書に耽る猿たち

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『ミダック横町』ナギーブ・マフフーズ|一人一人に起きる出来事の集まりが地域の息吹となる

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『ミダック横町』ナギーブ・マフフーズ 香戸精一/訳

作品社 2023.3.2読了

 

ラミッドや古代エジプトをテーマにしたミステリ小説は見かけるが、エジプト人作家が書いた本なんて読んだことあるだろうか。書店の新刊コーナーにあったこの本の帯に「カイロの下町」と書かれてあり思わず手にする。調べたら『カイロ三部作』で知られるノーベル文学賞を受賞した著者の作品だった。

 

待以上に良かった。やはりノーベル賞を受賞している方の作品は読む価値がある。この作品が今まで邦訳されていなかったことが意外なほどだ。小説を読むという喜びをひたすらに堪能できる良質の物語だった。

 

れた小説家というのは、ある人物や情景を表現するのがとてつもなく上手い。つまり、読者が文章を読むだけで、その人やその景色を見ていなくても頭の中にありありと浮かんでくるのだ。数ページ読んで、お菓子屋を営むカミルおじさんの風貌をとらえた部分を読んだだけで、もう惹きつけられた。

 

ジプト・カイロの下町にあるミダック横町。そこは決して裕福な街ではない。若くて美しいハミーダ、理髪店を営む青年アッパーズ、喫茶店の主人キルシャをはじめとして個性豊かなあらゆる人物が生活を営む。なんとも強烈なのが、物乞いのザイタだ。なんと不具づくりを仕事としている。物乞いになりたい者がザイダの元にやって来て、ザイダの巧みな技術でその人に合う不具をわざと創り出す。

 

の小さな街に生きる様々な人物に同時進行で焦点を当てた群像劇となっている。小説のなかで大きな事件が起こるわけではないが、一人一人に起こるさざ波ほどの出来事でもその人にとっては大きな事件であり、それらが集まると共同体(ここではミダック横町という地域の)の息吹になるということがよくわかる。

 

の小説を読むと、エジプトではアッラー神への信仰の気持ちがとても強いことが読み取れる。「アッラーよ」と祈りを捧げるシーンが何十回あったことか。敬虔なイスラム教徒であるラドワーン・フセイニが、メッカに巡礼に出る前に語る場面が特に印象的だった。いくつもの試練を乗り越えて心の平安と信仰に辿り着くことが、神の英知に触れる好機になったという。

 

ジプトの言語はアラビア語で、世界で一番難しい言語とされている。それをこうして読みやすい日本語に訳してくれた訳者さん、作品社の編集者さんに感謝するとともに、日本にいるからこそ、こうして色々な国の素晴らしい作品を読めることに改めて幸せに思えた。