書に耽る猿たち

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『野性の探偵たち』ロベルト・ボラーニョ|一つの作品で自分の思考が逆転するというなんとも稀有な読書体験

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『野性の探偵たち』上下 ロベルト・ボラーニョ 楢原孝政・松本健二/訳

白水社[エクス・リブリス] 2023.8.19読了

 

らわたリアリズムってなんのことだろう?内臓現実主義?どうやらこの小説のポイントになるのがはらわたリアリスト=前衛詩人のことである。予想はしていたけれど、最初から難解だ。それでも、じっくり、じわりじわりと読み進めていった。

 

初の章「メキシコに消えたメキシコ人たち」は、フアン・ガルシアという若者の日記になっている。詩と文学とセックスのオンパレードで、ちょっと戸惑い気味。

偶然だと!偶然など何の役にも立たん。肝心なことは何もかもすでに書かれている。それをギリシア人どもは運命と読んだのだ。(上巻133頁)

キンがフアンに語るこのセリフが好きだ。偶然なんてものはなく、運命により全ては決まっているものだという考え。「偶然出逢ったのではなく全ては必然」、こんな格好つけた文章よりもずっとかっこいい。

 

巻の途中までは、この小説がどのような構造をしているのかわからず、また膨大な登場人物と彼らが語る名前(詩人や文学者など)の多さに辟易して、一体何を読んでいるのか、どう繋がっていくのかわからず迷子になるようだった。

 

2章はタイトルにもなっている「野生の探偵たち」である。前衛詩人の2人、アルトゥール・ベラーノとウリセス・リマの半生を他者の証言によってたどるものだ。誰がインタビューをしているのか、どういう順序でどう関係するのか理解に苦しみ、一筋縄ではいかない。身分の明かされない誰かが2人の足跡をたどり関係者にインタビューをしていく。

 

うやら、何度もインタビューされている人物がいて、1章の日記に出てきた人も登場する。それがわかってからは幾分読みやすくなる。「メキシコの詩の母」と呼ばれているアウクシリオ・ラクチュールの語りは優しく聖母に包まれたような感覚になる。ホアキン・フォントの読書談義(特に絶望した者のための本)は皮肉めいていておもしろかった。アルトゥール・ベラーノと特別な関係にあったエディット・オステルの回想は、これだけで一つの短編として読めるほどだ。ベラーノやリマのことを話すつもりが、皆が自分の人生を語り出すので物語は多様になり奥行きをもたらす。いやはや、彼らの人生がめっぽうおもしろいのだ。

 

直なところ、上巻の終盤までは「苦痛に近い読書になるだろう」と思っていたのに、探偵たち(文字通りの探偵ではないのだけれど)の語りを聞いているうちに、不思議と心地よさが感じられて、下巻の途中からは「こんなにおもしろい小説があるなんて」と思えるほどに。一つの作品に対して自分の思考が逆転するというなんとも稀有な読書体験となった。2章を挟むような形で、ラストの第3章は1章と同じくフアンの日記のようになる。ここで探偵たちの語りが引き締まるような感じ。

 

ラーニョによるラテンアメリカを始めとした世界文学への偏愛ぶりに酔い、幸せとは人間の自由な生き様であるのだということを痛感した。ひとまずボラーニョ作品を堪能できて満足。評判が良い『通話』は短編で読みやすそう。でもいつか必ず『2666』を読もう。