書に耽る猿たち

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『冬の旅』立原正秋|強い精神があれば、周りから何を思われようが、どんな境遇にいようが成長できる

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『冬の旅』立原正秋

新潮社[新潮文庫] 2024.03.23読了

 

を犯し少年院に入った宇野行助(ぎょうすけ)が、青春の日々約2年間を少年犯たちとの閉塞された集団生活に捧げることで、自己の内面を見つめ、罪とは何か、生きるとは何かを問いた作品である。良作であった。

 

んなに優秀な模範囚はいるのかと疑ってしまうほどだ。それもそのはず、行助は本当の意味で罪を犯していない。義兄の修一郎が、母親を凌辱しようとするのを目撃し、なにかの弾みで修一郎を刺してしまうのだ。それでも刺した理由を語らず、内に秘めた復讐心を育む。頭の中に食い込むという手錠の感覚、とても良い。

もしかしたら俺はこの冷たさと重さを生涯忘れないかも知れない、と思った。手錠は、手首に食いこまず、行助の頭の中に食いこんできたのである。(16頁)

 

くらか時代錯誤な描写があるのは否めない。手紙や電報が伝達手段のメインである。学生たちの興味の方向性も現代とは異なる。「教育ママ」という言葉を久しぶりに聞いた。少年院の友人寺西保男の母親は、いわゆる本来の意味の「教育ママ」ではなく、熟れた西瓜のように空っぽの頭の持ち主の「教育ママ」である。教育ママは今でいうところの「教育虐待」に繋がっていくのだろうか。

 

度目に少年院に入った行助は、明確な理由の元に人を刺したという「思想犯」であった。一度目とは明らかに違う犯行。本人の苦しさややるせなさは一度目のほうが重苦しい。大人びた行助は、多くを語らず自己の胸の内に思いを秘め、それを「内面の問題」だと繰り返す。精神が強ければ、周りから何を思われようが、どんな境遇にいようが、自己を成長させる。

 

親の澄江が不意に面会に訪れたとき、行助が話した言葉がとても印象に残った。

青春時代に公平な目をもっていた人でも、としをとるにしたがい、視野がせまくなるものらしいですね。冬でも茄子や胡瓜をたべられるのを当然だと思い込んでしまう。(中略)でも、僕は、冬に冬の野菜をたべ、夏に夏の野菜をたべることが、いちばんいいことではないか、と思っています。(598頁)

私たちは利便性を求めるあまり、大切なものを見落としているのではないか。それを、現代の作品ではなく50年以上も前に書かれた小説から気付かされるとは。

 

の作品は行助を主人公として描いているが、本当の意味での主役というか読者を深い思考に落とし入れるのは、義兄の修一郎であり、義父の理一であり、母親の澄江であり、また友人の安なのではないか。最初から、行助は怖いほどに人間ができている。行助を通して、周りの人物たちが変わっていく様が印象深い。

 

前は知っていたが初めて読む作家である。昭和初期の頃に文壇で活躍し、直木賞も受賞した立原正秋さんはかつては国民的作家として人気があった。現代作家であれば出版社や書評家が宣伝してくれるが、こういった昔の作家の良作をもっと読んで伝えていくのは大事だと改めて思った。立原さんの他の作品も読みたいが、どうやら今手に入る作品は多くはなさそうだ。