書に耽る猿たち

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「背教者ユリアヌス」 辻 邦生 /至福の読書

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「背教者ユリアヌス」(一)(二)(三)(四)  辻 邦生   ○

中公文庫  2019.1.23読了

 

あぁ、辻邦生さんの本を何故今まで読まなかったのか、と悔やまれる…こんなにも美しい日本語を奏でられる人が今どのくらいいるだろう。

4世紀のローマ帝国を舞台にした、史実を元にした壮大な歴史ロマン。背教者と呼ばれながらも、自分の信念を曲げず、素直な心を持ち、勉学に励み、自然を愛し、力強く生き抜いたユリアヌス。心無い仕打ちをしながらもどこか憎めないコンスタンティウス、聡明で冒険心のある親友ゾナス、母親のような姉のような慈愛で包んでくれる皇后エウセビア、少女のように愛する軽業師ディア、そして多くの部下や兵士たち、誰もが物語の中で生き生きとしている。

中でも、ユリアヌスの言葉の美しいこと、的を得ていること。

所詮、人間は、あらゆる愛憎を失った瞬間にしか、その本当の姿を見ることができぬのかもしれぬ。だが、そのことも悲しいことだが、しかしこうして現れたコンスタンティウスその人の姿も、何という悲しみに満ちていることだろう。それは彼がコンスタンティウスであったからではなく、もともと人間というものは、その本来の姿では、このように限りない悲しみを湛える存在であるからかもしれぬ。 *1

人間はその人が死んだときにはじめて真の姿が見える。自分がその人をどう思っていたかもその時にならないと真にはわからないということだろう。そして人間はそもそも悲しみを湛(たた)えているなんて、なんという表現なんだ。

どうか私が皇帝であるから私に従うというのではなく、私の意見が理に適っているゆえに私を指示するのであってほしい。*2

まさに現代を生きる、会社のトップ、上司、ひいては日本のトップにこのように思ってほしい。

魂が地上を離れるとは、地上のすべてのものが美しく、素晴らしく見えることであるに違いない。ああ、人々は、なぜ、この瞬間まで、地上にあることの、この深い喜びを、これほどの思いで、知ることがないのだろうか。だが、おそらく人が死ぬというのは、ただ地上を憧れるというただそのことのために、意味をもつのかもしれない。・・・*3

死をもってはじめて、地上の喜び、素晴らしさ、尊さを知る。この世界観がとても好き。

この時代は、予知夢が多い。夢に出てくるものが真実になるというより、そういう信仰があったのだろう。特に悪い事象が起こる前には、必ずといっていいほど前兆がある。もしかしたら信仰をもつということは、この予知夢があり、先に知ることで悪事を回避できたり、それに向けた対策を取れるのかもしれない。現代もトップにいるような人にはあるのだろう。

私の敬愛する加賀乙彦先生の雰囲気になんとなく似ているなと思って読み進めていると、なんと第1巻の巻末に加賀先生の解説があり、もうそれだけで嬉しくなった。辻さんがパリ留学のためにフランスに向かう船中で2人は知り合ったそうだ。ちなみに、ググってみたら、加賀乙彦さん、辻邦生さん、小川国生さんは「73年三羽烏」と称されたそう。同じ時代に生き、名を連ねた人たちには、やはり何か通ずるものがあるのだろう。 

至福の読書の時を終えて、まだ少しふわふわしている。万人受けするかはわからないけど、重厚で壮大なストーリーと美しい文章が好きな人には是非おすすめしたい。

*1:(四)第11章 異教の星より

*2:同上

*3:(四)終章  落日の果てより