書に耽る猿たち

読んだ本の感想、本の紹介、本にまつわる話

『ふぉん・しいほるとの娘』吉村昭|激動の時代を生き抜いた女たち|長崎に想いを馳せながら

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『ふぉん・しいほるとの娘』上下 吉村昭 ★

新潮社[新潮文庫] 2024.07.23読了

 

いほるとって、、シーボルトのことだよね?どうして平仮名で書かれているのかと真っ先に疑問に思う人がほとんどだろう。シーボルトが初めて日本に訪れて名を名乗ったとき、日本人には「ふぉん・しいほると」と聞こえたのだ。ひらがなで。当時は鎖国の時代、音がカタカナに変換されることはまずなかったろう。シーボルトといえば日本に西洋医学を広めた名医であり、鳴滝塾を開校し自分の知識と技術を広めた功績は大きい。これを読む前はそれくらいの知識しかなかった。

 

日2泊3日の長崎旅行を無事に終えた。遠藤周作さんの『女の一生』上下巻を読んだことで、観光名所に抱く想いもひとしおでとても満足できた旅だった。シーボルトらが滞在した出島(復元された街並みと一部建物が見られる)にも訪れた。当時のままではないのでそんなに感慨深くはなかったけれど笑。先に読んでいればなと悔やまれる部分もあるが、旅行を終えたからこそしみじみと、かの地に想いを馳せながら読めるという楽しさもある。

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て、シーボルトである。この小説ではシーボルトの娘であるお稲(いね)が主人公なのだが、シーボルトの功績や彼の日本での生活が上巻の3分の2を占めている。他のオランダ人と同様に遊女を持ち、それが其扇(そのおおぎ、本名たき)である。シーボルトはたきとの間に子を宿す。それがお稲(イネ)だ。

 

の後、いわゆる「シーボルト事件」が起こり、国禁品の蒐集と国外持ち出しをはかったシーボルトの行為は、国家の大罪となり国外追放となる。日本の医学の発展に多くの功績を与えたこと、愛弟子たちからの信頼が厚かったのもあるのか、シーボルトへの対応はかなり甘かったといえよう。それよりも、シーボルトに地図やらを捧げた日本人への罪状が酷すぎる…。別の事件で、唐人たちへの見せしめのためとはいえ、罪人の首を切り落とし門前に首が据えられるという場面を読んで顔を背けたくなった。刑の執行を市民の目の前で行う。むごい。日本人もむごい。

 

ネは異国人との間に産まれた混血児、その当時は「あいのこ」と呼ばれていた。女性としての「幸せ」を早くも放棄することを決めた。女性の医師がいなかった時代だが、イネは医学を自分の進む道であると諭しそれを生きる糧として突き進む。宇和島の二宮敬作からは医学全般を、そして岡山の石井宗謙からは産科の専門的な知識と技術を受け継いだ。しかし、その宗謙から凌辱されるという裏切りを受け、その一度きりの行為から妊娠してしまう。イネ自ら赤子を取り上げたすさまじい場面にはおののきを感じたが、この時から彼女は産科医だったのだと思う。

 

語の終盤には日本の鎖国が解除され、なんとシーボルトの来日が実現する。そのとき何が起こり稲はどう思うのか―—。親であれなんであれ、女が男に嫉妬する気持ち、嫌がらせをしたくなるような気持ちは今も昔も変わらない。イネがなんだかいじらしかった。人間の本質は変わらない一方で、30年経つと1人の人間は変わり、周りの環境もまた変わる。あの頃のシーボルトではなかった。そのなかでもシーボルトと敬作の師弟関係だけは変わらずにいたことに救われた感がある。

 

ネは女医として目覚ましい活躍を遂げるが、福沢諭吉がこのように深く関わっていたとは知らなかった。そもそも「医師免許」というのがこの時代に確立されたもので、それまでは経験と知識があれば手術ができていたと考えると、試験なんて表面上のもので経験がものをいうんだなと改めて思った。

 

ネは新時代の幕開けを肌で感じていたが、この頃の日本は激動の時代だったのだと改めて感じた。それにしても、女はやはり強い。イネは人生のなかで、ただ1人の人をも本当の意味で愛さなかったのかと思うと悲しいような気持ちもするが、日本の医療の進歩という意味では大いなることを成し遂げた。誰かを愛することだけが幸せではない。

 

村昭さんの作家人生において脂の乗った時期に書かれた本作は吉川英治文学賞を受賞した名作である。読み終えるのにとんでもなく時間がかかった(旅行を挟んだとはいえ上下2巻で13日とは最長かも!?)が、シーボルトの娘であるイネがこんなにも波瀾万丈な生涯だったとは。イネが中心だが母娘3代に渡る大河歴史小説といえよう。全体のなかで半分ほどは歴史的な事実が占めているように感じる。これが吉村さんならではで、ドラマティックな重厚さがありながらも冷静沈着な眼差しがありメリハリとより一層リアルさが感じられる。現代の日本でこのような作家はいないような気がする。

 

中で「思案した」という言葉を目にする(どうしてかこの表現が多かった気がしたが気のせいか?)たびに、観光名所の「思案橋」が思い出された。当時の橋そのもの自体は今はなく、歓楽街のアーチのみ。行っておけば良かったなと思うのが小説でも何度か出てくる諏訪神社かな。最終日以外は天気にも恵まれて、軍艦島にも無事に上陸でき本当に充実した旅となった。

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『オーラの発表会』綿矢りさ|飛び抜けて自由な綿矢さんの新世界

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『オーラの発表会』綿矢りさ ★

集英社集英社文庫] 2024.07.10読了

 

松子と書いて「みるこ」と読む。当て字なのかと思っていたら、どうやら「海松」には「みる」と読むこともあるようだ。海と松が一緒になるなんて乙だし、こんな名前だったら素敵だなと思った。しかしルビが振られていないところを読むときに「なんだっけ」と忘れてしまうから、途中から「みる貝のみる」と呪文のように確認していた。  

 

の海松子のキャラがかなりいい。趣味が枝毛を切ることと凧揚げ。そして他人のことを脳内あだ名で呼び、極め付けは口臭からその人が食べたものを当てるという特技を持つ。つまり、やばい奴なのだ!これは相当イカれてる!そして海松子の話し方がまたいい。友達にも親にも敬語で、それがいかにも真面目でおもしろい。こんな言い方する人いるか?笑 きっと棒読みなんだろうなと勝手に想像しながら読んだ。

 

松子のキャンパスライフ、初めての一人暮らし、恋愛模様がのんべんだらりと続いていてほんわかして、最後の方にはみんな海松子を好きになると思う。人を完コピする天才の友人萌音(もね)も憎めない。そして両親のあたたかい眼差しには心が和むし、家庭の大切さをしんみりと感じた。

 

庫本の帯に「綿矢ワールド全開」とあるけれど、私にはいつもの綿矢さんの世界とは違って見える。飛び抜けて自由に感じる。何よりもこの破天荒な海松子を主人公にしたこと。今までの作品の不器用だけどどこにでもいそうな繊細な主人公ではなく、1人でも生きていける海松子が頼もしい。人は1人でも生きていけるけれど、しかし一方で誰かと一緒に生きていくことも良いと伝えている。どちらが良いとかではなく、今の時代に相応しい小説だと思った。綿矢さんの作品の中で私は一番好きだな。

 

川賞を受賞した作家って、その後数冊は作品を出すけれど、いつの間にかいなくなってしまうことが多いのに、綿矢りささんや金原ひとみさんは長らくこの世界で活躍されていて本当にすごいなと思う。それだけ彼女たちの書くものには魂がこもっている。本人たちが時代に合わせて小説の書き方、表現方法を変えているのも最前線にいる理由の一つかもしれない。これからも読み続けよう。

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『プレイバック』レイモンド・チャンドラー|キザ過ぎるのにタフで魅力的

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『プレイバック』レイモンド・チャンドラー 田口俊樹/訳

東京創元社創元推理文庫] 2024.07.08読了

 

ャンドラー氏が亡くなる前年に刊行された遺稿となる小説である。フィリップ・マーロウのシリーズとしては7作目で最後の作品だ。田口俊樹さんが訳された『長い別れ』がなかなか良かったので、新訳で出ていたこちらを読んだ。

 

ーロウは、ある弁護士から1人の女性の居所を突き止めて欲しいと依頼を受けた。目的は知らされるままに尾行をするが、彼女には何かあやしい、腑に落ちないところがある。そもそも、この依頼の目的は何なのか。マーロウは依頼の枠に留まらず、探偵の血が騒ぎ(プラスいつものごとく魅力的な女性に惹かれて)、直接関わりを持ってしまうのだ。

 

まりにもキザすぎて、恥ずかしくて隠れたくなる…。それなのに、マーロウのカッコ良さは何なんだろう。イメージでは007のボンドを演じたダニエル・クレイグなんだけど。あんなにハンサムではないかしら。

 

あの名セリフが…!帯にもあるから載せてしまうぞよ。まぁ、うっとりしてしまう。

「タフじゃなければここまで生きてはこられなかった。そもそもやさしくなれないようじゃ、私など息をしている値打ちもないよ」(250頁)

 

ーロウものとしては(全てを読んだ訳ではないが)一番短く読みやすいと感じた。チャンドラー晩年となるためか、あまり込み入ったストーリー性はなく結末にも意外性はない。あの最っ高におもしろい『長いお別れ』(または『長い別れ』、『ロング・グッドバイ』)に比べたらだいぶ劣ってしまうが、ハードボイルドなのにさらりと読める感じが今の気分的には良かった。

 

場瞬一さんの解説でハードボイルド御三家について触れられている。よく考えたら私はダシール・ハメットロス・マクドナルドを読んでいない。やっぱり王道は読まねば何も語れない。って、特にハードボイルド好きなわけでもないし語るも何もないけれどね。

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『フルトラッキング・プリンセサイザ』池谷和浩|現実と仮想空間のきわ

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『フルトラッキング・プリンセサイザ』池谷和浩

書肆侃侃房 2024.07.06読了

 

イトルの意味もよくわからないし、ことばと新人賞なるものも知らないし、著者の名前も初めて見る。それなのに手にしたのは、帯の滝口悠生さんの名前のせいだ。どんなものであれ彼がすすめるものには耳をすましたくなる。触れたくなる。そして「ことばと新人賞」というのは、最近陰ながら応援している書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)という出版社が主催する文学賞であった。

 

のまどろっこしさはなんなんだろう。冒頭の段落を読んでまず感じた。こう思ってこれをして何それをした、としつこいほどの細かい描写が続く。しかしこれが段々と癖になってくる感じ。ちょっと宇野常寛さんの文体に近いかも。

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いたいこの「うつヰ」というのが男性だろうと疑いもせずに読んでいたら女性だったことに驚いた。そもそも男性らしい、女性らしいというのを、読んでそう思うのは何を理由にしてなのだろう。思考や行動、言葉遣いなのか、職業や立場からなのか、もしくは著者が男性(女性)だからそうと勝手に思ってしまうのか。最近の小説では性別の勘違いがままある。ジェンダーレス化する現代に読み手の私が置き去りにされている。

 

人公はもちろんこのうつヰで、彼女は映像制作の仕事を終えて帰宅したらバーチャル世界に飛び込む。これが「プリンセサイザ」である。そこでうつヰは京王線沿いの女王たちと交流する。現実と仮想空間の世界のきわが曖昧で、どちらの世界にいるのか途中からわからなくなる。もしかしたら、どちらの世界もそんなに大した違いはないのかもしれないと感じた。

 

題の作品以外に『チェンジインボイス』『メンブレン・プロンプタ』という中短編が収められている。どちらもうつヰの物語だ。著者の池谷さんはデジタルハリウッドという会社の執行役員として大学事業を統括しているらしい。クリエイターを養成したり、オンラインセミナーを開いたり、デジタルの世界を広げて活用する、そんな仕事をしている池谷さんだからこそ書けた、そんな小説だと感じた。

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『偶然の音楽』ポール・オースター|旅で出会った仲間とやり遂げる

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『偶然の音楽』ポール・オースター 柴田元幸/訳

新潮社[新潮文庫] 2024.07.04読了

 

っぱりオースターおもしろい、というか好きだわ〜。数ページ読んだだけでその読み心地の良さにホッとする。マジで憎たらしいほど心地良い。先日都内の比較的大きな書店に行ったら、本棚2段程を使ってポール・オースター追悼フェアがささやかに開かれていた。大好きなオースター作品であるが、まだ未読の作品が3〜4冊あるので、この本を手にした。

 

金の真の強みは、いろんな物を与えてくれることではなく、金のことを考えずに済む余裕をもたらしてくれることなのだ。(29頁)

事も家族も何もかもを失ったナッシュだが、突然大金が転がり込んできた。ナッシュは車で目的のない旅をする。アメリカ全土を車で走りまくる。そこで出会ったのがポーカー賭博師ポッツィである。大金獲得を夢見て、フラワー、ウィリーの2人との勝負に出た。その結果は果たしてー。

 

ず知らずの他人同士が、こんなにも打ち解けて話すようになるのだろうか?ナッシュとポッツィの出会いの瞬間も不思議だが、こんなにもあけすけに自分のことを話しはじめるだろうか。確かにその場でしか会わない人のほうが話しやすいというのはあるけれど。そもそもこの物語自体が荒唐無稽なのに、これがオースターの筆致にかかると妙に納得できてしまうのだ。

 

スであるフラワーとウィリーよりも、見張り役のマークスに比重が多くなってくる。まぁ想像通り賭けには負けてしまうわけだが、そこで提案されたのが石の壁を作ること。壁が建っていくのを自分の目で見ることが出来、ある程度出来てくればそれを眺めて良い気分になれる。自分の努力の結晶がひとつの存在あるものとなる。全てが見える仕事はやり甲斐がある。

 

ームやディケンズの小説のように、物語に熱中して入り込んでしまうのとはちょっと違う。冷静に客観的に見えているのに心地良い。タイトルの意味がわからなかったが、小川洋子さんの解説を読んでなるほどと唸った。私もその場面をパラパラとめくって探してしまった。

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『テスカトリポカ』佐藤究|猟奇的でエグさ満載なこの世界

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『テスカトリポカ』佐藤究

KADOKAWA[角川文庫] 2024.07.01読了

 

行本がずらっと並んでいるのを見て、この表紙が怖かった。これはなんの話なのだろう、得体の知れない恐怖が渦巻いている気がしていた。文庫になっても同じ表紙だったから少しだけ残念に思った。

 

スカトリポカとはアステカ神話の神のこと。作中では「煙を吐く鏡」にテスカトリポカとルビが振ってある。そう、このテスカトリポカこそ、表紙で私に恐怖を植え付けたものの正体だ。もちろん想像上の形であろう。

 

薬密売に臓器売買。普通に生活をしていたら一切関わらない世界が、ここには当たり前のようにある。人を殺すことをものともせず、肢体を切断し臓器を取り出す。猟奇的な場面のオンパレードで、正直なところ、目を背けたくなったし気分が悪くなる場面が多かった。これは映像化はできないよなと思ったり。でもぐいぐいと読ませる筆致のせいで先が気になる。

 

ャターラは、この世に〈恐いもの〉があることはいいことだと言う。〈恐いもの〉があればそれについて考えることができ、何も怖れていないのは実は退屈だと考えている。確かに、人間は自分にとって苦手な、マイナスになるものがあるほうが思考の幅が広がるのかもしれない。

 

体として暴力的で血の匂いが漂っている。その中でもコシモとパブロの関係性だけは救われた。まるで本物の父と子のようで、何気ない会話を交わす2人の時間には確実にあたたかいものがあり、物語の中で唯一といっていい位の安らぎをもたらす。

 

165回直木賞受賞作と山本周五郎賞をダブル受賞した作品だ。読み応えはあるが好みがわかれそうで、当時の審査員たちの嗜好が比較的似通っていたんだろうなと思う。それにしても、古代アステカ文明と宗教的な史実を読み解きこのような壮大なクライムノベルに仕上げた著者の手腕には敬服する。膨大な量の参考文献にも驚いた。

 

木賞を同時に受賞した澤田憧子さんの『星落ちて、なお』もまだ読んでいない。こちらも文庫化されていたから読んでみようかな。

『グッバイ、コロンバス』フィリップ・ロス|青春は過ぎ去るもの

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『グッバイ、コロンバス』フィリップ・ロス 中川五郎/訳

朝日出版社 2024.06.27読了

 

メリカを代表する作家フィリップ・ロスが全米図書賞を受賞した作品である。重厚で濃密な文体と重苦しいテーマのイメージがあるが、ロスにしては爽やかな小説だった。なんてことはない内容なのに、おそらく心に残りそうな作品。これがロスの処女作だという。

 

春真っ盛りでまぶしい作品である。プールの中でたわむれる様子を読んでいるだけで、若者ならではのみずみずしさ、あけすけな感情がはち切れんばかりだ。いやらしさはなく、むしろ清々しく気持ちが良い。水がキラキラしているのと同じように、若い2人も輝いている。

 

調に愛を育んでいた二人だが、突然引き裂かれる。それは避妊具によって生じたものだった。愛し合うためには、そして愛しているからこそペッサリーをつけてもらいたいと願い医者に行くように諭すニールに対し、ばかげている、誰のためにそんなことをするのかと嫌がるブレンダ。しかし結局ブレンダもニールを愛しているからと決心をする。ここから、2人の仲はぎくしゃくしてくる。

 

はニールの叔母であるグラディスが好きだ。精神を病んでいるが、実の親でもないのにニールを息子のように可愛がり、そして心配する。家族という存在をわからせるかのように。ニールとブレンダの家庭環境こそが二人のすれ違いを大きくしてしまったのかもしれない。若さ故に立ち止まって考えない、じっくりと思慮深くなれない。でもそれが若さということなのだ。

 

も、青春も、いつかは過ぎ去る。グッバイ、コロンバス。グッバイ、青春。

 

し前に『プロット・アゲンスト・アメリカ』を読み、ロスの洗練された文体とアメリカらしさがギュッと詰まった筆致に心を奪われた。また他の作品も読みたい。

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『おしゃべりな銀座』銀座百点編|銀座が銀座であり続ける

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『おしゃべりな銀座』銀座百点編

文藝春秋[文春文庫] 2024.06.26読了

 

店に売っているわけではなく銀座の店舗に置いてある小冊子が「銀座百点」である。1955年に創刊された日本初のタウン誌らしい。今は街の至るところにこうした冊子が置いてあるけれど、これが始まりだったとは。どこだったか覚えていないが、銀座のどこかのお店(もしかすると空也最中かな?)で昔見た冊子がこれだったのかも。不思議な大きさの雑誌で、銀座のことが書かれていたのは覚えている。

 

さい頃は父親の転勤のため国内を転々としたが、小学校高学年からは神奈川県に住んだ。東京は隣だからもちろん都内に遊びに行くことも多かったが、若い時は新宿、渋谷、表参道辺りによく行きそれが楽しかった。それがいつの頃からか、銀座や日本橋のほうを好むようになって、今では何故か落ち着く街となっている。きっと歳を重ねたということなんだろう。

 

の小冊子「銀座百点」に掲載されたエッセイのうち、47作品がこの本に収められている。半数位は読んだことのある作家さん、3割位は名前を目にしたことがある方、残りは初めてお目見えする名前だった。文筆業に携わる方がほとんどだが、画家や建築家、役者など、いわゆる文化人の名が連なる。銀座というひとつの街に対する考えや思い出など、おしゃべりを聞いているかのように気楽に読むことができた。

 

きたくなったのが、松屋デパートの裏にある和花専門店「野の花司」だ。これはいしいしんじさんのエッセイに出てきた。何人ものエッセイで登場する「伊東屋」「資生堂パーラー」「銀座木村屋」「教文堂」「マリアージュ・フレール」は、銀座といえばの店名だ。老舗洋食レストラン「煉瓦亭」や「キャンドル」も気になった。まぁ、私は庶民派「イタリー亭」が大好きだけれど。

 

とんどの人が銀座に憧れを持ち、銀座を歩いているだけで良い気分になったり、亡き母を思い出す地になっている。しかし、なかには銀座で過ごした5年間が過酷だったという人もいた。銀座自体が嫌だったわけではなく、たまたまその方の人生の5年間が試練の時だった。それを乗り越えたからこそ今の自分があるわけで、そういう意味では銀座の地に感謝をしているらしい。色々な人たちの「銀座」がここにはある。

 

うしてだろうか?書いている人は全て違うのに、なんとなく文体が似ていて、同じ人が書いてると言われても気づかないかもしれない。編集者が大幅に手を加えていることもないだろうに、何故だろう?これも銀座という街の魔力なのだろうか。金井美恵子さんはもちろん独特の文体でちょっと目立っていた。田中慎弥さんは内容からして彼が書いたものだとわかった。

『女の一生』遠藤周作|長崎への想い、愛を持って生きること

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女の一生』一部・キクの場合 二部・サチ子の場合 遠藤周作 ★★

新潮社[新潮文庫] 2024.06.25読了

 

藤周作さんが長崎を舞台にして書いた大河長編小説である。『女の一生』というとモーパッサンが思い浮かぶ(まだ読んでいないよな…)。この本は遠藤周作氏が、キク、サチ子という二人の女性を主人公に据えた物語だ。遠藤さんは長崎への恩返しのつもりでこの作品を執筆したという。長崎の生まれでもない彼だが、長崎という街を知ったことは幸福以外の何ものでもないと語っている。

 

品は上下巻の二部構成となっている。最近長編を読むことが多いのでブログの更新が遅れがちだが、それはまぁ自分の読書ペースということで。全作を読んだわけではないが、この小説は遠藤周作さんの作品のなかで私は一番感動的だった。名高い名作を含めて、遠藤さんの既読の作品も未読の作品も読み耽りたい欲求が出てきた。

 

一部・キクの場合

キクという聡明な女性が、いわゆる「隠れキリシタン」の男性を愛する物語である。「好きになってはいけない相手を好きになる」系のモノだが、身分違いといえども、時代ゆえに信仰が違うというだけでこんなに苦しむことになるとは。また、長崎にキリスト教を復活させようと願う宣教師プチジャンのパートキクの物語と並行して書かれている。

 

幕末・明治の切支丹迫害事件が一部の題材となっている。実在の人物も何人か登場するため、長崎の近代史をなぞらえながら読むことができた。当時、長崎のお正月では踏み絵が本当に行われていたということに震える。キリスト教の話をすることも許されない時代だったのだ。

プチジャンのこの言葉が沁み入った。

「よいか。苦しみは人と人とを結びつける。」(408頁)

最近読んだフィッツジェラルドの本でも同じような文章を目にした。苦しみこそが人間を豊かにする。

 

キク、清吉、プチジャンらがひとつに繋がっていく様が見事だった。清吉への想いのために、キクがこんな風に極限まで犠牲になるとは、なんと痛々しく辛いことか。清吉が少しでも楽になれるよう、苦しみから解放されるよう、犠牲と祈りと捧げる一途な想いと強さには感動すら覚える。

 

一番感情移入したというか考えさせられた人物は、下級役人の伊藤清左衛門である。彼のキリシタンに対する惨たらしい仕打ち、キクヘの虐め、同僚への恨みつらみ。エピローグが胸を打った。伊藤をとうてい許すことはできないが、彼にも良心の呵責があったことに僅かな同情と憐れみを感じる。彼はどこにでもいる私たちと同じ、一人の人間なのだ。

 

 

二部・サチ子の場合

一部から60年ほど時代は進み、太平洋戦争時の長崎が舞台となっている。このサチ子というのは、実はキクとつながりがある。サチ子は成長するにつれて幼なじみの修平を大切な存在だと思うようになる。しかし、戦争の魔の手が修平を徴兵させ離れ離れにしてしまう。

 

一部のキリシタン迫害のことを読んでいて、これはまるでナチスユダヤ人迫害と同じじゃないかと感じていた。日本でも同じようなことをしているんじゃないかと。この二部では、サチ子の物語と並行してアウシュビッツ強制収容所の場面が出てくる。あぁ、辛い、酷い、痛ましい、苦しい、読みたくない…。同じ人間にどうしてこのように惨たらしい仕打ちができようかと思うが、この収容所で働く人たちの地獄の世界への「順応性の第一歩」を著者はこのように書いている。

人の苦しみにひとつひとつ同情をしていては身がもたなかった。人の死にいちいち泪をながしていては生きていけなかった。それが彼等に無感動という生存方法を本能的に与えたのかもしれなかった。(174頁)

 

収容所長のルドルフ・ヘスが登場し、最近読んだ『関心領域』を彷彿とさせた。ヘスと副所長のマルティンは二重生活をする。あぁ、マーティン・エイミス氏はこの小説を読んだのではないか!っていう位にオーバーラップする。というか、ヨーロッパにはこのテーマの作品は数多く存在するんだろう。

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サチ子と修平が徐々に恋焦がれる様にドキドキし、しかし思うようにいかない現実に胸が痛くなる。今の時代、恋愛をするのは容易い。「もっと家事に協力して」とか「もっと思いやりを持って欲しい」などという悩みなんて、贅沢な現代人だから思うことで、なんてくだらない悩みなんだと思ってしまう(当人からしたらそうではないのだが)。人を好きになるということは、いま私たちが普通に思うそれと、もしかしたら本質的に違うのかもしれない。

 

一部と同様に涙混じりに読むシーンが多くある。コルベ神父の教えを思い、ヘンリックが栄養失調で今にも死にそうな囚人兵にパンを分け与える場面が印象的だった。パンを受け取った人は「信じられない」と口にする。ヘンリックの愛の行為によって、収容所にも光が差した。

 

◇◇◇

年は国内旅行で広島に行き、今年はどうしようかなと考えていた。原爆が投下されたもう一つの土地であり、まだ訪れたことのない地方ということで長崎を旅の地に選んだ。来月2泊3日で行く予定だ。五島列島は行けないので、軍艦島(天候や波の高さにより上陸できるかは運のようだ)と長崎市内がメインとなる。作中に、思案橋眼鏡橋稲佐山浦上天主堂など、観光名所がずらりと並んでいて楽しみが増し、近代史を学べたという意味でもかなり予習できた。ネットやガイドブックは見ているが、長崎に行ったという知人があまりいないので目下研究中。おすすめの地やグルメをご存知の方がいれば教えてもらいたいくらいだ。

 

説を通して長崎のことを学ぼうと思ったのがきっかけだったが、これを読んで大正解。遠藤周作さんの作品には心の奥深くに染み入る静かな感動がある。一部のほうが小説としては優れていると思うが、より身近に感じられるのは二部だろうか。小説を通して、どんな人の人生にも深みがあり、それを一緒に体験できるという文学の力を改めて目の当たりにした。honzaru.hatenablog.com

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『台北プライベート・アイ』紀蔚然|台北を感じながら、愛くるしいこの私立探偵を応援する

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台北プライベート・アイ』紀蔚然(き・うつぜん) 舩山むつみ/訳 ★

文藝春秋[文春文庫] 2024.06.20読了

 

行本刊行時から気になっていた本がついに文庫本になり早速ゲットした。どうやら第二弾が刊行されたのでそれにあわせてこの第一弾が文庫化された模様。個人的に好みのタイプの作品だったこともあるが、かなりおもしろかった。さすが本国でもロングセラーであり多くの国で出版され、日本でも大きな賞を受賞しているだけのことはある。直木賞を取ってもおかしくないようなレベルだ。

 

気劇作家であり教師でもあった呉誠(ウー・チェン)は、色々なことに嫌気がさしていきなり探偵になる。タイトルの「プライベート・アイ」とは、私立探偵のことだ。帯にハードボイルドとあるけれど想像するそれとはちょっと違う。チャンドラーに代表されるような、いわゆるカッコいい探偵が出てくるようなハードボイルドではない。ちょっと癖のある呉誠は、酒癖が悪く一見関わりたくない人。私立探偵になったのも、酒でやらかしてしまったことが一番の原因。

 

続殺人事件に巻き込まれて、それを解決していくのがこの小説の大きな柱となっている。冤罪といえば、先日最終回を迎えた『アンチヒーロー』もそうだし、つい最近TV番組『アンビリーバボー』でも取り上げられていた。普通に過ごしていても巻き込まれる可能性があり、誰にでもあり得ることなのだなと改めて思った。実は私自身大学は法学部で、ゼミも「犯罪心理学」なるも取っていたのだが、最近妙に法廷ものが気になる。

 

インの連続殺人よりも、私としては呉誠の来歴や初めて受けた依頼のほうが楽しかった。呉誠はパニック障害うつ病を発症していて長らくこの病に悩んでいる。自己分析をしながらよりよくする方法を探る彼のことを応援したくなる。第一印象ではあんまり関わりたくないと思わせる人物だが、徐々に愛くるしく感じられて読み終わる頃にはなんかホッとする人で、側にいたくなる。

 

続殺人犯ランキングではアメリカが1位、イギリスが2位だという。つらつらとした考察がまたおもしろい。アジアでは日本がダントツ1位だそうで、行列に並ぶ文化があるほうが連続殺人犯は多いそうだ。そして日本の宗教観、我慢や抑えの美学がとうとうと語られる。

 

誠は、台北を「人をムカつかせる、だが愛しくて離れがたい都市」と表現する。作中には台北の街並み、人々の暮らし、が生々しく息づいていてこの情景を感じるだけでも楽しくなった。台湾の作品を読むたびに、無性に台湾に行きたくなる。10年以上前に行った時とはずいぶん変わっただろうな。

 

つ前に読んでいたのが『サラゴサ手稿』だったからか、めちゃくちゃに読みやすくて、というかストーリー性が抜群で、小説ってこんなにも起伏があっておもしろいんだ、と単純に読書時間が待ち遠しい日々を過ごせた。舩山むつみさんの素晴らしい訳によるところも大きいと思う。都内のいくつかの書店でトークショーやらが少し前に開催されていたみたいだが、手遅れだった。第2弾を単行本で買うか文庫まで待つか、考え中なり。

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