新潮文庫 2021.3.28読了
谷崎潤一郎さんの『陰翳礼讃』『文章読本』という2大随筆と、他に短い作品が3つ収録された随筆集である。どの作品も素晴らしい文章で散りばめられている。日本の文化と日本語の美しさが、これまた麗しい谷崎さんの筆致で書き上げられた作品集だった。
私たち日本人は、生活の至るところで「陰翳に富み、闇と調和する」ことで美を意識し、心を落ち着かせることができる。『陰翳礼讃』はそれを色々な視点から説いた作品である。
確かに旅館に泊まれば、ぴかぴかのお米が入ったお櫃の色、よそい入れるお茶碗の形があんな風であることは、味だけでなく視覚的にも美味しさを感じるものなのかもしれない。日々当たり前に目にしているものが、ほとんど陰翳がかっているのだということに気付く。
美と云うものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。(32頁)
『文章読本』は、「われわれ日本人が日本語の文章を書く心得」を、谷崎さんの経験を元にして通俗向けに書かれたものである。専門家の学者に読んでもらうわけではないから随所に妥当性がないとあるが、いやいやそんなことはない、谷崎さんの書くものだからわかりやすく説得力がある。
きっと耳に痛い内容が書かれているんだろうと予想していたが、意外にもこんなことが書いてある。
文法的に正確なのが、必ずしも名文ではない、だから、文法に囚われるな。(179頁)
これは、日本語の文章は必ずしも主格を必要としていないことや、「てにをは」の使い方や数の数え方を正確に使っている人はほとんどおらず、日常では通用しているからであるという。この曖昧さが、外国人からすると日本語が難しいということなのだろう。
志賀直哉さんの『城の崎にて』の一部が例文となっている。谷崎さんが志賀さんの文章をお手本とし、大変敬意をもっているということがわかった。そして『陰翳礼讃』と同じように、日本語の良さ、つまり日本ならではの美しさがこの随筆でも感じられた。常日頃文章を書く人はもちろん、ブログを書く上でも参考になることが多く、一読するだけでも有意義なものである。
私は谷崎さんの随筆を初めて読んだ。大作家の作品は何を読んでも充実の読書となる。毎日小説を読んでいると、非現実の世界に苦しくなるようなもがきたくなるような衝動に駆られることがたまにある。そんな時は、本の中にも現実を見たいと思いエッセイやノンフィクション、ビジネス書を読む。
随筆=エッセイであり、今はこの呼び名のほうが馴染みがある。エッセイいうと軽い感じがし、随筆というと奥ゆかしい趣がある。思い切ってエッセイではなく「随筆」を通俗語にしてほしい。そのほうが日本らしくていいではないか。