書に耽る猿たち

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『断片的なものの社会学』岸政彦|言葉にするほどのない物事を絶妙に表現する

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『断片的なものの社会学』岸政彦

朝日出版社 2021.11.11読了

 

政彦さんといえば、東京に暮らす150人にインタビューしそれをまとめた『東京の生活史』が話題になっている。かなり分厚くて値段もまぁまぁなのに、すでに4刷の増刷が決まったらしい。私が岸さんのことを知ったのは柴崎友香さんと共著の『大阪』を読んでからだ。岸さんの文体が気に入ったので、他の作品も読みたいと思っていた。

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会学とは何か。思えば大学の学部を選ぶ際に社会学部というものがよくわからなかった。曖昧で抽象的な概念であるが、岸さんは「仕事として他人の語りを分析する」という表現をしている。この本はタイトルに「社会学」という言葉が入っているが、中身は専門用語もなく読みやすい文章で綴られており、極上のエッセイである。

くさんのエピソードと岸さん独自の見解が柔らかく書かれている。なかでも一番心に残ったのは、【まず私たちがすべきことは、良いものについてのすべての語りを「私は」という主語から始める】というところだ。一般的に通説として、良いとされているものはたくさん溢れてきる。でもそれは、実は別の誰かを傷つけたり排除しているということ。

人が結婚したら「おめでとう」と声をかける。もちろんお祝い事(と広く一般的だ)であるし、私自身も嬉しくなり心から祝う。だけれども、一方で結婚しない人、できない(日本では同性婚が認められていないためその意味で)人が決してめでたくないわけでも不幸なわけではない。それなのに、そういった人は「おめでとう」と言われることがない。確かに変だ。何かがおかしい。

の考え方は実は多くのものごとに関連するだろう。何が良いのか、美しいのか、力があるのか、好きなのか、これらは完全に個人の考え方の問題であるのに、私たちは何気なく言葉を暴力にして使っているのかもしれない。それでも、全てに「私は」と主語をつけることは難しい。岸さんが言うように「何も言えない」という困ったことになる。

の本には、多くの人の日常の断片や欠片がたくさん詰まっている。特別なことは実はほとんどなくて、ほとんどが他愛もないものの連続なのだ。普通という概念ともまた違う。エピソードの中で、5年おきに集まる家族がいいなと思ったし、「ある種の笑い」についての話が腑に落ちた。岸さんは、言葉にするほどでもない物事を絶妙に表現するのがとても上手い。

は過去に不動産の販売で営業をしていた経験がある。新築マンションが建つ地域の近隣住民に意見を聞く名目(実際には、購入できそうな見込み客を探すほうが目的だ)で、アンケートを取る仕事があった。古い団地を歩き回りピンポンを押す。今ほど個人情報の縛りはなく、当時は女性若手社員だったこともあるため、意外にもドアを開けてくれる人はいたが、それでも見ず知らずの人を直撃するのに抵抗があった。話をたくさん聞くことはさらに難易度が高かった。

くの人にインタビューをすること、本音を聞き出すことは並大抵ではない。岸さんはどうやって人の懐に入っていくのだろう。この本もまた生活史について綴られている。これがバージョンアップしたものが『東京の生活史』なのだろうか。いずれ私が読むことは間違いない。

して、岸さんの小説も読んでみたい。この本のなかでル=グィンのファンタジーの話が数回出てきたし、岸さん自身、純文学や私小説はおもしろいとは思わないと話している。でも岸さんの小説、純文学に近いんじゃないかなと「ある種の笑い」が私にも生まれる。