文春文庫 2021.10.21読了
台湾の情景を想像すると、なぜか懐かしく感じる。一度しか行ったことがないのに何故「懐かしさ」を感じるのだろうか。おそらく過去に台湾を舞台にした小説を読みそう感じたのだろう。台湾の歴史には「日本時代」が存在し身近であること、そして実際に田舎ののどかな土地が舞台になっている作品が多いから懐かしく感じるのかもしれない。
呉明益さんの小説は少し前に『複眼人』を読んだのだが、読みやすさからいえばこの『自転車泥棒』のほうが圧倒的であり、かつとてもおもしろく読めた。『複眼人』がファンタジー・SF丸出しで「未来を想像する」のに対して、この作品は「過去を探る」タイプだから、とっつきやすいのだ。
自転車と一緒に疾走してしまった父親について、その行方を探るストーリーである。自転車そのものへの愛についても存分に語られている。アジア諸国を観光で訪れると、自転車や原付の多さに驚く。私が旅行で訪れた時は、ベトナムやタイは原付が多かったが、台湾は確かに自転車が多かった記憶がある。それもかなり昔のことだから現在はどうだろう。
父親と自転車を探すという行為よりも、家族の歴史や思い出を紐解き、そのルーツを知る過程をしみじみと味わう作品といえる。人と人との繋がりから枝分かれして過去の出来事が絡み合う。静子から聞いたオランウータンやゾウの話はとても印象に残った。何より円山動物園(えんざんどうぶつえん・台北に移転)での殺処分には心が傷む。作中にも登場する『かわいそうなぞう』は、私も子供の頃に読み今でも忘れられない。
主人公が探す「幸福」印の自転車は新品のときと全く同じものは決して存在しない。何故なら、細かな部品は交換され、傷んだ箇所は修理され、パーツごとにみると年代も違い種類も変わっていくから。
モノを大切にすること、この意味を改めて深く考えさせられた。自転車だけではない、洋服、鞄、靴、道具、テレビ、そして車や家に至るまで、どんなモノも、どこかが傷んだら「ハイ終わり!新しいものを!」ではなく、心を込めて修理をすることで長持ちするし、長く使ってみて初めて自分のものになったと実感し愛おしくなるのだ。