『月夜のミーナ』柴田周平
河出書房新社 2021.3.25読了
何かの文学賞を受賞したわけでも、候補に選ばれたわけでもない、まして初めて見る作家の作品を読んでみるのは少し勇気がいる。まぁ、失敗したら嫌だなとかその程度のことなのだが。それでも期待と不安が同時にあるのは程よい緊張感。自分の手で触れて選ぶという行為は、私にとっては結構楽しみな時間だったりする。
そんなわけでこの柴田周平さんの本を読んでみた。保坂和志さん推薦という帯の文句だけが頼みの綱で、保坂さんを特別好きなわけでもないが、信頼している作家であることは間違いない。
読み始めてしばらくはよくわからなかった。不思議な世界に入り込んだような…。まるで、1人の人間の心の声を全て吐き出しているような感じ。常に自問自答している。夢の中、空想、妄想の世界か、場面がころころと変わり彷徨っていく。おそらくは引きこもりの青年が自分の生きる意味や価値を考え続けるという作品。
この語り口で、よくもこんな文量を書き上げたものだとそれだけで敬服する。一部を切り取ると町田康さんが書く文章のようにもみえるのだが、全体としてみるとやはり違う。
「母さん、生んでなんて言ってない」母の出産にまつわる恐怖と息子へと向う憎悪。この憎悪に対して息子は生れる前からの母への怨みを持つという〈阿闍世コンプレックス〉をテーマに描く。
これは、河出書房新社のHPによる紹介文だ。読み終えてから調べたらこんな風に紹介されていた。阿闍世(あじゃせ)コンプレックスとは精神医学の概念のひとつである。
私は読んでいる間、主人公の青年から母親への怨みは感じなかった。彼の母も父も普通ではない人ではあったが。なかなか難解な世界観で、今まであまり読んだことのない独特の作品だった。
この柴田周平さんという方、略歴は伏せてある。広島県生まれ、精神科開業医ということしか書かれていない。精神科医という立場からこの作品は生まれたのだろうか。弱さと純粋な心が垣間見えるのは、精神科に通う患者の声でもあるのだろうか。
結局ミーナは何だったのかは明かされず、読者の判断に委ねられている。そして、実は物語にはストーリーらしきものはほとんどない。保坂和志さんだからこそ寄り添え、推薦する作品であることが納得できた。