書に耽る猿たち

読んだ本の感想、本の紹介、本にまつわる話

『もうダメかも 死ぬ確率の統計学』マイケル・ブラストランド/デイヴィッド・シュピーゲルハルター /数字と物語、どちらにも誠実に

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『もうダメかも 死ぬ確率の統計学』マイケル・ブラストランド/デイヴィッド・シュピーゲルハルター   松井信彦/訳

みすず書房  2020.4.26読了

 

つも購読しているブログで紹介されていて、この科学書なら私にも楽しめそう!と思い読んでみた。小説ばかり読んでいる偏り過ぎている私本猿は、ビジネス書、教養書、科学書なども本当は読みたいのである。せめて10冊に1冊は小説以外を読もうとはしているのだけど、多分至っていない…。

学生までは数学は好きだったが、高校生になってから数学や物理が苦手になった。特に「確率」とか「数列」なる厄介なものが嫌いで、解こうという気持ちすら起こらなかった。その「確率」がタイトルになっているわけだが、この本では「ノーム」という主人公をおいて、産まれた時から老年に至るまで、時系列的にちょっとした物語形式になっているのだ。書店で数ページめくってみると、これなら読めそう!と。

27の章ひとつひとつにタイトルがつけられ、そのテーマに沿ったフィクションが導入部に入る。これが小説のようで、「読み」への姿勢に入りやすい。なぜこうした形を取ったのかについては、著者はこう述べる。

数字は確率を教えてくれる。物語は、感情や価値観を伝えるという、数字にはできないことをするのに用いられる手立てだが、その感情と価値観が確率の認識をゆがめることがある。(中略)2つの物の見方がどう効いているのかを理解したいなら、2つ一緒に見ていくべきなのでは?どちらにも誠実でいるためには、どちらにもそれぞれの言葉で語る機会を与えようとすべきでは?(8頁 )

いくら数字が表していても、人により価値観は多種多様、また赤の他人が死ぬのと大事な家族が死ぬのとでは感情が大きく異なる。そういう意味で、統計や確率論を扱ったこの本は、ある意味ヒューマンチックであり、確率を否定していると言えるだろう。

16章「エクストリームスポーツ」で、ウイングスーツを着て崖から飛び降りるという競技(正式名称:ウイングスーツ・フライング)が例になっていた。たまたま今日、日本でそのスポーツを行う50代の男性をテレビで見かけたところだった。この本で述べられていることと同じような感覚を持っていた。「恐怖とコントロールのなさの味がたまらなくて」と。死と隣り合わせだからこそ挑戦したいらしい。私達がジェットコースターに乗ることや、スカイダイビングをしたいと思うことは(そんなの勘弁!という人も多いだろうが)、怪我をするかも、危ないかも、と思う前にぞくぞくしたスリルを味わいたいからなのだ。

24章「検診 」では、人が健康診断などを受けることについて、ある種疑問を投げかけている。人間は物語を語るとき、生まれながらの癖として、ある出来事とそれに先立つ出来事を結びつける。まずこうなり(検診)、次にこうなって(治療)、おかげでそれからは幸せに生き永らえた、という具合に。しかし、検診で見つかったがんによる死を免れたうち、90%はそもそも検診を受けなくても生きていたと予想される数字らしい。では、大きな不安に怯えたり不要な治療がもたらされるというリスクを敢えて犯すのは、本当に人間にとって正しいことなのだろうか。これも賛否両論だろう。

つも理系の本で感じる苦痛みたいなものがほとんどなく読めた。第6章「予防接種」では感染症についても述べられており、今の世界情勢にも当てはめて考えられる。著者2人の興味深い考察と切り口が非常に面白かった。私のように、本選びに偏った人にこそ読んで欲しい。意外とすらすら読める。

はどちらかというと、死ぬ確率がどれくらいとか、10年後の生存確率は20%なんていう見立てよりも、死ぬか生きるかの二者択一でどちらも50%じゃないの、っていう考えだった。宝くじや試験の合否もそう。しかしこれを読んで少しだけ考え方が変わった気がする。もちろん、ひとつひとつの行動に「もしあの時こうだったら…」なんて考えてはいられない。いや、2〜3日は考えてしまうかも笑。