書に耽る猿たち

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『写字室の旅/闇の中の男』ポール・オースター|記憶の中を彷徨いながら未来を予測する

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『写字室の旅/闇の中の男』ポール・オースター 柴田元幸/訳

新潮社[新潮文庫] 2022.10.22読了

 

ースターさんがポール・ベンジャミン名義で刊行したハードボイルド作品『スクイズ・プレー』と同時に新潮文庫で刊行されたのがこの本である。2作の中編が収められている。

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『写字室の旅』

ある一人の老人が、写字室にいる。それを見ている私たち。彼に何が起きているのか、過去に彼に何があったのかは、老人が回顧しながら徐々に明かされていく。

小説のなかの人物を書くときに一番必要とされる詳細な描写が、お手本のように細かく炙り出されている。老人の一挙手一投足が、スローモーションのように浮かび上がる。しかし、感情はあまり露わにはならない。虚無感と罪悪感が漂う不思議な小説だった。「他人の精神が作った虚構でしかない私たちは、私たちが作った精神がいなくなっても生き続ける」という文章が心に残った。

柴田さんの解説によると、この老人はいわば未来のオースター自身であり、オースター作品に登場した人物が作品に登場するという。彼の本は結構読んでいるけど、どの作品に登場したかなどは意外と名前だけ見ても覚えてないものだなぁ。

 

『闇の中の男』

こちらもまた1人の老人男性が主人公。眠れない夜に、文筆を生業とする彼が、闇の中(夜の暗闇)で自分に向けて語る物語である。現実の彼は娘と孫と3人で一緒に暮らす。曰くありげな三世代の同居。

オースターさんお得意の作中作がまたしても存在感を放つ。9.11のニューヨークがなかった世界が語られている。現実の老人、娘、孫娘はみな喪失を抱えているのだが、作中作の主人公を通して、慈しみといたわりが感じられた。

 

ちらの作品も老齢の男性が主人公で、記憶の中を彷徨うような、それでいて未来を予測しているような、時間を旅するみたいでふわふわとした感覚になった。オースターさんらしい作品であるが、オースター初読みには向いていない作品だと思う。個人的には長編のほうがやはり好みだ。