書に耽る猿たち

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『複眼人』呉明益|地球規模のファンタジー

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『複眼人』呉明益(ご・めいえき) 小栗山智/訳

KADOKAWA  2021.8.23読了

 

京オリンピック2020で新しく「サーフィン」が競技登録された。まだ記憶に新しいと思うが、男子サーフィンで見事銀メダルを獲得した五十嵐カノアさんが、競技終了後に海に向かってひざまづき、「海の神様、ありがとう」とお礼をする姿が目に焼きついた。海、そして自然に感謝する姿。この作品を読んでいる間、その光景が頭に浮かんだ。

平洋に浮かぶワヨワヨ島という架空の島がある。人々は自然と共生し、言葉だけで文字が存在しない。少年アトレは、島から旅に出る。冒頭を読んで壮大なファンタジーが始まるのかと予想できたが、少し違った。

SFあり神話あり色々と詰まっている。それでも全体でうまくまとまっているのがこの本のすごいところ。本の帯でル・グィンさんが述べているように、こんな小説は読んだことがない、まさにこれ。

湾の東海岸に、最愛のトムと我が子トトと離れ離れになった台湾人のアリスは人生に絶望して暮らす。ワヨワヨ島の神話的なパートに比べて、アリスの物語の方が現実に近く俄然読みやすかった。珈琲店を開いているハファイも重要な人物だ。

眼とは、いろいろな立場や視点から物事を見たり考えたりすることである。実際に「複眼人」も最後の方に登場する。しかしその複眼人よりもむしろ、この小説自体がアトレ、アリスを始めとした複数の人間の視点で語られ複層に重なるようになっている。最後は物語がひとかたまりに紡がれていく。

然を相手に人間はとうてい抗えないこと、生死の儚さ、文明と未来が描かれた地球規模の壮大なファンタジーである。アトレが辿り着いたゴミで出来た島は、もしかしたら地球なのではないだろうか。序盤は少し読みにくく感じたのに、気付いたら誰かの口笛が近くをすり抜けていくような、そんな作品だった。

シア語やイタリア語を学ぶように鳥の鳴き声や鳴き真似の授業を1日に2〜3時間すれば、いつか鳥と話ができるのではないか、という文章があった。こういう考え方、この著者の感性がとても好きだ。そして、アリスの回想に出てきた「ストックホルム市立図書館」は実在するようで、死ぬまでに一度は訪れたい場所となった。

者の呉明益さんは現代台湾を代表する作家である。彼の作品を読むのはこの小説が初めてだが、他にもいくつか翻訳された小説がある。来月『自転車泥棒』という小説が文春文庫で刊行されるようだから読んでみるつもりだ。