『黒い雨』井伏鱒二
新潮文庫 2021.8.12読了
井伏鱒二さんの『山椒魚』は高校の現代文の教科書に載っていると言われているが、私は学んだ記憶がない。教科書の種類が違ったのか、時代が違ったのか。そもそも小中学校とは違って、高校では先生の好みで教科書内容を選ぶから取り上げなかったのだろうか。
本作『黒い雨』は新潮文庫の100冊に選ばれ、名作として名高い。黒い雨とは、原子爆弾投下後に、巻き上げられた泥やすす、放射性物質などを含んだ重油のような黒い大粒の雨のことである。黒い雨訴訟のこともあったのでこのタイミングで読んだ。
もともとこの小説は『姪の結婚』というタイトルで連載されていたものを、途中で『黒い雨』に変えたそうだ。閑間重松(しずましげまつ)とシゲ子は、姪の矢須子の縁談を成功させるために、矢須子が被爆していないことをなんとか先方に伝えようとする。同時に、重松自らの被爆体験を「被爆日記」として役所におさめるために清書していく。
広島に原爆が投下されてから4〜5年後の日常が描かれてあるが、ほとんどが日記体で被爆当時のことがしたためられている。この構成がまず素晴らしい。重松は被爆者ではあるのだが、当時を思い出しながら日常を過ごすという設定が、被爆の事実とむごさから読者が目を背けられないようになっているのだ。だって、現実の重松とシゲ子は細々とはいえ、生きているのだから。
それでも、普通に生きている一般市民が戦争に巻き込まれる様は読んでいて辛い。死体が至る所にある。それを跨がなくては前に進めない。いま、そんな状況にどうしてなろう。先日夜道を歩いていたら、ネズミだかハクビシンだかの死体が道路に踏みつけられているのを見てしまった。それだけでも気持ち悪くなり目を逸らしてしまったのに、人間だったとしたらどうなるだろう。
これを読んで、戦争のこと、被爆者のこと、広島のこと、知っているようで実は理解していない部分が多かったと感じた。日本人であれば、一度は読んでおかなくてはいけない作品だと強く思う。そして、井伏鱒二さんの文章は本当に淀みがなく美しい。まさに教科書にあるべきお手本のような文章だ。もっと古めかしい文体かと思っていたのにそんなことは全くなかった。