書に耽る猿たち

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『幻の女』ウイリアム・アイリッシュ|ストーリーも文体も完璧な名作

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『幻の女』ウイリアムアイリッシュ 黒原敏行/訳 ★

早川書房 [ハヤカワミステリ文庫] 2022.2.19読了

 

ステリなのにミステリファン以外からも根強く人気があり名作と名高い。おそらく、文章の美しさが読者を虜にする理由であろう。絶賛されている冒頭の一文はこんな文章から始まる。

夜は若く、彼も若かったが、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。(11頁)

んな出だしから始まるなんてうっとりせずにはいられない。さて、文体もじっくり味わうつもりで丁寧に読んでいたのだが、これが、ストーリー展開の巧みさ、ミステリの緊迫感が最高潮に達して、頁を捲る手が止まらなかった。久しぶりにとてもおもしろく読めた。

と口論をしたヘンダースンは、あてどもなく街を彷徨い、あるバーで知り合った女性と食事をし、劇場でショーを観るなど6時間一緒に過ごす。深夜にヘンダースンが家に帰ると、妻が殺されていた。警察は夫であるヘンダースンを疑う。彼のアリバイを証明できるのは、バーで知り合った「幻の女」だけ。判決が下り死刑宣告されたヘンダースンだが、死刑執行までに「幻の女」は見付けられるのか。

涛の展開、幻想的な雰囲気、タイムリミットが近づくにつれて高まる緊迫感、1人落とし込んでいくごとに「あぁ、またこの結果なのか」とぐったりするが予想通りの展開にニヤリとしてしまう感じ、どれもが読んでいて楽しい。そしてパージェス刑事のカッコ良さといったらない。

ステリなので多くを語れないのだが、、名作とはこの小説のこと。まだ未読の人は是非読んでほしい。解説で池上冬樹さんは「古典中の古典、一般常識」とまで言っている。80年も前に書かれた作品とは思えないほど現代読んでも色褪せていない。

イリアムアイリッシュという筆名での作品はわずかで、ほとんどがコーネル・ウールリッチという名義で作品を出しているようだ。サスペンスとしても一級品でありなおかつ抒情的な文体を楽しめる。まるでレイモンド・チャンドラー氏のようだ。他の作品も読んでみたい。

お、最初に紹介した冒頭の訳は今回の新訳黒原敏行さんオリジナルではなく、稲葉明雄さんの訳をそのまま使わせてもらったとのこと。どうにもこれ以外の訳はないのと、翻訳者のエゴのために訳すわけはいかないからと述べられているが、稲葉さんへの敬意も表している。翻訳家の仕事って本当に素敵だなぁ。