『ふぉん・しいほるとの娘』上下 吉村昭 ★
新潮社[新潮文庫] 2024.07.23読了
しいほるとって、、シーボルトのことだよね?どうして平仮名で書かれているのかと真っ先に疑問に思う人がほとんどだろう。シーボルトが初めて日本に訪れて名を名乗ったとき、日本人には「ふぉん・しいほると」と聞こえたのだ。ひらがなで。当時は鎖国の時代、音がカタカナに変換されることはまずなかったろう。シーボルトといえば日本に西洋医学を広めた名医であり、鳴滝塾を開校し自分の知識と技術を広めた功績は大きい。これを読む前はそれくらいの知識しかなかった。
先日2泊3日の長崎旅行を無事に終えた。遠藤周作さんの『女の一生』上下巻を読んだことで、観光名所に抱く想いもひとしおでとても満足できた旅だった。シーボルトらが滞在した出島(復元された街並みと一部建物が見られる)にも訪れた。当時のままではないのでそんなに感慨深くはなかったけれど笑。先に読んでいればなと悔やまれる部分もあるが、旅行を終えたからこそしみじみと、かの地に想いを馳せながら読めるという楽しさもある。
さて、シーボルトである。この小説ではシーボルトの娘であるお稲(いね)が主人公なのだが、シーボルトの功績や彼の日本での生活が上巻の3分の2を占めている。他のオランダ人と同様に遊女を持ち、それが其扇(そのおおぎ、本名たき)である。シーボルトはたきとの間に子を宿す。それがお稲(イネ)だ。
その後、いわゆる「シーボルト事件」が起こり、国禁品の蒐集と国外持ち出しをはかったシーボルトの行為は、国家の大罪となり国外追放となる。日本の医学の発展に多くの功績を与えたこと、愛弟子たちからの信頼が厚かったのもあるのか、シーボルトへの対応はかなり甘かったといえよう。それよりも、シーボルトに地図やらを捧げた日本人への罪状が酷すぎる…。別の事件で、唐人たちへの見せしめのためとはいえ、罪人の首を切り落とし門前に首が据えられるという場面を読んで顔を背けたくなった。刑の執行を市民の目の前で行う。むごい。日本人もむごい。
イネは異国人との間に産まれた混血児、その当時は「あいのこ」と呼ばれていた。女性としての「幸せ」を早くも放棄することを決めた。女性の医師がいなかった時代だが、イネは医学を自分の進む道であると諭しそれを生きる糧として突き進む。宇和島の二宮敬作からは医学全般を、そして岡山の石井宗謙からは産科の専門的な知識と技術を受け継いだ。しかし、その宗謙から凌辱されるという裏切りを受け、その一度きりの行為から妊娠してしまう。イネ自ら赤子を取り上げたすさまじい場面にはおののきを感じたが、この時から彼女は産科医だったのだと思う。
物語の終盤には日本の鎖国が解除され、なんとシーボルトの来日が実現する。そのとき何が起こり稲はどう思うのか―—。親であれなんであれ、女が男に嫉妬する気持ち、嫌がらせをしたくなるような気持ちは今も昔も変わらない。イネがなんだかいじらしかった。人間の本質は変わらない一方で、30年経つと1人の人間は変わり、周りの環境もまた変わる。あの頃のシーボルトではなかった。そのなかでもシーボルトと敬作の師弟関係だけは変わらずにいたことに救われた感がある。
イネは女医として目覚ましい活躍を遂げるが、福沢諭吉がこのように深く関わっていたとは知らなかった。そもそも「医師免許」というのがこの時代に確立されたもので、それまでは経験と知識があれば手術ができていたと考えると、試験なんて表面上のもので経験がものをいうんだなと改めて思った。
イネは新時代の幕開けを肌で感じていたが、この頃の日本は激動の時代だったのだと改めて感じた。それにしても、女はやはり強い。イネは人生のなかで、ただ1人の人をも本当の意味で愛さなかったのかと思うと悲しいような気持ちもするが、日本の医療の進歩という意味では大いなることを成し遂げた。誰かを愛することだけが幸せではない。
吉村昭さんの作家人生において脂の乗った時期に書かれた本作は吉川英治文学賞を受賞した名作である。読み終えるのにとんでもなく時間がかかった(旅行を挟んだとはいえ上下2巻で13日とは最長かも!?)が、シーボルトの娘であるイネがこんなにも波瀾万丈な生涯だったとは。イネが中心だが母娘3代に渡る大河歴史小説といえよう。全体のなかで半分ほどは歴史的な事実が占めているように感じる。これが吉村さんならではで、ドラマティックな重厚さがありながらも冷静沈着な眼差しがありメリハリとより一層リアルさが感じられる。現代の日本でこのような作家はいないような気がする。
作中で「思案した」という言葉を目にする(どうしてかこの表現が多かった気がしたが気のせいか?)たびに、観光名所の「思案橋」が思い出された。当時の橋そのもの自体は今はなく、歓楽街のアーチのみ。行っておけば良かったなと思うのが小説でも何度か出てくる諏訪神社かな。最終日以外は天気にも恵まれて、軍艦島にも無事に上陸でき本当に充実した旅となった。