書に耽る猿たち

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『浮世の画家』 カズオ・イシグロ / 読んでいるだけで心地良い感覚

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浮世の画家カズオ・イシグロ  飛田茂雄/訳

ハヤカワepi文庫  2019.2.23読了

 

ズオ・イシグロさんの小説は4冊めである。文庫本の『浮世の画家』は表紙が変わったなと思ったら新版とのことで、冒頭に序文が掲載されていた。この小説を書いた当時の話や時代背景を振り返っており、小説家になったばかりのイシグロさんのことが綴られていて興味深く読めた。

つものように、劇的な何かが起きるわけでもなく、かつて有名だった画家で今は普通の老人である「わたし」の回想が続く。驚くことに画家、美術の話は全体の最後のほうにまとまっている。それまではほとんどが老境に差し掛かった今の生活と想い(二人の娘の話、孫との触れ合い、過去の自分との違い)を話しており、浮世絵や絵の話題すら出ないため、本のタイトルを忘れるほどである。しかし最後まで読むと何と考えられた構成なのかと唸ってしまう。序文にあったプルーストの話が腑に落ちた。

杉村家の姉娘は、「人徳をせりに掛ける」と言ったが、それはなかなか名案であるように思えた。物事の決着をつけるのに、なぜもっとそういう手段を活用しないのか。人の財布の重さを比べるよりも、道徳的な行動や社会的な功績を比べるほうが、はるかにはるかにすばらしいではないか。

これは、売りに出された家を、価格ではなく買い手の人となりをみて判断したことに対しての「わたし」の意見であるが、なるほどと思った。そもそも、社会はお金で物事の価値を計り過ぎなのだ。本当に大事にしてくれる人にモノが行き渡ることが本来の姿である。ここでもイシグロさんのモノを大事にする心が感じ取れた。

瀬はるかさん主演のドラマが放映されるずっと前に『わたしを離さないで』を読み、その時は正直どこが良いのかわからずさっぱりだった。その後、『忘れられた巨人』と『日の名残り』を読み、そして今回の作品である。何故だか徐々にこの雰囲気にハマってきている。もしかすると自分が変わってきたのかもしれない。大人になったことと、本に対する向き合い方、そして自分の好みの小説がわかるようになってきたのか。今まで読んだ土屋政雄さんの訳も良いのだが、今回の作品は飛田茂雄さんという方でこれまた素晴らしい訳で綺麗な日本語であった。しかし解説を読んで、飛田さんは故人とのこと、とても残念である。

シグロさんの作品には静謐な雰囲気が漂っており、読んでいて心地が良い。私にとってイシグロさんは、ストーリーどうこうではなく、読んでいるだけで幸福感が味わえる数少ない作家の一人である。これこそ原文で読みたいと思うが、今から語学を勉強するのは遅いだろうか…。