書に耽る猿たち

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『水平線』滝口悠生|全ては時空を超えてつながっている

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『水平線』滝口悠生 ★★

新潮社 2022.8.25読了

 

あの人と私は、海の彼方でつながってルルル

に書かれたこの文章。ルルル?ルルルって…。ハミングしてるのだろうか。この感じが早くも滝口悠生さんっぽい。霊的な力を持つという巫女さんから、名前がよくないと言われて「ル」をくっつけて「重ル(シゲルル)」という名前になった人物が作品に登場する。きっと何か関わってるのだろうと思いながら読む。

口さんのほのぼのとした作品かと思っていたら、この『水平線』は小笠原諸島の一つ、硫黄島のことを描いた重厚な物語だった。硫黄島といえば太平洋戦争の激戦地であり、アメリカ軍に占領されていた場所。硫黄島の戦いを描いた渡辺謙さん主演の映画が昔あった。

語は2020年時点、横多平(よこたたいら)とその妹の森山来未(もりやまくるみ)の視点がメインとなっている。ちなみに2人は両親が離婚したから名字が異なる。そして、2人の祖母でありかつて硫黄島にいたイクの視点、さらに何人もが時空を超えて語りかける。時々、これは誰が話してるんだっけ、と頁をまさぐることもあったが、もはや誰の言葉でも何だっていいやという気分になる。

じ出来事が色んな人の口から語られてるから、ともすれば「また同じ話が出てきた」と感じるかもしれない。でも私はこれがなかなか良かった。語る人により出来事の感じ方は異なるため印象も変わるし、私は一度読んだだけでは細かならエピソードを忘れてしまうので、反復することでよりストーリーを強く印象付けられたのだ。

疎開が実際にあったのかと思うと胸が痛む。同じ日本とはいえ島を離れなくてはいけない人がいるなかで、残って兵として戦わなくてはならない離れ離れになる家族もいる。あぁ、しかし、現にウクライナの一般市民はポーランドをはじめ他国に移ることを余儀なくされている。戦争がもたらす教訓が全くいかされていない。

平線の向こうには、何があるのだろう。見渡す限りは海で何も見えなくても、どこかで必ず陸地に繋がっている。そして、誰もが場所も時間も超えて繋がっていると思わせてくれる、そんなような話だ。それがとても繊細に柔らかく語りかけてくる。いつまでも読んでいたくなる。

 

去に読んだ滝口さんの作品に比べて密度も濃度も濃い。文体と登場人物達の想いには、なんともいえない魔力と引力があり、私を惹きつけてやまない。なんて優しく語りかけてくるのだろう。ストーリーがおもしろいというよりも、読んでいること自体が充実した時間だった。素敵な作品だった。

段何気なく思ってるけど言葉にするほどでもない感情を滝口さんはとてもうまく表現する。こんな文章が大好きだ。

〜親だけではなく自分の老いとか死も、若い頃に考えていたのとはくらべものにならない近しさをもって感じられらさるように、とそこまで言って喋りすぎたことに動揺するような間をおいて、思い切ったように、なった、と言い切った。(399頁)

「喋りすぎたことに動揺するような間」が時にあるし、「思い切って言い切る」こともよくわかるなぁ。

あなたが現れて、それはやっぱり私にとって意味ありげで意味深だったけれど、旅先で偶然知り合うひとというのはだいたいそうやって突然現れるものだし、そこに生じる意味というのはその出会い自体ではなく、現れたひとでもなく、それを受けとる自分の事情や心情によるものなのではないか。つまりそれが旅人の旅情なのではないか。(420頁)

そう、旅では特別なことが起こりがちと錯覚するけれど、きっとそれは自分の事情であって、これが旅情なんだ、と納得した。

 

京オリンピック2020は、一年延期になって実際には去年、2021年に行われた。しかしこの作品の中ではちゃんと2020年に行われている。どうやら、文芸誌「群像」に掲載されたのは2019年9月からのようで、もちろんその頃にはちゃんと2020年に開催されることを誰も疑っていなかった。

小笠原諸島を訪れたことはないのだが、今回この作品を読んで俄然興味を持った。硫黄島には行かれないので父島である。「おがさわら丸」という船で24時間かけて行くしか交通手段がない旅路は、海外に行くよりも長く、船酔い必須の行程だろう。また、中心部以外は携帯が繋がらない島の不便さ。しかし、そんなのが良いのではないか。人間らしさを感じる旅になりそう。

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