書に耽る猿たち

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『イリノイ遠景近景』藤本和子|翻訳家が語る上質なエッセイ

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イリノイ遠景近景』藤本和子

筑摩書房ちくま文庫] 2023.2.19読了

 

年末に読んだトニ・モリスン著『タール・ベイビー』の訳者が藤本和子さんで、そうだ、このエッセイを読もうかなと思っていた。他の本をつまみ食いしていて忘れかけていたのだが、先日片岡義男さんの『僕は珈琲』のなかで、まさにこの『イリノイ遠景近景』に触れられていた。片岡さんがおもしろいと語るんだから間違いないよな、と。

 

メリカ・イリノイ州にある小さな町で過ごした日々を、過去の思い出を絡ませながら綴ったエッセイである。1992年から1年半ほど『小説新潮』で連載された記事をまとめたもの。藤本さんは「書くこと」だけでなく「聞くこと」「感じること」に秀でている。周りの人々を観察する目と耳が利いている。  

 

細な出来事そのものがおもしろおかしいんだけど、そもそも藤本さんの文章が上手くて引き込まれる。本業の翻訳よりもエッセイに向いてるんじゃないかなと思った。まぁ、おもしろい文章が書けるから翻訳ができるんだろうけど。

 

初のうちは笑みを浮かべながら読んでいたのに、途中から、ホームレス用シェルターでボランティアをしたこと、移民として過酷な迫害を受けた中国人やホロスコートにいたユダヤ人の話になり、気軽に読めなくなる。エッセイという枠組みで入ると、何故か書かれた内容も易々と読めそうだと思うのは、勝手な思い込みだろう。

 

の作品で藤本さんは「彼女」のことを「かの女」と書いている。初めは「かのおんな」と読んでしまった。あ、これは「彼女」のことだなと。翻訳業を生業として、しかもアメリカで暮らしている藤本さんにとっては、日常に飛び交うものはほとんどが英語だ。日本語で「彼」に「女」をつけた「彼女」は違和感があるのだろう。確かに英語だと男女で呼び方が全く異なるイメージがある。

 

上春樹さんは、影響を受けたアメリカ文学翻訳家として藤本和子さんの名を挙げているらしい。ブローティガンの名を日本に知らしめた『アメリカの鮒釣り』で翻訳家としての地位を確立したそうだ。私が読んだのは『愛のゆくえ』だけだが、あれは別の方が訳していたはず。村上春樹さんや岸本佐知子さん(文庫の解説を書かれている)が敬愛するとは、英語の翻訳においては日本でもトップレベルなのだろう。

 

あるごとに話しているが、翻訳家って本当に素敵な職業だと思う。小説家を目指したとしても、それで食べていくほどの専業にするには、努力をしたからといってなれるわけではない。そうなると、翻訳家は多少異なるが近しい感覚で働けるのではないか。外国で産まれた良作を日本語に訳し、日本の読者の方に伝える。こんな素晴らしいことがあるだろうか。何よりも、原文で優れた本を読めてそれを発掘できる喜びは計り知れないものに違いない。

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