書に耽る猿たち

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『罪の轍』奥田英朗 / 現代だからこそ読むべき昭和のミステリ

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『罪の轍』奥田英朗 ★

新潮社  2019.9.19読了 

 

をめくる手が止まらない、だけどじっくり読みたい、そんな読み応えのある小説だった。奥田さんの作品は、『最悪』、『邪魔』、『オリンピックの身代金』は良かったのだが、それ以降は筆力が落ちてしまったのか、期待に沿わないことが多かった。あくまでも私見だけれども。

ステリだけでなくユーモア小説やエッセイも多く、映像化されている作品も多い。ユーモアたっぷりの精神科医伊良部のシリーズはファンも多いだろう。直木賞を取ったのも、このシリーズ第2弾『空中ブランコ』だが、奥田さんの真骨頂はミステリ・サスペンスだと思う。今回の『罪の轍(わだち)』は奥田さんの小説の中で1,2位を争う作品ではなかろうか、と思うほど良かった。(ネタバレまではいかないが、何も情報なしに作品を読みたい方は、下記を読まないほうが!)

和39年の東京オリンピックを1年後に控えた、昭和38年の北海道と東京が作品の舞台だ。最初は、「莫迦(ばか)」と呼ばれている精神疾患のある宇野寛治の視点と、落合昌夫刑事の視点で話が進み、落とす(自供させる)までを描いた警察小説なのかと思いきや、突然の誘拐事件が発生する。そう、昭和38年の誘拐事件と言えば、吉展(よしのぶ)ちゃん誘拐殺人事件、これが今回の作品の元になっていたのだ。この事件がきっかけで、被害者やその家族に対しての被害拡大防止とプライバシー保護の観点から、日本で初めて「報道協定」が結ばれた。平成11年の桶川ストーカー事件がきっかけで、「ストーカー規制法」が出来たのと同じように、一つ、時代を象徴する規制が出来るきっかけとなった事件なのだ。しかしながら、この報道協定、現代の飽和したネット社会ではあまり意味をなしていないかもしれない。時代の移り変わりとともに法整備も必要である。

盗、強盗殺人、誘拐、ヤクザ、風俗等、警察が介入する要素がてんこ盛りである。登場人物も多いが、全てが緻密に計算されており、すとんと一本につながる。さすが、奥田さんのなせる技だ。ともかく、物語を作るのが上手い、それに尽きる。確か奥田さんが小説家になったきっかけは、新人賞応募→受賞ではなく、出版社への持ち込みだったと思う。読んだ担当者は、驚いたろうな。

れにしても、この昭和の時代の警察組織のなんと杜撰なこと。行き当たりばったりの行動が多すぎる。捜査方法等、今では考えられないものが多く、結果犯人を取り逃がすような事態も生じた。しかし、警察組織のミスはあるにせよ、現代社会よりもそれぞれの人物が人間味があるような印象を受ける。どことなく、人に対しても物に対しても心がこもっているような、親身になっているように思えるのだ。やはり、便利さと豊かさがイコールではない、と警察組織だけをとっても感じる。

治の友達でヤクザ者の明男の兄である町井ミキ子が一番まっとうで、読者が共感できる人物だ。彼女の存在がないと、小説にしまりがなくなると思う。物語の、言ってみれば語り部の役割だ。殺人も窃盗も決して許されることではないけれど、寛治の気持ちや生い立ちを考えると、全てを責めることができない。むしろ、同情してしまうふしすらある。今回の小説でも例外ではなく、犯罪者になるのは、その人の人格形成に大きく関わる幼少期だ。だから、子供を育てること、周りの環境は本当に本当に重要だ。

まだ未読の方は、是非読んで欲しい。令和という、物質豊かな現代であるからこそ、気付くことがたくさんあるはずだ。