書に耽る猿たち

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『昭和の名短篇』荒川洋治編|良質な日本語で書かれた純文学

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『昭和の名短篇』荒川洋治

中公文庫 2021.12.11読了

 

和の文豪14人の短篇が収められた中公文庫オリジナルの短編集が先日刊行された。名だたる作家ぞろいなのだろうが、半分くらいしか知らなかった。

 

印象に残った作品は下記の3つだ。

『萩のもんかきや』中野重治

用事のために東京から萩に行き、帰りにその街をぶらついた50歳の男の話。2行目の「私はひとぶらつきぶらついて」という表現でこの作者の書くものの虜になった。「ぶらつく」に「ひと」をつけてしまうこの言葉のセンス。

ぶらついていたら、鼻の高い女性が営む「もんかきや」を見つける。細い筆で何かを書いている姿に哀愁を感じている男。中野さんが書く他の作品も読んでみたくなった。

 

『水』佐多稲子

幾子は、富山から東京に出てきて旅館で働いている。病弱な母親のために湯治に連れて行きたいとお金を貯めているのだ。そんなとき、母親の死を知らせる電報が届く。上野駅で泣き喚く幾子は何を思うのか。蛇口から溢れ続ける水は幾子から湧き出る思いなのか。

蛇口を閉めてもなお咆哮する幾子の姿。短い小説だが、場面を鮮やかに想像できるほどの描写で、読み終えた後に深い余韻を残す。

 

『百』色川武大

過去に伊集院静さんの『いねむり先生』を読んだからか、色川武大さんのことはやさしい目で見てしまう。この『百』という小説は、色川さんの短篇集のタイトルにもなっており川端康成文学賞を受賞した名著である。

もうすぐ百歳に近づく老いさらばえた父親のことをあたたかく見守る家族の風景が美しい日本語で綴られている。耄碌と幻聴についての色川さんならではの想いが心に沁みる。

 

の作品も、純文学たる堂々とした日本語と文体であった。今はもう令和の時代。もし平成の名短篇というものが出来たら、誰のどんな作品が収められるのだろう。平成の時代は初めから終わりまでまるっと過ごしたから、感慨深く読めるだろう。