『日本の近代 猪瀬直樹著作集2 ペルソナ 三島由紀夫伝』猪瀬直樹 ★
小学館 2020.12.12読了
三島文学が大好きと豪語しているわりには、彼のことを外から評したものをちゃんと読んだことがなかった。特集を映画やテレビで観たり、文芸誌などで読む程度だ。この本は猪瀬直樹さんが、三島さん没後25年の時に上梓した三島由紀夫さんの評伝である。今年は没後50年だから、ちょうど25年前の作品になる。
私が産まれた時には既に三島さんは故人である。初めて彼の小説を読んだ時から虜になった。三島さんが生きていて、現在進行形で次に出る新刊を楽しみにしたかった。三島さんと同じ時代を生きたかった。それは常々思っていたこと。
この本を読んで、彼の人生45年間を共にしたかのように少しだけ感じることが出来た。三島さんは「生」と「死」に対して誰よりも執着を持ち、誰よりも真剣だった。三島由紀夫という1人の人間だけでなく、彼の父親と祖父三代に渡る年代記としても非常に興味深く読めた。
原敬元首相暗殺のくだりから始まり、どこがどう三島さんにつながるのかと思いきや、どうやら平岡定太郎(由紀夫さんの祖父・平岡性は本名)が絡んでいるというのだ。第1章は「小説家三島由紀夫」を忘れてしまうほど政治一色だったが、これがまたおもしろい。
ようやく第2章から生い立ちが綴られる。母親から断絶され、精神を病んだ祖母夏子に囲われた生活。歪な三角関係。完成された大人の三島さんしか想像できないけれど、当たり前だが彼にも子供時代があった。それがこのようなものだったとは。
三島由紀夫が作家として売れっ子になり、平岡家が持ち家となった頃、父親梓はマネージャー気分だったという。梓は、雨の日以外は息子の書き損じ原稿を家の外で燃やし続けた。それは「どこかで回収されて高値で売られてしまわないように」という理由からだったという。この部分を読んだ時、父親もまた負けない執念を持っていると感じたし、普通の1人の親だったのだなぁと思った。
第4章(最終章)では『金閣寺』で読売文学賞を受賞、ブロードウェイでの企画のために海外へ行き、そして結婚に至るという私生活が中心だ。一方で政治的に関心を強め「楯の会」を発足、自衛隊駐屯地での自決までが描かれている。その間にも『英霊の聲』『文化防衛論』、大作となる『豊穣の海』4部作を書き上げる。1970年11月25日自決当日の緊迫した状況は、読んでいてぞくぞくした。屋上に上がる前に、あんなにも人を斬り付けていたことも知らなかった。
猪瀬さんの本を読んだのは、 さんのブログがきっかけだ。コメントをすると「この本(文豪評伝3部作)が好きだと思いますよ」と直接おすすめしていただいた。田舎教師ときどき都会教師さんは、猪瀬さんだけでなく尊敬している作家さんを、これでもかというくらい何度も取り上げている。教師という仕事柄も相まって人の心を動かす論理的思考と説得力があり、引用から始まるブログの切り口もおもしろい。
まさに「これを読まずして、三島由紀夫を語ることなかれ」だった。あの小説のあの場面、あの台詞はこういう意味があったのか。三島さんの生活背景が作品にこんなに色濃く反映されていたのか。虚構を作る小説家といえども、自分の体験や信念がどうしても作品に投影される。きっと書いている本人は、こうやって探られたりするのは嫌だろうけれど。いや、三島さんは好きかもしれないな。未読の作品はもちろん、読んだ作品も再読したくなる。『仮面の告白』『金閣寺』はすぐにでも。
正直なところ猪瀬直樹さんといえば、都知事の時に徳洲会からの賄賂をカバンに詰めて運んだ(札束が入らないとかで)件で、うろたえて答弁している姿が記憶に残る。しどろもどろな姿は、悪い人には見えないけれど、政治の世界にはそんなに向かないんじゃないかと思っていた。でも、作家という物差しでみると、こんなにセンスのある人はなかなかいない。文才は素晴らしく、惹き込まれる。
猪瀬さんがこの評伝を書いて四半世紀が経った。25年経った今、猪瀬さんが三島由紀夫さんをどう思うのかが気になるところだ。時代とともに、彼の生きざまの捉え方もまた変わっていくのだろう。