずつ焼けてしまったり崖から落ちたり。そして雪崩事故ではまとめて何人もが仏となる。今であれば工事が中断されるはずなのに、どうして決行させたのか。途中の大事故では、あり得ないことに国から支援金のようなものも出されている。
自然には、何万年、何億年の歳月の間に形づくられた秩序がある。さまざまに作用する力が互に引き合い押し合いして生れた均衡が、自然の姿を平静なものにみせているのである。土木工事は、どのような形であろうともその均衡をみだすことに変わりはない。火薬で隧道を掘りすすむことは、長い歳月たもたれてきた自然の秩序に人間が強引に挑むことを意味する。(177頁)
土木工事だけではない。海にプラスチック等のゴミを捨てること、排出ガス放出による地球温暖化、森林伐採問題。人間だけがこの地球に優位に我が者顔でのさばっている事実。地球規模で考えると、なんて自分勝手なことか。
吉村昭さんの記録文学を読むのはこれが初めてだと思うが、紛れもない傑作だった。去年の本屋大賞「発掘部門」の『破船』は、心理的な怖さがあるが、この『高熱隧道』は事実の脅威、そして自然と人間の確執が描かれている。それにしてもラストシーンは怖かった。労働者たちが工事監督、責任者を本心ではどう思っていたのか。
坑夫たちは「ただ地中を掘り進むことだけにしか関心をいだかず、最後の発破で切端にぽっかり穴のあけられた瞬間の、体中に満ちる熱いものを味わうためだけに(44頁)」とあったが、このラストを読むと内に秘めた人間の憎悪に慄くのだった。