書に耽る猿たち

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『赤い月』 なかにし礼 / あなたは生きることの天才だ

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『赤い月』 上・下   なかにし礼 ★

岩波現代文庫  2019.7.31読了

 

子たちが牡丹江からハルビンへ向かう軍用列車に乗っている20日間の出来事が壮絶である。汽車が止まる度に、ソ連軍の攻撃からなんとか逃げ、満鉄社員に金目の物をあげて列車を動かしてもらい、そして女性の排泄場面は信じがたいほどだ。窓枠に腰を下ろして両手を男たちにささえてもらい、両足を浮かせて白い尻を窓の外に突き出して用を足すのだ。

して何より、避難列車に乗れず、着の身着のまま食うや食わずですれ違った人たちを排除する姿。病人や怪我人すら拒絶する人間の生き様。しかし、自分が生きるためにはそうするより仕方がないのだ。戦争を体験した人にしかこれはわからないのだろう。なんだか、胸が熱くなった。

子の生きる姿がまぶしい。女性ならではのしなやかさと男性に媚びるあざとさも兼ね備えており、時に嫌悪感も抱き子供たちの気持ちもわかるが、強く気丈な姿は女性からみてもほれぼれするほどである。女性であり、母である前に人間なのだ。

「あなたは生きることの天才だ」(下巻 319頁)

れは氷室が波子に伝えた言葉だ。生きることに、天才も凡才もあるものか、と人は思うだろう。それは、何不自由なく暮らす現代人だから思うこと。生きるためには、食べること、住むこと、健康なこと、色々な要素が不可欠だが、一番大事なのは生きるための人間のエネルギー、生きたい(愛したい)と強く強く願うことなのだと気づかされる。

かにし礼さんの作品は、『長崎ぶらぶら節』と『兄弟』は読んだが、『赤い月』は未読だった。常盤貴子さん主演の映画を昔テレビで観た記憶があり、何となくストーリーは覚えていた。新潮文庫や文春文庫も廃版になっているようで、なかなか見つからながったが、ついに岩波現代文庫で復刻版が刊行された。嬉しい限りである。『兄弟』も自伝的要素が強かったが、この作品も自らの経験を元にし、母親をモデルにした小説である。読んで満足、良い小説である。