書に耽る猿たち

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『天路の旅人』沢木耕太郎|未知の土地を歩くことが全てに勝る

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『天路の旅人』沢木耕太郎

新潮社 2022.12.22読了

 

二次世界大戦末期、敵国である中国の奥深くまで潜入した諜報員西川一三(にしかわかずみ)さんのことを書いたノンフィクション作品である。西川さんは諜報員であることを隠すため、巡礼と称して蒙古人ラマ僧になりすました。しかし、もはや彼は本当に巡礼の旅をしたと言えるのではないか。天路、つまり「天へつながる道・天上にあるとされる世界・鳥や月が通る空」を旅した人、悟りを開いた人間の生き様が書かれている。

西川さんは、8年間の巡礼を終えて日本に帰ってきた後、『秘境西域八年の潜行』という総頁数にして2千頁にも達する紀行作品を書き上げた。本人による著作があるのに、何故沢木耕太郎さんは改めて彼のことを追いこの本を書いたのか。

木さんは西川さんと何度かお酒を飲み交わしながら話を聞くが、西川さんのことをどう書いたらいいかわからない。取材を終えた後10年程そのままにしていたら、ついに西川が亡くなってしまう。一周忌に線香を上げにいこうとするも、西川の妻の体調不良やらで機会を逸し縁がないものと諦めかけていたが、ほうぼうに手を尽くしたところ、なんと『秘境西域~』の原稿が手に入る。まさに僥倖。こんなにも1人の人間に執着する沢木さんにある種の恐れを抱き、ノンフィクション作家とはこういう人なんだなと脱帽した。ある人物を徹底的に掘り下げるほど興味を持つ、それが出来る人。

 

困難を突破しようとしているときが旅における最も楽しい時間なのかもしれない。困難を突破してしまうと、この先にまた新たな困難が待ち受けているのではないかと不安になる。困難のさなかにあるときは、ただひたすらそれを克服するために努力すればいいだけだから、むしろ不安は少ない。(163頁)

もそもが、行き当たりばったりの旅であるのだから、何かが起こるのは自明のこと。それでも、物理的に超えられない山や谷、抗えない気候が巡ってこようとも、不安という精神的要素に比べれば大したことはない。人間にとって一番の困難であり魂を脅かすのは、精神的な部分だと言える。

ベットで西川は初めて托鉢をすることになる。物乞いのようなことをしたくなかったがやむを得ない。しかしこの新たな経験も自らの血となり骨となる。托鉢をしながら旅をするあり方が、自らを鍛え、人を見る目を養っていく。

境を越え、各地を巡礼するうちに、欲がない自分だからこそ周りのみなが親切にしてくれるのかもしれないと気付く。西川さんは、その日に食べる食料さえあれば、どこで寝ようとも何をしようとも構わないという、もはや仏の境地に辿り着いたのである。

い時にこのような過酷な旅路を全うすることで、その後の人生にどんな困難が襲いかかったとしても、乗り越えていける力が身に付くのだと思う。忍耐力、精神力、つまり生きるための力。

西川さんの生き方、特に「未知の土地を歩くことが全てに勝る」という考え方は、私たちが「安心安定が良いもの」という固定観念に縛られすぎていることに疑問を投げかける。未開の道へ挑戦することの意義を教えてくれているように思う。未体験のことは果敢に挑戦しようと思えた。

 

の『天路の旅人』は、購読している田舎教師&都会教師 (id:CountryTeacher)さんのブログでも取り上げられていた。「人に教える」職業に就く彼ならではの視点で書かれたブログは、読ませる文章であり「気づき」も多い。

www.countryteacher.tokyo

人が書く自伝と、他者が書くノンフィクション。自らが見て感じたもの、第三者が見て感じたもの。それぞれが存在するからこそ、読む者へ訴えかけてくるものが必ずあるのではないか。私は『秘境西域〜』をまだ読んでいないが、両方読むことで雄大なる景色と人間力がみえてくるだろう。ひとまず沢木さんのおかげで、この稀有な旅人西川一三さんのことを知ることができ感謝する。