書に耽る猿たち

読んだ本の感想、本の紹介、本にまつわる話

『しろがねの葉』千早茜|何を光として生きていくのか|銀世界を肌で感じ取る

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『しろがねの葉』千早茜 ★★

新潮社 2023.2.4読了

 

早茜さんの小説は過去に1冊だけ読んだことがある。女性ならではの細やかな表現が際立ち、何よりもとても読みやすかった。しかし他の作品をなかなか手にする機会がなく。今回読んだのは、ずばり直木賞受賞作だから。これに尽きる。直木賞という単語の威力は凄まじい。

はこれ大河小説なのだ。千早さんが書くイメージは全くなかったから驚いた。となると小川哲著『地図と拳』も歴史ものだったから、今回の直木賞は両作とも歴史ものになる。最近の傾向として、直木賞は大河・歴史ものが多い気がする。選考委員の顔ぶれを見てもなんとなく納得。

 

ヶ原の戦いが出てくるので、時は戦国末期から江戸時代にかけての頃。ちょうど徳川家康の政権か。今年の大河ドラマ『どうする家康』を観るかどうするかまだ迷うところ…。初回はどうかなと思ったけど、前回は意外と観られたし。戦国末期とはいえ、この作品には合戦やら武将やらが出てくるわけではなく、島根県にある石見(いわみ)銀山を舞台にした作品だ。坑道で働く男たちとそれに尽くす女たちの、銀山の魔力とその魅力に翻弄された人間たちの物語である。

見銀山は世界遺産に登録されているようだ。なんと最盛期には世界の三分の一の量の銀をここで産出したらしい。もちろん今は閉山しているが一度訪れてみたいなぁ。銀山温泉には行ったことがあるんだけれど、あれは名前が同じなだけで全く違うし…。

 

さな頃から夜目が利き暗がりを好む子だったウメは、夜逃げをした日に両親と離れ離れになってしまう。山を彷徨い続けていると、天才山師である喜兵衛(きへい)に助けられ一緒に暮らすことになる。ここからウメの運命が大きく動いていく。

「おなごとおのこは違う」、これがわかっていてもウメは喜兵衛のように、間歩(まぶ)に入り銀を見つけたい、山師になり1人でも生きていきたい、そう強く願う。それでも成長するにつれて女である性を認めざるを得ない。

堀になった男は長く生きられない。女だけが生きていくしかないのである。ウメと関わった人間らが確かに生きていたという証を胸に、ウメは光をみつけて強く生きる。人間が生きることの意味、何を光とするのかを深く考えさせられた。

 

前読んだ千早さんの作品と比べるとタッチが全然異なるので、知らなければ同じ人物が書いたとは気付かない。私としては断然こっちのほうが好きだ。新境地とあるけど、千早さん自身も一念発起して臨んだのだろうし、それで直木賞受賞という快挙になったんだから嬉しさもひとしおだろう。起伏があまりなく(多少はあるけれど何故か高揚したりはしない)落ち着いた筆致で読み進められ、それがとても心地よい。

 

直なところ読んでいて、誰がああなるとか展開はこうだなとか大体のストーリーは想像できてしまう。しかしこの小説はストーリーを楽しむというよりも、この銀世界における間歩の匂いと、静謐さに漂う音、澄んだ空気を文章から感じることが素晴らしい読書体験となる。

 

メの逞しさと生きる力が深く胸を打つ。喜兵衛や隼人、おとめ、龍などの登場人物もまた魅力的である。なかでも喜兵衛に支えるヨキに私は強く惹かれた。また、島根の方言が柔らかく重みがあり、作品の良さを高めている。「嬉しいのう」という一言ですら、嬉しさがだだもれているかのように溢れている。ひたひたと静かな感動が押し寄せる、直木賞受賞も納得の作品だった。

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『僕は珈琲』片岡義男|私も珈琲|東京堂書店

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『僕は珈琲』片岡義男

光文社 2023.2.1読了

 

んて味わい深い文章を書く人なんだろう。淡々とした中にも、読み手が想像を巡らせてしまう独特の空気がある。片岡義男さんの短編を読んだある編集者から「出来事だけが物語のなかに書いてある。筆者の気持ちをいくら文章のなかに探しても、それは報われない」と言われた。つまり「好ましい日本語ではない」と仄めかされたことがあるそうだ。私は片岡さんの文章は結構好きだし、そういう人が少なくないから多くの人に読み続けられているのだろう。文章は、誰がどう読もうとも自由なのだ。

 

琲に関する書き下ろしのエッセイが52篇、短編小説が1つ収められている。モーニングサーヴィスを初めて体験したときのエピソードに新鮮な気持ちになれた。ハワイで珈琲のお代わりをたくさん頼むのはアメリカンコーヒーだからだという気付きに妙に納得したし、ドトールミラノサンドの話もおもしろかった。次にドトールに行ったらメニューをじっくり見てしまいそうだ。

 

具メーカーBICが作っていたチャーリー・ブラウンのボールペン、私も欲しくなった。確かにあのギザギザには惹かれるものがある!スヌーピーがさも主役のようで目立っているけど、実は『ピーナッツ』の主役はチャーリーだよな。もちろん私も珈琲が好きなことがこの本を開いたきっかけの一つだが、一つ一つのエピソードや着眼点がいちいちおもしろい。

 

イトルの『僕は珈琲』というのは、あるエッセイのタイトルそのままなのだが、これは喫茶店での注文の仕方のことだった。「僕は珈琲を注文します」の「僕は珈琲」、確かに省略してこう頼む人って結構多いよなぁ。文字からは、まるで、自分自身=珈琲と読めてしまう。英語にしたらI am coffee、確かにこれは早急になんとかしなくては、と思うのも頷ける。

 

た、コーヒーはカタカナで書くよりも「珈琲」のほうがこだわり感があっていい。片岡さんもこの本のなかで「コーヒーは間抜けに見える。珈琲という漢字は凛々しい」と言っている。うん、確かに。私もこれからは珈琲と漢字で書こう。カレーも「咖喱」のほうが厳かな感じ。珈琲も咖喱も当て字だけどなんかいい。そういえば直訳すぎる単語も清々しいとあった。青春がブルー・スプリング、作家がメイク・ハウス。そうそう、私は意外と直訳に近い翻訳が意外と好きなのだ。

 

に「カタオカさんの珈琲おかわり出来ました」とあるように、第一弾『珈琲が呼ぶ』という本が実は5年前に刊行されており、その続きがこの『僕は珈琲』である。私は『珈琲が呼ぶ』を読んでいないし、片岡義男さんの存在は知っていたけど、ちゃんと彼の書く文章を読んだことがない。珈琲も本も写真(写真家でもある)も好きであるが、映画も相当好きなんだなと思った。あとは日本語を愛していることがよくわかる。

 

保町にある新刊書店『東京堂書店』は、今現在私が知っている中で一番好きな書店である。この書店で2週連続ランキング1位だったのがこの本だ。東京堂書店は選書に独特のこだわりがある。レジ前の平台もとても魅力的で、昔から多くの著名人・読書人に愛されている。他の書店では絶対にランキング入りしない本が売れていたりとけっこうおもしろい。この本は東京堂書店で買ったわけではないが、きっと片岡さんのこの本を推しているはず。片岡さん自身も神保町に住んでいたことがあったようで、神保町のいくつかの珈琲店も紹介されていた。

『眠れる美女たち』スティーヴン・キング オーウェン・キング|キング親子によるパニック小説

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眠れる美女たち』上下 スティーヴン・キング オーウェン・キング 白石朗/訳

文藝春秋[文春文庫] 2023.1.31読了

 

しぶりのキング作品!本の最初にある登場人物紹介は、どんな人が出てくるのかな(名前というより関係性やら職業やらの事前知識として)と一応目を通してから本文に入るが、何故かキング作品に関しては登場人物を見るだけで楽しみな予感が胸に迫り来る。精神科医麻薬中毒者、愛猫家、もう見るだけでわくわくする。

つものキング作品さながら、まぁまぁのボリュームである。分厚い文庫が上巻だけで1,590円+税って高過ぎないか…?それでも一度読みたいと思ってしまうと気になって仕方ない。そして読み始めた日には、通勤電車の中でさえ楽しくなれる。しかし読み終えるのに一週間もかかってしまった。

 

ゥーリングという街でオーロラ病と呼ばれる病が流行り出す。『眠れる森の美女』のオーロラ姫にちなんで「オーロラ病」である。つまり、眠りから目覚めることがなくなってしまう病。しかも眠った女性は蜘蛛の巣のような糸でできた繭に包まれる。

の街にある女子刑務所の受刑者がどんどん眠りに落ち、さらに世界に蔓延していく。一体何が起こっているのかー。ただ1人、唯一眠っても普通に目覚め、しかも不思議な力を持つ女性がいた。彼女は一体何者なのかー。そして女性たち、残された男性たちはどうなるのかー。とまぁ、こんなストーリーである。

感染症は女性しかかからないと知った時、女性たちはなんとかして眠らないようにする。眠気と闘うのってなんて苦しいんだろう。私なんてできればなが〜く睡眠を取りたい人なのに。まぁ、眠りたくても眠れないのもまた辛いけど。

本ではこの春にようやく新型コロナウィルスが第五類になるようで、いよいよ収束に近づくか否か。この小説もいわゆるパンデミックモノで、感染した人々が独自の未来を切り開こうとしていくという意味では、サラマーゴ著『白い闇』を連想する。 

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ングの作品は本題に入る前の前談が長すぎると言われるが、私はこれこそがキング小説の醍醐味であると思う。多くの人物の詳細な群像劇が、目まぐるしく展開される。登場人物紹介の頁を何度まさぐったことか…。刑務所付の精神科医クリントと、妻である警察署長のライラの過去と行方が特に気になった。

れにしても(この作品だけではないが)キングが書く人間の死にゆくシーンが鮮明過ぎる。グロテスクで残忍で、見るのも聞くのも目と耳を覆いたくなるこの描写はどこから来ているのだろう。キングの前職は高校教師とあるし、死体検察官や警察だったわけでもないのに、よくもこんな表現を。

 

近読んだ小説で出産の場面をよく読む(アニー・エルノー『事件』やマデリン・ミラー著『キルケ』など)が、壮絶で誰もが死に物狂い。本人だけでなく、赤ちゃんも、取り出す人も、漂う空気すらも。死にゆく時が穏やかなものであろうとも、はては死にたくないともがき苦しむ場面だとしても、死に瀕したときにはエネルギーを使う。一方で、生きるとき、産まれるときにも同じく火事場の馬鹿力を発する。生死とは突き詰めると同じ熱量の行為かもしれない。

ング氏の力量は言わずもがなであるが、白石朗さんの訳であることも大きいと思う。彼の訳した文章はピタリと息が合っている。刑務所の嘘八百のくだりなんて、おもしろすぎる。そして、アメリカ人の中で、乱暴で口の悪い人を訳させたら白石さんに敵う人はいないのでは。

 

の作品は、オーウェン・キング(キング氏の次男)との共著になっている。共著ってどうやって書くのかな?仮に少しだけ筆を加えただけでも共著になるのだろうし、その分担はよくわからないけど、いつものキング作品とそんなに変わらなかった。ただ、この展開の割にはちょっと長過ぎた感…。実は上巻を読んでいるときには「なんておもしろいんだ!」と興奮していたのに、下巻になるとクールダウンしてだれてきてしまった。バトルロワイヤル感が半端なかった。ホラーではなくパニック小説。キング作品を初めて読む人にはちょっとお薦めしにくいかも。キング作品を読み尽くしてる人なら安定の楽しさが味わえる。

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『この世の喜びよ』井戸川射子|存在感ある文体|芥川賞のこと

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『この世の喜びよ』井戸川射子

講談社 2023.1.24読了

 

年井戸川射子さんの『ここはとても速い川』を読んでその文才に圧倒され、すぐに『この世の喜びよ』を購入していた。すでに芥川賞にノミネートされており、まだ未読であるのに芥川賞を受賞しそうだなと思っていた。本当は発表前に読むつもりが色々あってこのタイミングになってしまった。

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ョッピングセンターの喪服売り場で働く「あなた」を主人公にして、ゲームセンターにしょっちゅう訪れる女の子との語り合いから、自分の子育てや過去の生き方を回想しつつ日々を淡々と過ごす。「あなたは」と書かれているが、これは「わたしが」という一人称の読み方もできる。今村夏子著『むらさきのスカートの女』のように、これはもしかして、、と語りに疑いを持つとともに美学を感じながら読む。

らぶれた中年女性が人生を少しあきらめかけた様が物悲しさを漂わせる。しかし若者たちと接することで安らぎを見出せる。「あなた」は人に怒りを発することもなく、感情の起伏があまりない。もっと主張してほしいと感じてしまう。このまま終わるのかなと思いながらも、ラストは希望の光が差すようで神々しく感じた。

 

川賞受賞後だったから期待値が高過ぎたのか、私としては『ここはとても速い川』のほうが圧倒的に好きだ。あの疾走感と寂寥感のインパクトが強すぎた。この作品には一筋縄ではいかない難しさがある。物語の展開がという意味ではなく、読みとるのが困難だ。それでも、間違いなく井戸川さんの書くものには一度読んだら忘れられない存在感があり読むと息がしづらくなるような切羽詰まった感じがある。

 

近でいうと、宇佐見りんさんの作品も芥川賞受賞作『推し、燃ゆ』よりも『かか』のほうが好きだし、今村夏子さんも『むらさきのスカートの女』より『星の子』のほうが好きだ。純文学は好きなので、芥川賞受賞作は好みだし優れた作品が多いとは思う。でも、受賞作だからといって無理に好きになったり推さなくてもいいはずだ。それでも、結局気になるから佐藤厚志さんの『荒地の家族』も読むだろうな。

 

の本には表題作以外に『マイホーム』と『キャンプ』という短編が収められている。どちらもその対象を徹底的な眼差しで淡々と映し取っている。詩を解説した文章のような感じがした。

『fishy』金原ひとみ|お酒を飲み交わす関係はいい

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『fishy』金原ひとみ

朝日新聞出版[朝日文庫] 2023.1.23読了

 

原ひとみさんの作品はここ1〜2年で読むことが増えた。昔はそこまで惹かれなかったのに、40代の今読むととても突き刺さるものがある。確実に綿矢りささんの小説の方が好みだったのに、今は金原さんの文体を体の芯から欲する。

 

座のコリドー街でお酒を飲むシーンから始まる。去年末、久しぶりにコリドー街周辺を通ったら、一本路地を入った高架下に、新しく「銀座裏コリドー」なるものが出来ていて驚いた。昔とはだいぶ変わっていた。37歳既婚で子供2人を持つ弓子、32歳バツイチのユリ、27歳独身女性の美玖の3人の女性がそれぞれの視点で日々の生活について語り続ける。特に恋愛について。最後までミステリアスなユリを除くと、弓子と美玖の恋愛の悩みは、よくあるそれだからこそ感情移入しやすい。

 

んなそれぞれが鬱屈とした悩みを抱えている。その原因をあけすけに愚痴り、思い切り泣き喚き、同性に助けを求める。お酒好きが高じてつるむようになった3人の関係が微笑ましいと同時に羨ましい。それぞれが微妙に「友達」とは認めていないが、大人になると「友達になろう」とか「私たち友達だよね」なんてあえて確認し合わないし、どう定義づけてもいい。友達と意識しなくても仲の良い関係はある。これは男女でもあると思う。

 

場人物全てが善人で幸せいっぱいの小説というのは気分は良いけれど、読み手からすると、たまには何かしらの痛みや悩みを抱えてる人物を欲してしまう。ともすれば現実の自分と比べて、こんなに不幸で苦しい人がいるんだと少しの憐れみと優越感を感じるからだろうか。

 

イトルの『fishy』は「魚の」という意味の形容詞だけでなく「あやしい」「うさんくさい」「うつろな」などの意味もあるようだ。金原さんの小説のタイトルはカタカナであることが多いけど「フィッシー」はちょっと違ったんだろう。

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『ロリータ』ウラジーミル・ナボコフ|性愛小説ではないのよね|再読のすすめ

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『ロリータ』ウラジーミル・ナボコフ 若島正/訳

新潮社[新潮文庫] 2023.1.22読了

 

んとなく敬遠して読んでいない人は本当に勿体無いと思う。私はこの『ロリータ』を読むのは2回めだけれど、やはり傑作だと感じた。ドロレス・ヘイズ(愛称ロリータ)をその偏愛により愛し尽くし、やがては罪を犯したハンバート・ハンバートの長い長い告白による弁明である。

う、序盤の「ニンフェット」を語り尽くす場面ではいささか気分がげんなりして、特に女性であれば吐き気を催す人もいるだろう。この性癖、嗜好、変態さ加減がぶっ飛んでいる。この本が書かれたことで、多少似通った性癖を持つ人に自己肯定感を植え付けてしまった可能性もある。

れにしても、名前がハンバート・ハンバートっていうのがまた滑稽でこの小説を忘れがたく(まるで『嵐が丘』のヒースクリフのように)させる。日本人だったら高田高子さんとか、真琴誠さんとかになるのかな。

ンフェットの定義によると、期間は9歳から14歳まで。時間が止まらない限り、ハンバートはただ1人を愛し続けるということはできないのである。しかしその歳を超える前にドロレスは姿を消してしまう。3年後にニンフェットでないドロレスを見た時にまだ愛情があったならば、ハンバートはニンフェットを超えて1人の女性を愛したということになる。

様性の社会で、年齢差という垣根は大きな問題ではなくなっている。同性を好きになる人もいるし、動物を好きになる人もいる。世が世なら、というか将来的には肯定される時代が来るかもしれない。序盤にあんなに嫌悪感があったハンバートなのに、読み終える頃には気の毒に思えてくる。

ンバートが、つまりナボコフが弄んでいたのはニンフェット(=ロリータ)という形あるものではなく、もはや言葉そのものだったのではないか。言葉、文学を通してある男の鬼畜ぶりを、これでもかというほどの力量をもって書かれたこの文学作品に喝采を送りたい。

 

ボコフの小説は他に2作品読んだが、難解で私には良さを理解でなかった…。しかしこの『ロリータ』は紛れもない秀作である。今年は過去に印象に残った本を再読する時間を設けようと思っている。まずはこの『ロリータ』から。訳者のあとがきによると、ナボコフは「人は小説を読むことはできない。ただ再読することができるだけだ」(『ヨーロッパ文学講義』より)と述べている。読み返したときに初めて気付く小説の仕掛けと素晴らしさを堪能しようではないか!

『キルケ』マデリン・ミラー|神も人間も痛みは同じ

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『キルケ』マデリン・ミラー 野沢佳織/訳

作品社 2023.1.19読了

 

リシャ神話は、ところどころのエピソードは聞いたことがあるけれど、ちゃんと読んだことはない。岩波文庫から『イリアス』や『オデュッセイア』が刊行されておりいつかは読みたいとは思うのになかなかきっかけも掴めず。この作品のタイトル『キルケ』とは、ギリシャ神話に登場する魔女として知られる。

昨年読んだリョサ著『悪い娘の悪戯』の表紙の絵画(ジョン・ウォーターハウス作『ユリシーズカップを提供するキルケー』)の女性がこのキルケだから、やはり悪女のイメージなんだろうなと思っていたら、この小説に登場するキルケはちょっと違う。容姿も決して良いとは言えず、出来損ないの長女として育った彼女は、兄妹からも両親からも疎まれていた。

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好きになった相手は別のだれかを好きだった、という経験をした愚か者のだれもが考えることを、わたしも考えた。彼女さえ消えてくれれば、何もかもが変わるはずだと。(67頁)

はこう思ってしまうんだな…。男に仕返しをするのではなく、相手の女性を懲らしめようと。そうしてキルケは、恋敵のスキュラに、毒の入った薬草を飲ませ取り返しのつかない過ちを犯してしまう。父親の太陽神ヘリオスの怒らせ、孤島へ追放されてしまうのだ。しかし、キルケは自分の魔力に気付く。そして、自分らしく生きていく。

 

こかで聞いたことのあるような神話や神々の名前が登場する。ミノタウロスイカロス、オデュッセウスアキレウス。「勇気ひとつを友にして」という歌、あれはイカロスの歌だっけ。この作品にイカロスはほんのちょっとしか出てこないけれど、出てくる人物一人一人が主役になるほど存在感が強い。

 

話の世界。神々と人間が一緒に生きていた頃のお話である。冒頭からずっと、現実の世界を忘れて、夢の中を彷徨うように夢中になれた。キルケのわがままさ、子供っぽさに呆れながらも、強く成長していく姿に共感し応援したくなる。人間に何度か恋焦がれるキルケだけど、人間には「死」がある。神には死も病気すらもない。だけど、苦しみや悲しみ、痛みは変わらないんだ。

 

六版ソフトカバーで約470頁、結構こまい文字でびっしり書かれている。余程のギリシャ神話好きでないとなかなか読もうとしない類のものだし、途中私もちょっとダレそうになった。それでも、このつかみどころのない神話を、読ませる物語に仕上げる著者のマデリン・ミラーさんってすごい、もはや変態の域だなと思った。神秘的で、やさしい魔法がつまったおとぎ話。

 

の本は去年訪れた「神保町ブックフェスティバル」での戦利品だ。作品社のブースで手に入れたもので定価3,600円がなんと1,000円でゲットできた。今年のフェスも楽しみだ。

『春』島崎藤村|青春時代、恋愛と友情と

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『春』島崎藤村

新潮社[新潮文庫] 2023.1.18読了

 

崎藤村著『破戒』を読んだのはいつだったかなと振り返ると、2年近く前だった。次は大作『夜明け前』を読もうと思っていたのに、さらっと一冊で読めるかと今回は『春』を選んだ。なんせ、まだコロナ明け(万全ではないが)だから大長編を読むのにはまだ本調子ではないのだ。ま、それでも明治の文豪の作品に軽い気持ちでは挑めないか。

 

本(作者である藤村を投影)と菅ら友人同士の会話を読んでいると、二十歳そこそこの若者がこんな大人びた会話をするものかなと首を傾げたくなる。しかしこれは藤村さんの自伝的作品であり、登場人物も実在の人をイメージさせている。だからこんな会話は確かにあったんだ。将来の文豪は会話も大人びている。

 

かりし日の岸本に降りかかる困難と苦悩、特に勝子への恋の苦しみにもがく様子がよくわかる。青春時代の異性への気持ちと友人との関係性を細やかに炙り出している。より存在感を放つのが歳上の友人青木、モデルは北村透谷さんである。彼の思想と運命はこのようなものだったのかと驚いた。こうなると透谷作品を読んでみたくなる。

 

つくづく彼は身の落魄(らくはく)を感じた。(56頁)  

このような文章を書く現代作家はなかなかいない。「落魄」という言葉すら、私も漢字から意味を類推するくらいであるが、こういった洗練された言葉は失われてほしくない。藤村さんは詩人ということもあって、作中には甘美で美しい詩が何度か登場した。

 

私たちが読むことが出来る明治・昭和初期の文学作品は素晴らしいものが多いが、軽く読める作品、今でいうライトノベルのようなものは少ないように思う。ジャンルとしても確立されていなかったろう。読みやすい獅子文六さんなどが当てはまるのか。三島由紀夫さんの一部の作品(『命売ります』など)もあっさりと読みやすいから当てはまるのかもしれない。

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『ジュラシック・パーク』マイクル・クライトン|なぜこんなにも恐竜に魅了されるのか|withコロナ小説 

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ジュラシック・パーク』上下 マイクル・クライトン 酒井昭伸/訳

早川書房[ハヤカワ文庫] 2023.1.17読了

 

名の映画を知らない人はいないだろう。私は確か中学生の時に映画館で観て、未知なる恐竜のうごめく姿とその映像技術の高さに圧倒されて、めちゃめちゃ楽しかった記憶がある。私にとって恐竜と聞いて思い浮かぶのは、映画『ドラえもん のび太の恐竜』、そしてこの『ジュラシック・パーク』だ。

 

スタリカの離島(架空の島)に、バイオテクノロジー(生物工学)を駆使して作った恐竜を育て、娯楽施設を作っている企業があった。完成間近のこの「ジュラシック・パーク」に、古生物学者や数学者らが招かれた。パーク内を案内されるが、恐竜の動きが攻撃的に、そしてパーク内が停電になったりと不可解なことが起こる。何かのトラブルか。恐竜たちが人間に襲い掛かってくるが、彼らはどうなるのかー。

物学的、化学的なストーリーで専門性があるのに、物語自体は非常にシンプルでわかりやすい。悪者がいて、正義の味方がいて、無邪気な子供がいて、解き明かすべきものがあって。そして何よりも、私たちがイメージする太古の恐竜がこの作品には登場し、巨体をうごめかして自由奔放に動くのだ。もうこれだけでワクワクする。でもきっと文章だけではこの興奮は起きず、漫画や映像が事前に頭の中にあるからそれが頭の中で再現されるのだと思う。

が痛くなりそうな技術的な話やパソコンのコントロール画面も出てくるのだが、それがちょうどいい塩梅(私のような文系丸出しの頭でも理解できるかできないか位)の説明量で言い回しも簡潔だから、めげることも嫌になることもなく読み進められた。映画よりも詳細で、これはこれで理解が深まりおもしろかった。最後はホッとするというか、人間を攻撃する嫌な恐竜のイメージはなくなり安心できた。

 

ュラシック・パークのブームはとうに過ぎたのに(去年あたり、続きかスピンオフをやっていたような…?)、どうして今頃読んだのかというと、どなたかのブログで、去年読んだ本でいちばんおもしろかったというのを読んだから。そのブログも一緒に紹介しようと探したのに、見つからなくなってしまった。ちゃんとブックマークしておかないとダメだなぁ。

竜ってどうしてこんなにも人を魅了するのだろう。主人公である古生物学者アラン・グラントは、子供たちが恐竜に魅せられる理由として「親と同じく、愛すべき、畏怖すべき対象なのだ。だから子供たちは、親を愛するように、恐竜を愛するのではないか」としている。小説の登場人物のなかでは、天才数学者イアン・マルカムに惹かれる。

 

は子供の頃よりも大人になってからのほうが恐竜に興味を持っている気がする。といっても見分けがつく恐竜はティラノサウルストリケラトプス、ステゴサウスくらいのニワカではある。前から気になっている福井県の恐竜博物館にいざ行くぞ!と年末年始に意気込んで調べてみたところ、なんと現在改装中で営業していなかった…。今年の秋以降にお預けのようだ。

 

巻を残すところわずかになった時に、ついに私も新型コロナウイルスに感染してしまい、数日間読書が止まってしまった。症状が落ち着いてからは、少しずつ読み始めている。コロナにはかからない、感染したとしても軽症だろう、と根拠のない自信があったのだけれど、まさかの3日間の高熱はキツかった…。個人差はあると思うけど、感染しないのが一番、健康第一。ということで私の中で小説『ジュラシック・パーク』はコロナ感染とセットで記憶に残るに違いない。

『祝宴』温又柔|ほっこりと、あったかい気持ちになれる

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『祝宴』温又柔(おん・ゆうじゅう)

新潮社 2023.1.10読了

 

籠包のイラストが食欲をそそる!少し前から台湾の作品が熱いような気がする。台湾人作家の本や台湾自体を紹介する本も多く、リアル書店でもたまにフェアなんかやっていたりする。台湾人である温又柔さんの作品は前から読みたいと気になっていた。

 

湾国籍でありながらも、日本で外国人として育った娘たち。次女の結婚式の日に、長女から「自分の好きな人は同性」だと打ち明けられる。娘が幸せでいてくれればいいはずなのに、どうにも受け止められない父の葛藤が綴られる。それでも、少しずつ時間をかけながら父と娘は想いをひとつにしていく。

に普通でいることが、生きる上で安心感を得られる、というか生きやすいという風潮がある。けれども、そもそも日本人にも台湾人にもなれず中途半端だと感じていた娘。父が普通でいてほしいと思っていたのに対し、その期待にそえず普通になれない娘。世代間の「普通」であることの意識の違いを考えさせられる。しかし、「普通」であることの捉え方も少しずつだが確実に変化はしてきている。今は多様性の時代。

む前は、娘の目線で書かれたものだと勝手に想像していた。これが同性の母親でもなく、父親からの視点で物語が語られるのがとてもおもしろいと思った。自分が親の立場だったらどうだろうと想像しながら読む。ひょっとすると、多様性を理解しようと死ぬ気でもがいているのは、本人たちよりむしろ親の世代なのかもしれない。

 

み終えたあと、とてもあったかい気持ちになれる。もしかしたら、温さんの名前が「温」だからそれも影響してるのかなと思わなくないが…笑。それに、又柔さんだから「柔」の字も入っていて、確かに温かくて柔らかい。いやいや、字面だけでなくて、読むと本当にほっこりするのだ。親子って、家族ってかけがえのない大切なものなのだ。

 

琴峰さんもそうだが、日本人以上に綺麗な日本語を書く方が本当に多い。特に台湾の方に多いのは、彼女たちが日本で育ったこと以上に、台湾の近代史を語る上で「日本時代」があったこと、それに伴い日本という国への親しみと愛着があるからに違いない。

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