『燃えあがる緑の木』 大江健三郎
第一部 「救い主」が殴られるまで
第二部 揺れ動く(ヴァシレーション)
第三部 大いなる日に
新潮文庫 2019.8.21読了
たまに、大江さんの小説が読みたくなる。読み始めて、あぁ、やはり難しいな、とか、よくわからないな、と思う可能性が大いにあるとわかっていても。なんだか、あの独特の文章が癖になるのかもしれない。大江さんの本は数冊読んだけれど、私の読解力では理解しきれない作品のほうが実際多い。『個人的な体験』には本当に衝撃を受けた。なかなかない読書体験だったことを今も覚えている。
この『燃えあがる緑の木』は、同名の教会を巡る、「魂のこと」(宗教)をテーマにした作品である。重要な人物となっているのが、救い主(教祖)のギー兄さんではなく、この出来事を書き留めている両性具有者のサッチャン(男から女へ性転換した“オトコオンナ”)である。サッチャンは基本的には女性目線なのだが、同時に男性でもあるため、他の人(男性もしくは女性)が気付かない様々なことに気付き、反応することが出来るようだ。
ギー兄さんが終盤繰り返す、「死者とともに生きよ」という教会の信仰がすっと心に入ってきた。魂のこと、とはそういうことではないだろうか。本当の意味での魂は死なず、人々の心のなかに居続けるのだ。だからか、作中では死んだ人の話もよく出てくるし、一体いつ、どこの話なんだろうとわからなくなることがある。いやはや、やはり大江さんのすっ飛んだ想像力についていくことは困難だ。もっと歳を重ねて読み直せば、理解できる日が来るのだろうか…。
それから、大江さんの作品は英語であれ他の国の言葉であれ、忠実に訳すのが難しいだろうと思う。カズオ・イシグロさん(そもそも原文が英語だから、日本語に訳す、の方が正しい)や、村上春樹さんを訳すのはスムーズに出来そうだけれども、大江さんの文章は微妙なニュアンスが伝わりにくそうである。ノーベル文学賞選考委員は、どんな母国語も読めるわけでもなしに、原文の細かい表現はそんなに重視しないのだろうか。作品のストーリーと、筆者から伝わる熱意、伝えたいものが大きければ、そしてそれが響いてきたら、選ばれるのだろうか。そう思うと、言語に忠実に選考される母国語での賞のほうが価値があるように思うのは私だけだろうか。