書に耽る猿たち

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『1984』ジョージ・オーウェル|人は愛されるよりも理解されることを欲するのかも

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1984ジョージ・オーウェル 田内志文/訳

KADOKAWA[角川文庫] 2024.04.22読了

 

庫本の表紙はルネ・マグリットの絵である。顔の前にあるりんごのせいでよく見えないが、実はよーく注視すると左目が少しだけ見えていて薄ら怖い。人から常に「見られている」という警告、ビッグ・ブラザーにすべてを監視されているという近未来。テレスクリーンにより昼夜を問わず監視されているこの世界だけれども、人の心の中までは見ることができない。人の考え、心の奥底にある、本人にすら謎に満ちている思考は外からはわからない、はず…。

 

度読んでもおもしろい。こんなにスリリングで刺激的な作品があるだろうか。しかもこれが書かれたのは1940年代という今から約80年程も前なのだ。監視社会とナショナリズムの拡大、これらを当時から予見していたオーウェルだが、現在のAIによる監視、ビッグデータによる解析など、明らかにその通りの世の中になってきている。

 

者は創造することができるのに生者は創造できない。ウィンストンがニュース記事をリライトし、捏造する。そんな仕事をしていることに、現代のSNSを見ているよう。在りもしないフェイクニュースとか、今問題になっている投資詐欺だとか。

 

ールドスピークが消滅し、過去の文学が破壊される。シェイクスピアも、ミルトンも、バイロンも、ニュースピーク版でしか存在しなくなる。こんな世界が来たら、発狂してしまう!文学を、言語を愛する人にはたまらない…。いや、そんな考えすらもたないように洗脳されてしまうのか。ウィンストンのように。

 

ブライエンに拷問をされたあとに注射器が刺さり、ウィンストンはこう思う。「もしかすると人は、愛されるよりも理解されることを欲するのではないだろうか」この文章にはっとする。確かにそうかも。そして、理解してくれる相手を心地よく感じてそれが愛することだと思ってしまうのかもしれない。

 

の小説を読むのは2度目、約3年ぶりの再読となる。設定はしっかり覚えているのにストーリー自体はかなりの部分を忘れかけていた。おもしろくて夢中になったのにこうなるとは、人間の記憶とは本当に当てにならないものだ。でもさすがに2度読んだ本は記憶の引き出しにしっかりしまわれるはず。

 

訳ということで、現代的な読みやすさとしてはハヤカワ文庫の高橋和久さん訳よりもこの田内さんの訳のほうが勝っているかもしれない。でもどちらが良いとかは別問題だ。多くの方と同じように、この小説から受ける衝撃は初めて読んだ時の方が断然大きかった。名作であることに疑いはないので、また再読する機会はあるはず。でもその前に、オーウェル作でスペイン内戦のルポタージュである『カタロニア賛歌』を読みたい。

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